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編集者的思考法について考えた:「これで分かってもらえるかどうか」

ありがたいことに、私は編集者・取材記者・ライターの仕事を続けて25年目に突入しました。とくに編集者としての仕事を振り返りますと、その本質は「コンテンツの読書体験を高める仕事」であるように思います。

特に編集者は、ライターさんなど著者が提出してくださった原稿について「対象読者にとって、この文章は読みやすいかどうか」という観点から査読します。ただ、この「読みやすいかどうか」という判断基準は、文法的にふさわしいかどうかといった技術的な側面を抜くと、感性的な側面が大きいことが課題となります。

なぜ「課題」と表現したかというと、人それぞれで許容範囲が異なるためです。特に、対象となるコンテンツの特性に応じて、その尺度は微妙に異なることが多々あります。例えば文法的にふさわしくなかったとしても、文脈として読みやすいという判断があれば、ふさわしくない文法であってもそのまま商品としてリリースすることもあります。

総じて、マニュアル通りの「こうすれば読みやすくなる」という軌条にしたがって編集処理をしたとしても、それが「コンテンツの読書体験を高める」ことにつながるとは限らないわけです。

しかしながら、編集者として20年以上の現場経験から言えば、ある「問い」を立て続けるという意識下での努力によって、対象のコンテンツが不思議と読書体験が優れた文章になるという結果を多々、見てきました。

その問いの代表例が、「これで(読者に)分かってもらえるかな」というものです。

人の意識は、意図的に質問を打ち立てると、その中身に応じた「磁力のようなもの」が働く特性があるようです。素人ながら少し調べますと、脳科学的、あるいは心理学的な観点でも、同じような特性があるという説があるようです。例えば、心理学的実験で「赤い色のものを探してほしい」という問いを投げかけると、問いを投げかけられた人物の視覚には自然と赤いものが目に入りやすくなるという傾向のことを耳にしました。

ひるがえって、「これで分かってもらえるかな」という問いは、それを積み重ねていくことで、コンテンツに「分かってもらえる」という価値が付与されると考えられます。つまり、コンテンツを制作・編集している初期においては手探りであったとしても、この問いを自らに重ねていくことで、次第に対象読者にとって「分かってもらえる」形態へと変化していくことは間違いないと思われます。

あくまで私の経験に基づく仮説ですが、私としてはかなり確度の高い仮説だと考えています。今後もこれを実地で検証していきたいと思います。

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