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絶対音感あるある

■「気づいてしまった」

私自身、子どもの頃にピアノを習っていた。
よく、テレビでピアノを弾いているのを観て

まさに

『もしも、ピアノが弾けたなら』

西田敏行 歌 作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一より

と思っていました。
そして、いざピアノを習ったものの私自身ある違和感に気がつくことに…

令和の今の時代ならば

『多様性の時代』

と言われて、ピアノ教室も

「弾きたい曲を自分で選び、先生がそれに関して教えてくれるもの」

だったり

認知症予防のためにシニアやシルバー世代の

「脳機能の活性化を売りにするもの」

音大など専門家を養成するもの

など

コンセプト内容も様々で生徒の一人ひとりのニーズに合わせてレッスン講座が開かれています。

■「こうやって、多くの子どもがピアノ嫌いにななっていく」


私が小学生だった昭和時代は

『バイエル』が終わると

『ブルグミュラー』や

『ハノン』…
特に、これに関しては
(誰もがクラッシックのピアニストになるわけでもないのに)

「誰もが、みんながやるんだから当然だ!」

という暗黙の了解のもと訳もわからず

練習させられている感で

ピアノが一気に嫌になった生徒もいるのではないだろうか?

そして、教室によってはそれにプラスされて

楽譜の読み方などの楽典が加えられたレッスンメニューなのではないでしょうか?

■「どうしてピアノが弾けるのに、今さら楽譜を見てピアノを弾かなくてはいけないの?」

実のところ、私自身は小学校低学年にして
テレビで聴くコマーシャルソング



ラジオから流れてくる歌謡曲など

を完コピとまでは行きませんが、
片手で耳コピができるという特異体質でした。

なぜなら、小学校の時に失明の危機に襲われて入院生活を余儀なくされました。元々、入院前から他人よりも耳が良かった方ではありました。
そのため、さらに聴力が増強されることになった。

そして、徐々にピアノを習っていくにつれて

ついには

かなり適当ではありますが、和音を組み合わせて両手で弾けるレベルまでに…(後々に幼児教育を学ぶ学生時代にピアノ実技の時に正確なコードを学び弾く際に直すのに苦労しました。)

ガラケー時代には着メロを自分で音階入力して入れるための教本が一時期ヒットました。
しかし、そのようなものは一切買わずにすんだことは助かりました。

昭和時代のピアノ教室と言えば、先ほどの話にもあったように
ひたすら無の境地で機械的に指を動かして
指の動きをなめらかにするテクニックなどを教えられて
それに耐えてやっとクラシックの有名どころを弾けるレベルにまで
先生が生徒の技術を引き上げることがメインでした。

そして、ドラマ『のだめカンタービレ』の劇中にあったように

指の使い方が少しでも間違えていたら、逐一ネチネチと嫌みを言われ
ある意味、スポ根アニメさながらの根性論で指導を受けた方も少なくないのではないでしょうか?

おそらく、先生のお考えは

「ピアノとはこういうものであるべき」

という考えがあったのかもしれません。

しかし、私自身 若干小学生にして自分の特異体質に気がついた際に

「楽しくピアノが弾ければそれでいいじゃん」

「別に、音大とか行きたい訳ではないし…」

という自我が芽生え始めていましたし

何しろ、レベルが上がると音符が細かくて読み込むことに困難をきたしていました。(ある意味、楽典などをサボって適当にやっていたツケともいえるが…)

そして、何よりも

「楽譜を見なくても自分が弾きたいと思う曲が弾ける」

ということに気づいてしまってからは

逆に

「なんで今さら、決められた指使いで、決められた楽譜通りに弾かなくてはいけないの?」

と子どもながらにも

そんなモヤモヤ感でいっぱいになってしまいました。

■「ある意味、めんどくさい子どもでした」

多くの子どもなら、きっと

「だってそんなもんだからしょうがないじゃん」

と割り切れたのかもしれませんが

私自身はそうではありませんでした。
そのため、先生が理想としているレッスンのコンセプトと自分が思うレッスンのコンセプトの開きができてきてしまい

本来

楽しい 音

と書く「音楽」

苦痛で極まりないもの

と時期もありました。

そして、今でははっきりとこの違和感を言語化して伝える術や知恵を身につけていますが当時はそのものすらありませんでした。
そのため、やめるのも一苦労しました。

そして、ついにはせっかく買ってもらった大事なピアノでさえも

見るのも

ましてや

触ることすら嫌な時期がありました。

皆さんの中にもこんな経験した方はいませんか?

■「数少ない褒められ体験」

ある時、職場で幼稚園ぐらいから二十歳ぐらいまで本格的にピアノを習っていたスタッフさんとお話をする機会がありました。

彼女はケースワーカーをされていた方でした。
もし、この職業に就いていなければおそらく音大を出て一流ピアニストになれたのではないのか?

というレベルのピアノの腕前でした。

そして、私が休み時間に適当にピアノを弾いていたのを見て

「すごい!」

と褒められた事は忘れません。

なぜなら、彼女はよく子どもの頃にピアノ教室の先生に

「○○ちゃんは、(楽譜もきちんと読めて)こんなに弾けるのにお耳の方がねぇ~(これさえできればねぇー)」

的なことをよく言われていたそうなんです。

そのため、逆に

「なぜ弾けるの?」

という事だったのです。
私はある意味彼女が難しい楽譜も読み込めて
すぐに弾けるテクニックがうらやましく感じていました。
(指の練習などが苦痛になりやめてしまったのが大きな原因でもありますが…)

■「絶対音感って本当にうれしい?」

昔から、良く子どもの習い事でピアノを習わせるたがる親御さんをよく見ます。
なぜなら、最近では幼児からの英才教育というコンセプトで

「絶対音感」

を身につけさせたいというご要望を持つ親御さんをちらほらと耳にします。

ある意味、私も子どもの頃から特異体質で身についている部分があります。
しかし、これがある故に音に対する過敏傾向も持ち合わせています。

確かに、職業柄ピアノやギターなど楽器に触れる機会など音楽にふれることが多い職業の時は「強み」にもなります。

人によってどの音に不快に感じるかは個人差がありますが、一方で

「煩わしさ」

にもなってしまう側面も持ち合わせます
そのため、「情報多過」となり
頭痛など自律神経系における症状が出てくる方もいらっしゃいます。

最後になりましたが、そんな一面もあるということも知っていただけたらと思いお伝えさせていただきました。



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