「ちゃんと弾きたい」を横に置いておく練習してみた。
練習を録画してみました。
再生してみてビックリ!!
かつては散々練習練習していたはずなのに
裏の16分はつっこむし、よれるし
あー、こんなことで失敗しているようじゃ駄目だわー!
うわーーん
え?それって本当?
本当ですよ、
これは、
普通に音楽を演奏したりしない人が聞いても
なんか変だって思うレベルの演奏してるし、
聞いててつまんないし
え?絶対にぜっいに本当って言い切れる?
絶対かって考えてみると、
まあ、確実な演奏を聴いてもらうために録画したわけではないし、
そもそも、
旨く演奏したいって言う気持ちを、
手放して、
只弾いてみるっ
ていう実験をしてみているわけで、
アレクサンダーテクニーク的に探求する
という意味においては成功してるし、
新たな課題が見つかったって言うか
実際に仕事として演奏するときに、
どこまで、守りを入れるか、
どこまで、
身体が勝手に動いていくことに
任せていて良さそうかとか、
その辺がクリアになったし
じゃあ、その「こんなことで失敗しているようじゃ駄目だわー!」つまり、私は失敗してはいけないという考えがなかったとしたらどうなんだろ
その考えがなければ、
素直に演奏したいこと、
上達したいことにむかって
只シンプルに練習できるかなぁ
もしその考えが浮かんでこないとすれば
その思考のせいで
身体が防御力するモードに入ったり、
かたくなって、指が動きにくくなったり、
音を外してショックを受けたり
ということはなくなって、
いまより、
もっと楽に演奏できると思うんだよなぁ
じゃちょっとここで、言葉を置き換えて
私は失敗してはいけない
を
私は失敗して良い
だとどんな感じだろう
うん、そうそう、失敗して良いのよ
今までだって本番でも
数限りなく失敗してきているし汗
私は成功してはいけない
ん?これはあれかな、
上には上がいるみたいな?
こんなんで、成功とかいってんじゃねーよ
みたいな戒め的な苦しいやつ?
うん、素直に失敗すりゃー良いのよ
って、思っているほうが楽だな
私は失敗してはいけないという考えを完全に手放すことは出来ないので
私は失敗してしてもかまわない
私は失敗しすることを楽しみにしている
と考えることにしてみます。
なぜならこの先一生、失敗せずに演奏するなんて事は現実としてあり得ないから
反省は1拍までで、つぎの音を楽しみましょ
冒頭のかつては散々練習練習していたはずなのに
ここに、それって本当って問いかけると、ドツボにはまっていきそうなので、ここのnoteではなく、紙のノートで、ひっそりワークします。
あ、なんでこんなことを書いているのかというと
バイロン ケイティさんのThe Work と言う本を読んだので、やってみたんです。
もっと、一人でいろんな思考にワークのしてみると、もっと、腑に落ちやすいところまで行けそうな気がします。まだちょっと理解が雑なので、詳しい方がもし、この記事を読まれていたらご免なさい。
アレクサンダーテクニークも、身体技法のように思われがちですが、自分に向き合う思考のワークでもあるので、アレクサンダーテクニークのクラスでも、このワークには良く出くわします。
ただ、雑談の中で、え?それって本当ですかってやると、イラッとされますので止めておきましょうね。笑
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