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ドライビング・バニー【感想15】

 今回は本当に早めに見ておきたかったから「スンマセン、私用あるんで早めに失礼します!」と大ウソついて逃げてから見に来た。さっき月末なのに勤怠記録ミスってたのが発覚したので来週頭から部長に頭を地に擦り付けて陳謝することが確定したけど、まぁいいでしょう。



 



 本筋としては夫を殺したバニー・キングという40歳の女性が2人の息子娘のために好き放題しまくる、という話。
妹夫婦の家に居候していて、前科者というのもあってまともな仕事には就けないし子供たちは殺人犯と暮らさせるわけにはいかないのもあって里親に出されてる状態。この背景だとかなり同情を誘う、女性監督作品でよくある悩んで奔走するロードムービーを彷彿させる。けど、実際はそうじゃない。

 義弟に対して腹いせとして車にスプレーでガッツリ落書きしたうえでシートに放尿、怒りに来た義弟に逆ギレしながらフロントガラスを叩き割る。と完全に異常者のソレを見せてくる。これ以外にも契約すらしていない家で勝手に寝泊まり、ほぼ万引き同然の買い物、平然と嘘をつくしアンガーマネジメントが出来ないと、子供のためにしているという名分を振りかざしてるとはいえ普通なら同情どころか見放されて当然の素行が1時間半たっぷりスクリーンで見せてくれる。

 これがトンチキな主人公になっていないのは姪のトーニャの存在が大きい。
この子が義弟、つまり義理の父親にしっかりセクハラされているのをバニーが目撃したせいでバニーが妹夫婦の家から追い出される。実の母親は夫の良い分だけを信じて本人に何をされたのか聞きすらしない一方で、目撃者のバニーが親身になってくれる。終盤ではバニーがトーニャを誘拐した、という見た目の展開になるけれど当のトーニャにとってはバニーから助けられる=あの父親と見放された母親のもとに帰ることになるからバニーと一緒に籠城することになる。

 立場や年代は違えど、自分の性分のおかげもあって社会的な弱者の立場として世間(家族)から扱われている2人が奮闘するという、最初思っていたロードムービーっぽい空気とはかなり違う映画でした。

 ラストの子供たちとバニーの会話は、今まで社会から外れた行動をしていたバニーもちゃんと一人の親としての一面があったのを子供たちからも感じ取れる。原題である「The Justice of Bunny King」がしっくり来たのがここのシーン。どんなにヤバいことをやっていても、ジョーカーと全く違うのは根本が善性を持っていることだと思います。

 今まで殺人者のレッテル越しにしか見られていなかったバニーは救護の人に色眼鏡なしでの会話をしてもらい、家に居場所が完全になくなったトーニャは今まで乗ってきた車を走らせ一人でどこかへ行く。少しだけ2人に希望を持たせるようなエンディングはエンドロール後の余韻もかなり心地よかった。


 たぶん受け入れられない人はなりふり構って生きてられない層がいることを考えられてないとか、いわゆる”共感できるキャラがいない”ていうのがあると思います。トーニャは女性としては感情移入できるほうだとは思うけど、そういう人はバニーに刺激を受ける点が関わってくると受け入れられなくなる気がする。
こういった自国内じゃ想像がつきにくい問題をメッセージとして直に感じられるのは映画の面白いところだと思います。ポリコレが揶揄されがちだけど、そういった声がいろんなところから挙がっているということは軽い笑い話にできるような浅さではないんかなとも思い始めています。

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