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ラベルを剥いだのちに見つかる「自分らしさ」を祝福する|「壌(JYOU)」スピンオフゼミ|Vol.3

SOCIAL WORKERS LAB(以下、SWLAB)が、昨年3月にリリースしたメディア「壌 (JYOU)」でインタビューした方をゲストに、記事の内容をさらに深掘りするスピンオフゼミ。第3回のゲストは、〈ラベルを剥いだのちに見つかる「自分らしさ」を祝福する〉をテーマにお話をうかがった大谷明日香さん。性別、年齢、人種……私たちは一人ひとりがもっている変えることができない属性。その属性に対する社会的イメージのことを、大谷さんは「ラベル」と呼ぶ。「全部のラベルを剥がしたら?」と「自分らしさ」を追い求め、社会と自分に対しての実験を重ね続けるのはなぜか。大谷さんの価値観・あり方をSWLABディレクター今津がモデレーターをつとめ、ひも解いていきます。

大谷 明日香(おおたに あすか)
Creative Studio REING Founder
上智大学卒業後、広告代理店に入社。プランナー兼プロデューサーとして、国内外のブランドの新規プロジェクト立ち上げ、コミュニケーション戦略設計を担当。YOUNG SPIKES2016日本代表選考でBRONZE受賞時、テーマが「ジェンダー不平等」だったことを機にクリエイティブを通じて社会問題に取り組みたいと考え、2019年にCreative Studio REINGを立ち上げる。現在は、性別・年齢・人種といった属性に対する固定観念に囚われない表現・コミュニケーションのあり方を基軸にプロダクト、コンテンツ、プロジェクトのプロデュースを行う。

社会が決める「らしさ」への違和感

今津:きっと今日参加いただいている方は、「自分らしさ」とはいったいなんなんだろうということに関心がある方が多いのかなと思うので、そんなお話をしていけたらなと思います。ではまずはじめに、大谷さんからよろしくお願いします。

大谷:私はSNSとか、短い言葉で伝えるのがあまり得意ではなくて、じっくりお話する中で考えを交わすとか、いろんな人の視点を交わらせるようなことにすごく興味があります。今日もそういう機会になればうれしいなと思っています。よろしくお願いします。

私は福岡県の出身で、18歳の時に上京して上智大学を卒業しました。その後、もう10年近く広告やクリエイティブの仕事をしています。最初に入った広告の会社は、世間のイメージ通り激務が当たり前の環境でした。私は小さい頃から「女の子らしさ」を求められることに違和感があって、逆にそれに縛られてきたようなところがあって。それで「男性と同じように働かなければ」という思いから、四六時中仕事をしていました。そんな中、人のイメージに大きな影響を与える広告やメディアのあり方について、徐々に違和感を感じるようになりました。マーケティングとかターゲティングといった作業の中では、大きな主語で語ることが当たり前になっています。例えば、女性はこういうものが好きだとか、男性向けにはこういうトーンでとか。そういったことに対して、ちょっと違うんじゃないかというモヤモヤを抱き始めたんです。

その頃、ちょうど海外の若い世代向けのコンペティションにチャレンジするようになりました。海外のコンペティションでは社会課題にフォーカスしたお題が出ることが多くて、私は男女の賃金格差がテーマのコンペティションの日本代表選考で、ブロンズを受賞することができました。そういった機会を通して、人に気づきや考えるきっかけを与えるようなクリエイティブをつくっていきたいという思いが強くなり、Creative Studio REINGの母体であるNEWPEACEという会社に参加しました。入社後、前身となったRe.ingというプロジェクトに関わったことで改めて自分が向き合いたいイシューについて考えるようになり、それが今のCreative Studio REING(以下、REING)のもとになっています。REINGでは、性別、人種、容姿といったレッテルのようなもの、私はラベルと呼んでいるんですが、そういったもののイメージを乗り越えて、いろんな人が自分らしさを体現できたり、自分の「好き」でモノやサービスを選べる世界を作りたいという思いで、企業やブランドの価値観を紡ぐようなコミュニケーションのお手伝いと、自社内でのコンテンツやプロダクトの開発を行ってきました。

REINGは「Co-creation for non-binary world.」をフィロソフィーとして掲げています。この「non-binary」というのは、男女二元論をはじめ、いろんなことが二項対立で語られる世界に対して、問いかけをつくっていくという意味で使っています。具体的にやっていることとしては、まず最初にオリジナルのアンダーウェアをつくりました。これには男性用、女性用ということを一切書いていません。その境界線を取り払って、ラベルを剥がすために、まずアンダーウェアをつくりました。アンダーウェアにした理由としては、自分自身にいちばん近しいもので、朝起きた時や夜寝る前の自分の素に近い状態に寄り添うものなので、自分の身体も心も心地いいものをつくりたいという思いがあります。本当にいろんな心と身体を持った人たちがいて、胸の膨らみがある人でも、その大きさは人によって違うし、膨らみがなくても乳首が見えることが恥ずかしいって思う人もいる。何をどう身につけたいかっていうときに、社会側から「あなた向けのものはこれですよ」って言われてしまうことがまずおかしいんじゃないだろうかと思っていて、私たちのプロダクトは、このアンダーウェアがいいなと思ってくれたすべての人に届けられるように、という思いで作りました。

他にやっていることとしては、REING Livingというコミュニティを運営していて、ジェンダーのことについて考えるきっかけになるようなコンテンツの発信や、イベントを行ったりしています。そのコミュニティに来てくれたクリエイターと一緒につくりはじめたのが、雑誌「IWAKAN」です。今3号まで出ていて、次4号が出るのですが、毎号いろんなテーマにおける違和感にフォーカスして作っています。その他、パナソニックやナイキ、オンワードなどの企業と一緒にプロジェクトを行ったりもしています。

こういった活動をしているんですが、個人的にずっと考えてきたこととしては、自分が持つラベルを悪いものとして否定しているわけではなくて。それが私らしさを構成している部分もあるし、そのひとつひとつの大きさを感じることも多いです。例えば今日だったらREINGのFounderという肩書きがあったり、小さい頃からだと女の子っていうものがあったり、地元の小さなコミュニティでは「大谷さんちの」明日香ちゃんだったり。他にも、日本人であり、九州の福岡の出身で、年齢でいうと30代、既婚か未婚かでいうと事実婚という形をとっていて、東京在住、血液型はO型。実はいま、がんを患っていて、がん患者でもあります。

こんなふうに、自分を表すラベルはたくさんある。これに対して、自分の認識とは別に、社会側がどういうふうに見ているかとなったとき、これがすごくおもしろいんですよね。例えば、福岡県民は目立ちたがり屋の楽天家って書かれていたり、博多女子は美人が多くて明るくてしっかり者で男性を支える人が多いとか。あと、「30代女性」って検索すると、結婚できないとか婚活についての記事がめちゃくちゃ出てくる。O型女子の特徴みたいな、こういう画像があったりもする。それって、自分を知るツールになることもあるんですよね。占いとかで「あなたはこういうタイプですよ」って言われるのはちょっと楽しかったりもするじゃないですか。そういうものに当てはめて、逆に自分らしさを見つけていくというのもあると思っていて。傾向を知るとか、自分らしさを考えるきっかけになるならすごくいいなと思います。

ただ一方で、そういうラベルについて難しさや、危うさを感じていることもあります。理想的な姿としては、まず個人が確立、確立というとちょっと違うんですが、自分自身が何者かということが自分としてしっくりきていて、本当に好きなものや自分が求めていることを選べた上で、家庭や職場、学校、そして社会に向き合っていけるといいなと思います。でも現実的には、先ほど紹介したような社会的なイメージにすごく影響を受けて個人が構成されていることの方が多い。私の場合は、一番小さい家庭というコミュニティの中で、子供の頃から弟とどうしても比較されて、女の子だから、男の子だからでかなり分けて語られてきました。そういう周囲の目、他者の視線のようなことは家庭から始まって社会とつながっていくと思います。そういう意味で、私は小さい頃から圧倒的に大きな社会の壁みたいなものを感じることが多かったなと思っています。

社会にどんな課題が存在するのかというと、まず私自身がずっと向き合ってきたものとしてはジェンダーの不平等性があります。他にも、人種差別、ルッキズム、エイジズム、地域格差や経済格差など、自分が変えられないものに関する差別や格差みたいなものはすごく大きいです。

私がよく考えるのは、所属しているコミュニティとか社会が決めた枠とか箱の中で自分らしさをつくるのではなくて、自分という枠がまず大きくあって、その中に家族や社会を適応させていくようなことって可能なのかな、ということです。私の中では、自分を考える時にどうしても社会や他者との関係性は切り離せないので、じゃあそことどう向き合いながら自分らしさを考えていけるんだろうか。社会や他者と自分の間に生じてしまう大きなギャップに、仕事や自分がやっていることでどう関与していけるんだろうか、ということを考えて活動しています。

私たちが、社会側が定義する「らしさ」に囚われずに、個々人のあり方をそれぞれに祝福できるようになるためには、どんな環境や風潮が必要なんだろうというところを、自分が何をやっていても、どんなラベルを身につけていたとしても、ずっと考え続けていきたいなと思っていて、こういうことを考えるのが私らしい私だな、と今は思っています。

「ぼくも着ていいんですか」となぜ思うのか

今津:ぼく、大谷さんとお話させていただく前にちょっと見てみようと思って、REINGのアンダーウェアを見てみたんですよ。ぼくはシスジェンダーの男なんですけど、これを気軽な気持ちで着てみたりすることはありなんだろうかって、ちょっと聞いてみたいと思って。ぼくはジェンダーについては疎いというか、そこに対してはあまり違和感を感じてきませんでした。ぼくは男性で、男性が中心になってつくった社会システムの中でやってきて、そういうことに対してあまり意識を持たずにきた世代です。それでも、まずこの下着を着てみようとかっていうこともありなのか、聞いてみたいです。

大谷:逆に、なんで着れないって思うんだろうなっていうところを考えてみていただけるとすごくうれしいです。作った当初ほんとによく聞かれたのは、「これは男性向けですか、女性向けですか」っていうことと、あとは今津さんがおっしゃったような「ぼくでも着ていいんですか」みたいなことなんですけど、私たちは誰向けって一切言っていないんですよね。私たちのアンダーウェアのウェブサイトなどのビジュアルの中にはいろんな性別の人がいて、自認が女性の人もいれば男性の人もいるし、ノンバイナリーやトランス女性の人もいて、っていうだけの話なんですけど、それでなぜ男性だから着ちゃいけないと思ったんだろうって、そこを一緒に考えたいです。

今津:そう言われていま、ハッとしました。たぶん、無意識のうちにぼくの「ふつう」みたいなものがそう思わせてしまっているんですよね。例えば、ゴキブリって日本人は大嫌いですけど、世界にはゴキブリを普通に食べる人たちもいて。ぼくらがゴキブリが出たら叩くというのも、結局ぼくらの「ふつう」がそうさせているみたいなことと同じなんですかね。

大谷:そこが先ほど話した「社会」の話だと思っていて、自分が所属するコミュニティによって正義や正解のあり方も変わるじゃないですか。それって自分が生み出している可能性もあれば、社会側の影響が大きいこともあって、切り離せないと思うんですよね。なので、自分だけの責任ではないと感じていて。そういうものを問い直したりとか、本当はどうなんだろうって、それこそラベルを剥がしていくみたいな作業をしていく、気づくきっかけがあるかどうかっていうのは、その人の環境とか生き方によって変わってくるなと思ったりします。

ラベルに囚われたくないっていうのはいろんな人が思ってると思うんですけど、現実社会には囚われてしまうような仕組みや構造があると思うんですよ。自分が当たり前だと思ってたことが、違う場所に行ったら全然当たり前じゃないということもあります。自分の中でそういう普通とか当たり前みたいなものが構築されていった時に、それって本当に自分が選びたかったものなのかということだったり、それが「自分らしさ」を構築するのにどれくらい影響を与えているのか考えないといけない。ラベルと自分は切り離せないけれど、でも切り離さないと見つけられない部分もあるなと思っていて。私自身はラベルをいったん剥がして、またそれをまとってみて考えるみたいなことをよくやっています。

今津:「壌(JYOU)」でのインタビューでも、「私たちがやっていることって『全部のラベルを剥がしたらどうなるんだろう?』という試行錯誤なんです。結果的にそれが伝わることもあれば、また違うラベルを貼られることもあって、それがすごく興味深いなって。」と語っていらっしゃいますね。

大谷:REINGのアンダーウェアで、男性向け、女性向けというラベルを一切外したんですが、それで逆に「ジェンダーレスブランド」っていうラベルを与えられたりもして。私たち自身は、ジェンダーレスという言葉ではなく「ジェンダーニュートラル」という言葉を選びました。私たちはジェンダーに対して、あらゆる可能性があるというか、本当に流動的なものだと思っているので、それをニュートラルに捉えていきたいという意味がその言葉に込められています。あえてひとつのラベルとして、自分たちを表現するものとして、ジェンダーニュートラルという言葉を選んだんです。勝手にラベルを貼られるなら、自分たちで貼ってしまおうと。

今津:他の企業とのコラボレーションではどんなことを考えながらコミュニケーションをとっていますか?

大谷:企業もなんらかの意図や考えがあったりする中で、私たちが気をつけていることとしては、マーケティングとして新しく潮流をつくろうみたいなことよりは、多様な個人個人と向き合うことを大事にしています。今まで漏れていた視点だったり、考えなきゃいけなかったポイントってどこにあったんだろうということをチームの中で問いかけることが多いですね。

今津:多様な個のあり方に対してアプローチするって、決まった的に当てにいくわけじゃないので難しそうですね。

大谷:本当に難しいです。最終的には、大量生産大量消費のあり方が変わらないと、なかなか変わらないことが多いなと思います。戦後の経済成長の中、たくさん速く売るのが正義だった時代は、「女性はこういうライフスタイルだから、こういうものが好きでしょ」ってイメージをつけた方が企業側としては都合がよかったんですよね。イメージをつくって煽って、そこに自分からはまりにいく人をつくっていく。長くそれが続いた結果、そのイメージが凝り固まって固定化されてしまって、偏りを生んでしまっているのでは、と感じることがあります。私たちも「誰々向けって言わないと売れないよ」とか「結局誰のためのものなの?」とかよく言われたんですが、「このデザインが好き」と思ってくれた全ての人に買ってもらえればいいと思っていて。いろんなイメージを作ったり壊したり、ラベルを取ってみたり付けてみたりを繰り返して、どうやったら「好き」だけで選んでもらえるようになるんだろうというのをずっと考え続けていくんだろうなと思います。

今津:今更気づいたんですが、ラベルを剥がすっていうのはつまり、ぼくたちが当たり前のものとして受け入れているものを一度アンラーニングするというか、自分がそれにはまっている状態からちょっと距離を取るようなことなんですね。

大谷:そうですね。気に入ったんだけれども、男性向けって書いてあるから自分は買えないと思ってしまうみたいなことがあったりすると、それって誰のためのラベルなんだろうと疑問に思いますね。

今津:そういうことってありますよね。ぼくもこの間お店で、きれいな色のシャツだなと思ってよく見たら女性向けだったので、買わずに立ち去ったということがありました。

大谷:そうですよね。でも、それは今津さんがいいとか悪いとかではなくて、私としては作る側、その場を用意する側がもっと工夫できることがあるんじゃないかと感じます。

「枠」に囚われず、使いこなす

今津:4つほど、コメントで頂いた質問をご紹介します。まず1つ目。「ラベルは自分でつくれるのでしょうか、そもそもラベルは必要ないのでしょうか。ジェンダーなどがいずれもフリーになれば、どのように自分が生きる方向を見つけていけばいいと思われますか?」

大谷:正直なところ、ラベル的なものは全部なくなればいいとも思うんですけど、一方で、言葉とか知識が自分を助けてくれる部分もあるなと感じていて。例えば自分のセクシュアリティについて、私の場合は「男性だから好き」ということに対する違和感があって、でも「同性だから好き」というわけでもなく、もやもやを抱えてきたんです。大人になって初めて自分と同じセクシュアリティの人と出会って、「パンセクシャル」という言葉を知って、私って変じゃなかったんだと知ることができた。そんなふうに、自分を知ることができる枠というものもあると思っています。ただ、その言葉に蓄積されたイメージに左右されないというか、そこに不必要に囚われないというのが大事なことなのかなと思います。

今津:つづいて、「受け継がれてきた遺伝子を引き継ぐための生殖という観点から男女の区別があり、また女性の高齢出産にはリスクがあるため女性に対するエイジズムのような考え方も出てきてしまうのだと思います。ジェンダーの問題とこの妊孕性(妊娠するための力のこと)をどのように俯瞰して考えればいいのかとても悩みます」という質問です。

大谷:私は、ジェンダーやセクシュアリティのあり方を生殖の責任の話につなげ、個人に押し付けるのは反対です。ただ、これについては様々な意見があると思いますし、この回答は完全に私個人の意見として受け取っていただけたらと思います。私はよく母から、女性だからやっぱり人間の使命として出産しなければいけないというようなことを言われてきたんですが、私にとってそれはものすごく苦痛でした。女性が必ず子供を産むわけではないし、子供を産むか産まないかで女性であるかそうでないかを決めることはできません。「リプロダクティブ・ヘルス / ライツ」(性と生殖に関する健康と権利。自分の身体について自分で選び、決定する権利のこと)の考え方もとても重要です。個人的には、「人間を生産性で語らない」ということをすごく大事にしています。

今津:次に、「本当の自分らしさと自分に貼られたラベルの狭間で、違和感を持ったり苦しんだりしている人がいる。その一方で違和感を持たない人もいると思います。その違和感を持たない人に対してどういうふうに思っていらっしゃいますか?」という質問です。

大谷:違和感を持たない人の方が多いんじゃないかと個人的には思っています。私家族もあまり違和感を持っていないようなのですが、最近私は母や家族にも自分の持つ違和感について話すようになりました。人からかけられた言葉がちょっと嫌だなと思った時にも、私自身はこう思うとか、今少し傷ついているということを伝えるようにしています。今までそういう時は、相手も別に悪気があって言ってるわけじゃないしと、流すようにしていたんですが、それってその人に対して諦めてるっていうことだと思って、最近は伝えることを大事にしています。

今津:最後、「違和感に押しつぶされることなく、どうしたら保持し続けられるでしょうか」という質問です。

大谷:これは難しいですよね。私も何度も押しつぶされそうになったというか、いまだにそういうことはあります。願いとしては、誰かと、本当に信頼できる誰かひとりでいいので、違和感を共有してもらえたら嬉しいなと思っていて。逆に私は周りの人にとってはそれを聞ける存在でいたいと思います。話してみるというのは、その違和感をないがしろにしていないということだと思うんです。その瞬間に解消できないとしても、誰かとシェアすることでちょっと軽くなるかもしれないし、見方を少し変えることができるかもしれない。一緒に抱えるというのを意識できると、つぶされずに済むんじゃないかと思いますし、つぶされない社会にするために、少しずつそういうことをシェアしやすい環境をつくっていかないといけないなと思います。

今津:ありがとうございます。最後に、今日の感想を一言お願いします。

大谷:私は自分の持っている違和感について話すことは多いのですが、聞いてくださったみなさんも、もやもやについてちょっと話してみる一歩が踏み出せるように、今日がそのきっかけになったらすごくうれしいなと思いました。

今津:大谷さん、今日はありがとうございました。

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