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感覚?

複数の人数ではいった居酒屋さんで
サラダが出てくると

早速人数分に取り分けてくれる人がいる

その人たちの中にも、気遣いでやってくれる人もいれば、そうしなければならないと思ってそれをしてくれる人もいるだろうと思う

自分のタイミングで食べたい分だけ、自分で取りたい人もいるだろうし

取り分けてもらって嬉しい人もいれば取り分けてもらうのが普通だと思う人もいる

人それぞれデフォルトになってる価値観が違う

取り分けるのが当然だと思っている人が、もし、取り分けることを何らかの理由でやめたとしたら、周囲に申し訳ない気持ちになることもあるだろうし、それを誰かに遠慮されたらちょっと否定された気分になることもあるだろう、それをやめることで楽になったと感じるとおもう

普段取り分けない人が取り分けることを求められたら、ストレスを感じることもありそう

取り分けてもらうのが普通の人にとっては、取り分けてもらえないと残念に思ったりもするだろうし、好きなだけ取りたい人にとっては、サラダをそのまま置いておいて欲しいと思うだろう

ということて、ひとりひとり基本になっている考えが異なるので、サラダひとつでいろいろなおもいが入り乱れる

で!ここはサラダの代わりに焼き鳥でも良いです。

取り分けという行動ひとつで、一人一人評価がことなるからおもしろいですね

習慣として自分に根付いていることを止めようとしたときに、止めたように感じるか、それとも、しているように感じるかも、人それぞれ評価が違うように思います

例えば、歯を噛みしめる習慣を持った人が、それをやめたいと望んで、上の歯と下の歯をはなしておくと、それは、そうしているように感じる可能性と、止めたように感じる可能性どっちもあると思う

感覚で評価するはなしと、習慣を手放す話と混ざって自分の頭の中か不思議な状態になってきたので、この辺で止めときます。

あ、らくになった。

タイトルには感覚?と書いて、書き始めてるんですねこれ。笑

あぁ思い出しました!

その、サラダの取り分けと同じ事を自分の身体の扱いに対してもしているかもしれませんねって言いたかったんです。

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