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「居てもいい場所」 をデザインする | 「壌(JYOU)」スピンオフゼミ | Vol.1

SOCIAL WORKERS LABが今年3月にリリースしたメディア「壌 (JYOU)」では、多様な業界・領域に散らばる福祉の視点をもったひと・もの・ことを可視化し、すき込むことで、「私たちはどうすれば幸せに暮らせるのか」や、「そもそも幸せな暮らしとはなにか」を模索してきました。

スピンオフゼミでは、「壌 (JYOU)」でインタビューを受けてくださった方々をゲストに、記事の内容をさらに深掘りしていきます。第一回のゲストは、〈「居てもいい場所」 をデザインする。 にじんだ線で描かれるこれからの建築〉をテーマにお話しいただいた建築家・山﨑健太郎さんです。

「病院に、遊びに行こう」というコンセプトのもと、公園のように様々な人々が行き交う場所として構想された「ビジョンパーク」。「保育園は大きな家である」という考えのもと、設計された「はくすい保育園」。山﨑さんのつくりだす空間には、そこに来る人々、誰もがお互いに空間を楽しめるようなエッセンスがちりばめられています。人々が集まるつながりをどのようにつくりだしていくのか、山﨑さんの視点や考えるプロセスをSWLABディレクター今津がモデレーターをつとめながら、ひも解いていきました。

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山﨑 健太郎(やまざき けんたろう)
株式会社山﨑健太郎デザインワークショップ 代表取締役
工学院大学、東京理科大学、早稲田大学非常勤講師。法政大学兼任講師。グッドデザイン賞審査委員。沖縄の地域住民と一緒に琉球石灰岩を積んで建設した「糸満漁民食堂」、斜面を活かした階段状の「はくすい保育園」視覚障害者の支援施設「ビジョンパーク」等で、これまでに国内外多数のアワードを受賞。刺激的な建築であることよりも、子供から高齢者まで様々な人々に受け入られ、人生の一部となっていくような建築を目指している。

「ひとり」でも「みんなでいる」という豊かさ

今津:山﨑さん、今日はよろしくお願いいたします。ぼくたち、同い年なんですよね。76世代ということで、打ち合わせで初めて顔を合わせた時から意気投合して。

山﨑:そうですね、はじめてではないみたいでしたよね。今日はよろしくお願いします。ではまずぼくから、自己紹介も兼ねてこれまでの仕事をご紹介します。

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最初に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》という一枚の絵をご覧いただきたいと思います。ぼくが仕事をする上で「公共」とか「みんなでいる場所」について考える時、なんとなくこの絵を思い浮かべることが多いんです。この絵に描かれている人たちは、みんなでいるんだけど、それぞれ川の方を向いて思い思いにひとりで過ごしているんですよね。「みんなでいる」ということは、必ずしもみんなで一緒にわいわいすることだけではないんだということをこの絵は教えてくれます。こういう豊かさをどうやったらつくれるんだろうと日々考えています。

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これは沖縄の「糸満漁民食堂」です。この壁は沖縄でたくさん採れる琉球石灰岩を、昔ながらの方法で積んでつくっています。石積みは地域のみなさんと一緒に行いました。なぜそうしたかというと、ぼくが全部パーフェクトに建築を作り込んで、いきなり「はい、どうぞ使ってください」と渡すということにとっても違和感があったからなんです。どうやったら自然にバトンを渡して、建築をみなさんのものにしていってもらえるんだろうと考えながらつくりました。

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こちらは千葉県佐倉市の「はくすい保育園」です。斜面に立っていて、保育室が段々になっています。保育士さんが管理しやすい保育園よりも、子供たちがのびのびと楽しく過ごせる保育園の方がいいんだろうなということを考えてこんな建物をつくりました。なるべくエアコンも使わず、吹き抜ける風や屋根に降る雨を室温の調整に使っています。

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つづいてご紹介するのは、現在設計中のデイサービスです。この建物は、いつの間にか忘れられた昔の暮らしに思いを馳せて設計しています。かつては村人がみんな総出でひとつの家の屋根を葺き替えたり、土間に勝手に上がり込んだりしていました。縁側をイメージした横に長いこの建物に、おじいちゃんもおばあちゃんも地域の人たちも入ってくることができます。地域の子供たちも、ここに来てご飯を食べてお手伝いをして、おじいちゃんの面倒見て一緒に過ごして帰るような。近代以前の日本の暮らしを取り戻すとか思い出してみるということが、もしかしたら実現できるんじゃないか。そんなことを考えながら今つくっているのがこの建物です。

建築が与え続ける「控えめな力」

山﨑:次にご紹介するのは、「壌」の記事で話題の中心となっている、神戸アイセンター内の「ビジョンパーク」です。私は、人が「いる」ための場所、あるいは「いる」ための方法って何かあるんじゃないかとずっと気になっていたのですが、このビジョンパークの設計を始める頃に、「居方」の研究をしている近畿大学の鈴木毅先生に偶然出会いました。

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これは鈴木先生がよくお使いになる写真です。老紳士が椅子に座っているところを後ろから見ているという構図の写真ですが、これを見ていると、この老紳士は全然知らない誰かではなくて、どこか親密な、この人を「あなた」と呼べそうな認識が芽生えてきませんか、と先生は言うんです。自分が他者を見るまなざしに変化を感じる、そんな写真を先生はたくさん持っていて、さまざまな居方があるんだということを教えてくださいました。

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ビジョンパークは、そういったさまざまな居方ができる場所、いろんな人たちがいられる場所にしたいと思いました。ビジョンパークは、視覚に障害をお持ちの方が多く来られる病院のエントランスにあります。例えば、視力を失って死にたくなっているような人もいれば、視覚障害を受け入れてもう元気になっている人もいる。そういういろいろな人たちを一緒の空間で支援することを目指し、実際に視覚障害のある方と一緒にワークショップをやりながら空間をつくりあげていきました。

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これで仕事の紹介は最後になりますが、先日ホスピスを設計しました。病院って、中にいてあまり気持ちよくないですよね。それは病院が建築計画的には監獄と同じだからなんです。廊下を真ん中にして、左右に部屋が貼り付いている。私たちがつくるホスピスは、もっと日常的な場所にしたいと思いました。部屋と庭とつながっていて変化があって、患者さんにも家族にも友達にも居場所があり、子供にとっては遊び場にもなる。ゆっくり過ごしたり、立ち止まれる場所、見守れる場所、逃げ場所もある。そういう建物の方がいいんじゃないかと考えて設計しました。

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最後に、建築評論家のウィリアム・カーチスの言葉を紹介します。建築ってなんだろう、建築はなんの役に立つんだろうって、いつも考えながら仕事をしているんですが、この言葉はその答えのひとつであると思います。建築は一度存在しちゃうととっても長い。長い時間をかけて、そこで過ごす人たちにとって大切な控えめな力をずっと与え続けるものじゃないか。そういうふうに思って私はいつも仕事をしています。

使う人に委ねる建築

今津:山﨑さん、ありがとうございました。ここからはクロストークに入っていきます。最後にご紹介いただいたウィリアム・カーチスの言葉、これを聞いて私は「壌」の記事の中のこの一節を思い出しました。

“ 僕は建築が家族の形をはっきりさせているんじゃないかなと思っていて。マンションに住んでいると防火や防犯の観点からしっかり区画されていて、この区画に住んでることが『家族』っていうふうになる。でも、もし建築が変わったら、マンション自体が区画になって大きな家族だって錯覚するようなことも起こるんじゃないかと思って。”

実はぼくたちって無意識のうちに、建築や環境、そして社会の文脈のようなものからすごく大きな影響を受けているんだなと思ったのですが、そういったところからお話を始めましょうか。

山﨑:「建築」というとみなさんいろんなものを思い浮かべると思いますが、簡単に言うと「環境」だとぼくは思っています。このマンションの例で言うと、マンションの廊下って玄関扉がずらっと並んでいて、立ち止まっていたら他人のプライバシーを侵してしまう場所になっています。だから、廊下はなんとなく「悪い場所」だって環境から刷り込まれているし、鉄扉で囲われた私の家とお隣の家は別々の家族だって思わされちゃっているんです、きっと。毎日毎日そこで暮らしているから、そういうもんだって自然に思ってしまう。だからその環境が変わると、もしかしたら家族観も変わるかもしれないですよね。

今津:この間、夜に醤油が切れたんですよね。ぼくはマンションに住んでいるので、お醤油くらいちょっと他の家に借りに行ったらいいんじゃないかって思ったんですよ。でも、なんか借りちゃいけないような気がしてしまって。

山﨑:それはしょうがないんですよ。マンションって、扉を開けると即「ひとんち」に入っちゃうから。昔の家には土間ってありましたよね。土間はよその人が入り込んでもいい場所です。ちゃんとプライバシーが守られている場所はもっと家の奥の方にあって、土間は社会と住居の間のバッファゾーンになっていた。そういうものが昔は社会の中に実装されていたんだけれど、現代の日本の都市の中でそういう場所ってないんですよ。だから、全然知らない人とどうやって交流していいかわからなくなってしまった。沖縄には「ゆんたく」(近所の人たちが自然と集まって始まる井戸端会議)の文化が残っていたりしますけどね。

今津:沖縄の糸満漁民食堂は、山﨑さんの中でも転機になったお仕事だったのかなと思うのですが、それ以前と以降でなにか変わったことはありましたか?

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山﨑:糸満漁民食堂をやる前は、どうしてもぼくらの仕事って、自分たちが絵を描いて模型を作ってプレゼンテーションして、クライアントに了解してもらって、建設会社や工務店がそれ通りに作って、それをクライアントがもらう、そういう流れしかないんだよなと思っていたんです。全部僕らが決めちゃうみたいな。

でも、糸満漁民食堂の仕事は「沖縄の伝統的な食文化を残したいからレストランを作りたい」というのがリクエストだったんですね。それってすごく感動的で大きなビジョンじゃないですか。僕がその未来を全部引き受けて、ぼくの建築の空間で、全てぼくの責任で、「はい、できました。これでどうですか?」って言うわけにはいかないなって思ったんですよ。

ぼくが自分の責任を一生懸命果たすことはもちろんなんだけれど、これはぼくだけが決めることではないなと。もっとみんなが「この未来っていいじゃん」「賛同するよ、協力するよ」っていう状況がないと、みんなが求めるものはできないんじゃないかという疑問が湧いてきました。でもどうしていいかわからなくて。それで、昔の人たちがどうやっていたのかを思い出してみようと思ったんです。

沖縄では昔から集落の人たちで琉球石灰岩を積んで塀を作っていた。それはとても大変な作業なんですけど、「みんなでやってみますか?」って建主さんに聞いてみたんです。そしたらやるって言うんで、地域の人たちと協力して3日間かけて石を積みました。みなさん血豆をいっぱい作りながら、それでも一生懸命頑張る。不思議な体験でした。あぁ、僕がひとりでやらなくてもいいんだって思いましたね。どこかで正しいやり方で使う人たちに委ねることができれば、一緒になって考えてビジョンに向かって進んでいくことができるんじゃないか。建築ってそういうことが可能なものなんじゃないかって。

今津:30年くらい前、ぼくたちが子供だった頃って、公園や道路、学校とかがもっと透け透けだったというか、壁がなかったような気がするんですね。今はいろんなものが区分けされすぎていると感じていて、みんなで一緒に屋根の葺き替えをするようなことがもっとあってもいいんじゃないかと思います。

過剰なやさしさで包むのは、実はひどいこと

今津:ビジョンパークでは、山﨑さんは人間と空間とがうまく使い合うということを考えられていますよね。建築や空間が主導になるのではなく、それと同等なものとして人が協働するという。そうすると人に負荷がかかるわけですが、それでOKなんだというのがおもしろかったです。

山﨑:そうそう。昔の建築って、至れり尽くせりだったんです。建築がなんでもしてあげますよって、暑い寒いも全部コントロールしてあげるし、そこで過ごす人はなにもしなくていいですよっていう。そういう場所もあってもいいかもしれないんだけど、もうちょっと空間と人は仲良しになっていった方がいい。建築ばっかりが人のことを全部ケアしてあげ続けるんじゃなくて、人間が働きかけて、空間と仲良くしてあげるような環境をつくった方が幸せだなとぼくは思っているんです。そういう意味で、ビジョンパークには人間が空間に介在する余地をつくってあります。

今津:段差があったり、手すりがなかったりしますもんね。

山﨑:街に出たら、段差なんて普通にありますよね。だから、段差があっても、慣れていったり誰かに手助けしてもらったりすれば、視覚障害のある方もその空間を使いこなせるんだっていうことをビジョンパークで示したいんだと。ぼくは病院からのリクエストをそう理解したんです。それはみんなにとって勇気になる。

でも、ぼくは逆に勇気が出なかったですね。「誰かが怪我したらやだな」とかって思うから。でもね、実際にモックアップを作って視覚障害のある方に試してもらったら、「全然こんなの平気だよ」って言うわけです。びっくりしちゃいました。やってはいけないことというのは、彼らがチャレンジすればできることを、それを知らない僕たちができないって決めつけてしまうことなんだと思いました。過剰なやさしさで包むというのは、実はひどいことなんだと。その人がどれだけできるかっていうことを引き出すために、お互い勇気を持って歩み寄った方がいいんですよね。でも一方で、ワークショップに参加してくれた人が視覚障害者の全てだと思ってはいけないし、押し付けるようなことはしてはいけない。そこは難しいところですね。

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今津:今のお話を聞いて、ぼくはリハビリのことを連想しました。バリアフリーでストレスがかからない方がいい場面ももちろんあるけれど、適切にストレスがかかっていることによって元気でいられるとか、そういうこともありますよね。

山﨑:元気な人はどんな場所でも使いこなせちゃうんだけど、弱っている人には空間がちょっとサポートしてあげた方がいい。例えばパーティー会場を思い浮かべてみてください。すごく社交的に振る舞っている人もいれば、ぽつんとひとりでいる人もいる。ひとりでいる人は所在ないと楽しくなくなっちゃうんだけれど、空間はその人がそこにいてもいい理由を提供してあげられる。例えば夜景がきれいなテラスがあったら、ひとりでグラスを持って佇んでいてもよくなるじゃないですか。そういう、ひとりでいてもみんなでいられる場所がたくさんあった方が社会の暮らしは豊かになる。元気な人たちだけじゃなくて、気持ちが弱くなっている人たちも空間に参加できることが大切ですよね。

今津:空間の形が決まりきっていると、その目的に合う人しか来られなくて息苦しくなってくる。だからもっとでこぼこした、余白のある空間をつくった方がいいっていうことなんですかね。

山﨑:そうそう、そんなイメージです。

福祉も建築も、人と人の関係や場をつくる仕事

今津:最後に少し、「壌」の記事で山﨑さんにインタビューをしたライターの新原なりかさんに登場していただきます。ここまでの山﨑さんのお話を聞いての感想や質問があればお願いします。

WEBメディア「壌JYOU」コンテンツディレクター
新原なりかさん

新原:まずは感想から。山﨑さんのお話を聞いていていつも印象的なのが、「死にたくなっている人」とか「弱っている人」、あと「逃げ場」だとか、そういった言葉が頻繁に出てくることです。私は、建築とか設計って、美しい理想ばかりを掲げがちだというイメージを持っていて。その中で、山﨑さんはマイナスなイメージを持つ言葉をちゃんと使っているのがすごいなと思うんです。しかも、単にリスクヘッジのために「弱い立場の人のこともちゃんと考えてますよ」っていうポーズをとっているのではなく、本当にさまざまな状態の人に寄り添っているんだなと感じられる。そういうまなざしって、広い視野で福祉というものを考える時にも大事なものだと思います。ここから質問になるんですが、山﨑さんにとって、このようなまなざしを持つようになったきっかけとか原点となっているものはなにかあるのでしょうか?

山﨑:うーん、原点ってなんでしょうね。なんでそういうふうに思ってるのか……。たしかに新原さんの言うとおり、建築って元気な人のためにつくってあることが圧倒的に多いんです。例えば商業施設は、買い物したくなるように、刺激を大きくするためにつくられている。でも、ほんとはそれだけじゃないって思ってるんです。現代の建築というのは基本的に、健康で五体満足な個人のためにつくられてきたっていう事実があると思うんですが、それに対してはNOだなって激しく思う。昔から、そういう一部の人しか念頭に置いていない建築を見ても、いいなと思わなかったんです。なんか気持ちよくない空間だなとか、なんか豊かじゃないなと思った。

じゃあ、ぼくの好きな建築ってどういう建築なんだろうって考えながらやっていったら、いろんな人たちにとってやさしいとか、いろんな居場所をつくっているみたいな建築が自分の感性に合っているんだなということがわかってきた。あと、自分がそういう人間になりたいっていうのもあるんですよ。いろんな人たちに同じように接する人間でいたいというか。それは当たり前のことかもしれないけれど、仕事を通じてそういう人間でありたいと思っているところがあります。

実際この仕事をしていて、自分の中にあったいろいろなバイアスが取っ払われているなと感じます。だけど、今でもやっぱり認知症のおじいちゃんと一緒にいるとこわいなって思ったりすることもあるし、視覚障害のある人と一緒にいるとどうやって接したらいいのかわからない時もある。でもなんか普通でいられるというか。うーん、むしろ普通でいたいと思ってしまっていることすら本当はなくしたいんだけど……。建築には設計者のひととなりがどうしても出てくるから、いい建築をつくりたいなと思うことと、そういうふうに生きたいなと思うことはつながっているんですよね。

今津:山﨑さんご自身と山﨑さんの設計するものが相似関係にあるということを、すごく意識してらっしゃるんですね。最後に、山﨑さんが7人の建築家の方にインタビューして書かれた『「山」と「谷」を楽しむ建築家の人生』という本を紹介したいと思います。この本の「始めに」の中で山﨑さんは「『建築家』という職業はなく、建築に関わっていく『生き方』」があるんだと書かれています。この「建築家」のところは「福祉家」や「ソーシャルワーカー」と言い換えることができるんじゃないかと僕は思います。

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山﨑:ぼくは建築の設計をして環境をつくる仕事をしているけれど、今一緒に仕事をしている介護や医療の方とは、領域は違えどほとんど同じことを考えてるんだなと思うことがあります。今日も今津さんとお話ししていてそういうことを感じられました。

今津:福祉も建築も、人と人との関係や場をつくる仕事だと考えると、共通していることはたくさんありますね。山﨑さん、本日はありがとうございました。

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WEBメディア「壌(JYOU)」 ISSUE 01 「LIFE OF LINES」

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