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蜜のはなし

こんにちは。スイスラボの言語学者 Yamayoyam です。

私はひょんなことからリトアニア語の歴史に興味を持って、大学院の修士課程からリトアニア語の勉強を始めました。今回は、リトアニア語と日本語が古くから共有していた「みつ」という言葉について、思い出話とともに綴ろうと思います。

学部3回生のときに言語学研究室への配属を選び、印欧語比較歴史言語学というのに出会いました。地理的にある程度つながりのある地域で、体系的な類似性が相互に観察できる言語たちがあります。ヨーロッパで古くから使われている諸言語や、古代インドや古代小アジア(アナトリア半島とも言う。今トルコがあるところです)で使われていたインド・ヨーロッパ諸語も、そんな言語たちです。比較歴史言語学は、言語間の体系的な類似性を、きっと共通の祖先があってそこから共通の類似性が受け継がれてきたに違いないのだという仮説の根拠にします。そしてその仮説のもとに印欧語歴史言語学では、共通の祖先(インド・ヨーロッパ諸語の場合は「印欧祖語」)を復元(=再建)したり、祖語から各インド・ヨーロッパ諸言語へと変化していった流れを研究します。

この「体系的な類似性」の分析というのが、時にパズルを解くようでいて、でもしばしばそれぞれの言語の特有な歴史に振り回されて、とても面白いのでした。そしてインド・ヨーロッパ諸語の中でも、アクセントにユニークな歴史的変化が隠されている!というリトアニア語に心惹かれて、修士課程からリトアニア語の勉強を始めました。

リトアニア語やその他の親戚の言語を歴史言語学の手法で研究するのはとても面白いけれど、やはり時々、日本人なのに日本語にかすりもしない研究ばっかりやってるのはちょっと寂しいな、と思っていました。印欧語歴史言語学を選択したのはドコのダレだ!?っていう話なんですけれどもね。

そんなとき、確かY先生のソグド語の勉強会で(ウン十年前の記憶でウロ覚え)、

日本語の「みつ」は、実は印欧語の *medʰu- 「蜜」が、仏典の翻訳を通してトカラ語 → 中国語 → 日本語に渡ってきたもの

と知ったのでした。Y先生は「そんなの君らみんな知ってるだろう」といった感じでサラッと仰ったのですが、私はそれが初耳で、とても印象に残ったのでした。※1

この話が印象に残ったのは、仏典の伝播力すごい!とか、借用語がこんなに遠くまで伝わってくることに感銘を受けたからだけではありませんでした。日頃インド・ヨーロッパ諸語とは縁がないよなぁ、系統的にも、類型的にも・・・と思っていたのが、意外にも借用語つながりでチョットだけどとても古い縁があったことを知って、なんだか嬉しかったからです。

印欧語の *médʰu-「蜜」(中性名詞)は、ほぼすべての印欧語派に記録がある単語です。

楔形文字ルウィ語 maddu-「酒」
トカラ語B mit「蜂蜜」
サンスクリット語 mádhu-「蜂蜜」
新アヴェスタ maδu-「濃い酒」
ギリシャ語 μέθυ「酒」
古高ドイツ語 mitu / metu「蜂蜜酒」(男性)
古アイルランド語 mid「蜂蜜酒」
古教会スラブ語 medъ 「蜂蜜」(男性)
スロベニア語 med 「蜂蜜」(男性)
古プロシア語 meddo 「蜂蜜」
ラトビア語 mȩdus 「蜂蜜」(男性)
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挙げはじめるとキリが無いかも・・・。

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スロベニアの蜂蜜

印欧祖語の話者が暮らしていたのは今から約5000~6000年前と言われますから、もうその頃には使われていて、しかもその後数千年のあいだ安定して使われ続けている単語です。

当然リトアニア語にも受け継がれていて、 medus 「蜂蜜」といいます。印欧祖語同様、u-語幹として格変化(曲用)する名詞です。文法性は中性から男性になっちゃったけど(※2)、こんなに長いあいだ語幹母音が変わらないのは感動モノ。

「語幹母音 (stem vowel)」というのは、単語のもっとも基本的な意味を担う語根に付加されて、いわゆる語幹を作る接辞 (suffix) の母音のことです。※3 *Médʰu- の場合は *medʰ- が語根で *-(e)u- が接辞ということになります。ただし、この接辞は 単数主格 *médʰ-u-m、単数属格 *m(e)dʰ-éu-s のように、格変化に伴うアクセントの有無に応じて強形の éu をとったり、u のみの弱形をとったりします。こんな風に、語形変化に伴って、接辞に -e- がくっついたり消えたり(長くなることもあるのですが!)することを、母音交代と言います。

リトアニア語でこの接辞 -(e)u- は語幹母音として保持されていて、若干ですけれども母音交代の名残りも残っていて、今ではこんな風に(↓)格変化します。

主格(~ガ)    medùs
属格(~ノ)    meds
与格(~ニ)    mẽdui
対格(~ヲ)    mẽdų
具格(~ト)    medumì
位格(~デ・ニ)  medujè
呼格(呼びかけ)  med

何と7つも格があります!印欧祖語にはもう一つ「奪格(~カラ)」がありましたが、バルト語では属格と融合するか消えるかして無くなりました。単数形のみ抜き出しましたが、双数・複数形もあるんですよ。双数の出番は限られているけれど。まさに屈折言語の中の屈折言語!であります。

Medus で思い出すのは、リトアニアの medaus alus 「蜂蜜ビール」。Medaus は medus の単数属格形ですから、medaus alus はマンマ「蜂蜜のビール」という意味。2013年にリトアニアに語学研修に行ったときに、この蜂蜜ビールというのを他の参加者達と居酒屋で飲みました。ジョッキに注がれてしまってどのメーカーのだったかは覚えていませんが、これ(↓)。

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ほのかな甘さと蜂蜜の香りがホップの苦味や爽やかな風味にとてもよくマッチしていて美味しかったのを覚えています。ベルンに 「Drink of the world」という輸入酒店があって、もしかしてリトアニア産のビールも売っていないかな?と期待したのですが、蜂蜜ビールは売っていませんでした。沈。あの時の味を忘れないようにしたいと思います。

日本語はリトアニア語と一ミクロンも縁がなくてちょっと寂しいなと思っていたけど、こんな風に「蜜」を何千年も共有していたのだと知って嬉しかったという思い出のお話でした。ワタクシ的にはしんみりする小咄だったのですが、いかがだったでしょうか?

Yamayoyam

※1 後日調べてみたところ、これを最初に指摘したのは Evgenij Dmitrievich Polivanov という言語学者で、1916年発行の雑誌 Записки Восточного Отделения Императорского Русского Археологического Общества(『ロシア帝国考古学会東方部会会報』)第23号掲載の “Индо-европейское *medhu— обще-китайское *mit”(「インド・ヨーロッパ祖語 *medhu — 中国共通祖語 *mit」)という論文で発表したものでした。
※2 リトアニア語とラトビア語では中性名詞のカテゴリーがなくなってしまったので、元中性名詞は男性名詞に移行しました。
※3 ちょっとややこしくなりますが・・・。語根のあとに、多くの場合、補助的な機能や意味を付加する接辞がつきます。バルト語で言う語幹母音は、そんな接辞の一部であることもありますし、「幹母音(thematic vowel)」として語根や接辞の後に加えられた母音に由来することもあります。

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