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京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」@心揺れる嵐山編(第83回)

なぜか京都市営バスの路線系統を(ほぼ)丸暗記しているQ&XLのヘンタイ記憶を駆使し、観光客やお困りの方にベストな行き方、乗り継ぎをご案内する京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」。

去る6月25日(火)、前回6月3日に続き、我々一行は嵐山へと向かった。

前回はお休みだったXLも一緒だが、代わって最近レギュラー化しつつあるMIYABIがお休み。

前回レポートは書くことができず、<Swing鼻クソRADIO>でのおしゃべりに委ねた。

ここで語っている通り、我々は全世界が罹患してしまった病「スマホ依存」が引き起こす深刻な合併症、「人間よりスマホ情報信じちゃう病」の重症化に<京都の観光地のとあるバス停>というリアルな現場で直面し、打ちのめされ、活動の存続に強い危機感を覚えている。

「やる意味あんのかな……」「そろそろ潮時かな……」なんてはじめて口にしてしまうくらいに。

なんにでも終わりはある。命あるものはいつか必ず死を迎えるし、地球だっていつか滅亡するらしい。

しかしなぜ我々は「スマートフォン」を短縮するとき、「スマフォ」ではなく「スマホ」と言うのだろうか? 

おかしい。絶対におかしい。でも別にどうでもいい。区役所にわざわざ行って相談するほどのことではない。

焦らず潮時を見極める、検証する。そんな心持ちで行う活動ははじめてのことだ。

これまでのように「はいバス停ついた、はい案内はじめよう」ではなく、まずは通りの向こう側からバス停に並ぶ人たちを観察する。

スゴい。距離を取るとこんなによく見えるのか。
選手には見えない、監督の視点だからこそ見えることが確かにある。

あの人はどこに向かおうとしていて、何系統のバスに乗るのか? あの人がスマホを眺め、バス停から離れて歩き出したのはなぜだろうか? 観察し、そんなこと話し合っていると驚くほど当たる。ヘンタイ記憶ではない、培ってきた経験の力を実感する。

Qの「○○行き~、○番が到着しま~す」という「ぽい」アナウンスは、バスを待つ人たちによく聴こえる位置で。いちばん話しかけやすく人当たりが良いXLは、バスの時刻表や路線が掲示された標識のすぐ隣に。状況を俯瞰し、どうとでも動けるように僕は少し距離を取って。カメラマンあやちゃんはもっと客観的に、全体的な検証ができるよう通り向こうから撮影。

どこに誰が立ち、何をするのが効果的か? そんな戦力を練った上でようやくバス停に向かう。

バスではなかったが、「JRに乗りたい」という迷い人たちには丁寧に行き方を案内する。
嵐山にはJRの他に阪急電車と京福電車があり、バスだけでなく実は電車もややこしいのだ。めっちゃお礼を言われる。

事前に確認した通り、迷い人を発見したら互いに声をかけたり、手を上げて呼び合う。三者が寄り集まって知恵を絞って案内する<三位一体>原則も上手く機能して「ああ、これこれ」といい感じだ。

「金閣寺に行きたい」という迷い人には「のりば間違い」を丁寧に説明する。

「11は合ってる。でもここから乗っちゃったら逆方向に行っちゃうんだよ、ベイべ。だから向こうのBのりばから乗らなあきまへんねん」。XLがそこまで案内する。めっちゃお礼を言われる。

嬉しい。信頼されるってこんなに嬉しいのか。
前回、落胆していたQ氏も同じように嬉しそうだ。
ああ、充実感がある。しかし一体何に充実しているのだろう。

「信頼されるってこんなに嬉しいもんなんだね……」ってそりゃそうだが、そんなんでいいのだろうか。

<○○に行くにはどのバスに乗り、どのように乗り継げばいいか?>を迷い人に正しく案内するのが我々の仕事のはずなのだが。

「錦市場に行きたい」という迷い人には「11系統に乗り、四条高倉で降り、そこからちょっと歩いて」と案内する。しかし彼の表情はどこかスッキリとしない。その理由がスマホから提供される情報と合致しないからであるのは明らかだ。
「信じてないね~」とQ氏と首をすくめ合う。

少し経った後、スマホにも「11系統」を見つけたらしい彼は、はじめて安心したような表情を浮かべ「ありがとう!」。

う~む、そういうタイミングで言われてもなんか、ね。
観察者・あやちゃんからの情報によれば、XLが正しいのりばまで案内した(金閣寺に行きたい)迷い人も、結局はスマホで裏を取っていたらしい。

① 迷う 

② 人力交通案内によって情報を得る

③ ②の情報とスマホ情報を照合する

④ 合致する

⑤ 安心! ありがとう!


なんなんだ、この流れは。
これ、②いるのか?

① 迷う 

② スマホで調べるがよくわからない

③ 人力交通案内によって情報を得る

④ 安心! ありがとう!


一昔前まではこうだったのだ。
さらにもっと以前はスマホ自体が普及していなかったからか、②すらなかったように思う。

帰り道、車中であやちゃんと今日の活動を振り返りながら潮時説を強くしてゆく。潮時、終焉、引退。なんでもいいが、やはり活動をこのまま継続しても意味がないのかもしれないなあ、と。

最近「人間 vs. AI」なんて言葉をよく聞くようになったが、我々もまた、かなり独特な形で人間の敗北を実感しているのだ。

人間なのに人間よりも機械を信じる時代。善し悪しを安易にはかることは避けたいが、ハッキリ言ってクソだね。

黙って聞いていたQ氏にも水を向ける。
どうだった? これからも続けてゆきたいと思う? 続けてゆくだけのやりがいがある?

「ある。先のことはわからんけど」


マ、マジか。
理由を聞くと「3人で協力してやれて楽しかった」的なことを言う。
そういえばあやちゃんも「木ノ戸さんが笑っていたのが嬉しかった」と言っていた。

楽しい。楽しくて笑える。

スマホ依存がどうとか、正しい案内がどうとかよりも、遥かに大切なこと。

おおう。僕は変わりゆく現実への対応や解決に囚われすぎていたのかもしれない。

心揺れる。結論を焦る必要はない。そもそも京都人力交通案内という謎の活動を続けるかどうか? なんてお悩み自体が相当浮き世離れしてるんだから。

次回、我々一行は来る7月23日(火)、京のどこかに出没する。

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