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【揺れるヘンシュウチョー】17歳+12年+16年+5年

無責任なバブルがいつの間にかパチンと弾け、このコロナ禍にも似た不穏な空気が世の中を分厚く覆っていた1998年。大学3年生だった僕たちの内側には「超就職氷河期」という痛烈な現実が、強く打ちすぎて引き抜けなくなってしまった太い釘のように、深く深く突き刺さっていました。社会に出るってもっと華々しいことのはずだったのに、同級生たちはどんよりとしたグレーのスーツに身を包み、ネズミの大群のようになって「就職活動」という名の戦争に向かおうとしていました。

僕はこの雰囲気は「ムリだ」と直感し、死に物狂いで頑張ったところでどうなるか分からないんだから自分の好きなように生きようと、世間のレールを外れて歩きはじめました。周囲に「就職しません」宣言をして回り、引きこもり支援のNPOに関わったり、演劇の世界に飛び込みました。演劇をしようと思ったのは小学生の頃、劇を作って人を笑わせるのが大好きだったあの感覚を取り戻したい、あの感覚にこれからを生きる上でのヒントがあるかもしれない、そんな風に思ったからです。リクルートスーツとは真逆の世界で模索の日々を過ごすうちにミレニアムイヤーを迎え、僕は大学を卒業して学生という身分も失い、本格的な風来坊になっていました。

そんな折、当時つき合っていた人が「読んでみて」と贈ってくれたのが橋口譲二『17歳の軌跡』(文藝春秋/2000年)です。写真家・橋口譲二さんによる写真集『17歳の地図』(現在は『17歳』として復刊)に登場する全国各地の17歳たちの、12年後の声を収めたインタビュー集に僕は夢中になりました。自分の道を歩むと決めたもののどう歩めばいいのかまるで分からず、どこかの有名人や成功した人の声ではなく、普通の人の、本当の声を求めていたのだと思います。それも自分よりも少し先を生きる人たちの。

上田假奈代さんはそこにいました。当時の僕と同じ金髪で表紙を飾っていて、その言葉のひとつひとつが静かに、時に痛々しく胸に染み入りました。かつては夢に溢れた17歳の多くも、29、30にもなれば家庭を持ったり堅い仕事についたり何かを諦めたり、言うなれば「いい大人」になっている。そんな中、迷いや葛藤を丸出しにして、至近距離の青いままを生きている姿に猛烈に救われ、リアルな手触りを持った人として憧れを抱いたのです。

そうして一方的な出会いを果たした後も、テレビで無茶なこと(トイレ連れ込み朗読!)をやっている假奈代さんを見かけたり、「ココルームという場所を作ったらしい」と誰かから聞かされたり、いつもその存在を近くに感じていました。僕自身も手探りの人生を歩み続けるうち、多くの人たちとの出会いや偶然や必然に導かれ、2006年にスウィングを立ち上げました。しかしながら、リアル初対面はそれから更に10年後に持ち越されます。「まだそのタイミングじゃなかった」なんて言えばカッコいいですが、実際のところは勇気や自信がなかった、つまりはまだ会うのが怖かったのです。けれど組織を作って10年も経てば、いいことも悪いこともそれなりに色々ある。個人的にも大きな転換期に差しかかっており、暗く出口の見えないトンネルに迷い込んだような時期でした。ようやく来たか、この思い。假奈代さんに会って話がしたい。『17歳の軌跡』で勝手に出会ってから、実に16年という月日が流れていました。

驚いたことに緊張の初対面もそこそこに、假奈代さんは当時ココルームが抱えていた問題や、その問題にどう困っているのかをいきなりフルオープンで話してくれました。憧れの人は変わらず揺れる日々の中を生きていて、弱さを開示することを恐れない人だったのです。だから僕も遠慮なく、他の誰にも話せないような心の底の底のことまで聞いてもらいました。初夏の青白い月の光に照らされたココルームの庭で、遅くまで話し込んだあの夜は、あれから5年が経った今も僕を支え続けてくれています。

もちろん『17歳の軌跡』は今でも僕の傍らにあります。けれど「なんかください」と勇気を出して假奈代さんにもらった「小さな犬のぬいぐるみ」を、あの日以来ほとんど肌見離さず持ち歩いていることは、流石に誰にも言えない秘密なのです。

(フリーペーパー『Swinging vol.29』より転載)

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