思考の枠を外れる
「天才」と呼ばれる人たちは、「思考の枠から外れる能力」に長けているな、というイメージがあります。
多くの人がハマるはずの「枠」を外れるからこそ、社会でイノベーションを起こしてきたのだろう、と思います。
「過去」という枠
少し話は飛びますが、「思考」とは全て、過去で構成されています。
「考えること」、例えば”数学の問題を解く”というのは、過去の似た問題のパターンから解法を抽出する作業です。
”嬉しい、悲しい”などの「感情」も、自身の過去の経験に基づく思考パターンと言えます。
経験によって作られる枠のことを、「思考の枠」と言います。
言い換えると、「常識」や「慣習」あるいは「社会」とも言えるかもしれません。
そう考えると「社会」人って、「枠」に最適化された常識的な感じがします。
過去に囚われないこと
例えば、スマートフォンを開発したジョブズは、これまでの携帯電話の在り方(テンキーがあって、電話がメイン機能であること)に囚われず、
「アップルが電話を再開発」しました。
万有引力の法則を発見したニュートンは、「天動説」という当時の常識に囚われなかったからこそ、思い付くことが可能なのだと思います。
「普通の人じゃない、天才だ!」と世間では評価されています。
ですが、もしかしたら
「思考の枠」に囚われず、あるがままを感じ取り、その先にあったものを引っ張ってきただけ
なのかもしれません。
仏教では、どんなものを見たとしても自分の思考が挟まれるから、「あるがまま」を見ることは非常に困難だ、と言われています。
そして、この「あるがまま」が見れるようになった状態のことを「悟り」と言い、僧の方々は修行に励むのだと思います。
(※あくまでこれは僕の解釈です。間違ってたらスイマセン!)
だから、悟ってる人って天才なんじゃないか?と思うわけです。
こう考えてみると、シリコンバレーで「瞑想」がブームになっている理由も、何となく推測できます。
ただ、「稼ぎたい」「成功したい」という思いで瞑想しても、悟れないでしょうけどね。(笑)
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