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聴こえない私

背中にしょっているさまざまな難題のどの部分を書き出せば良いのか分からなくて、ここでは私の”耳”とそれにまつわる諸々を書こうと思う。
耳が悪い
耳が聞こえない
耳が不自由 聴力障害者 聴覚障害者 ろう者 中途失聴者・・・
いろんな経緯の聴こえの障害者がいて、困難さもさまざまである。
補聴器があれば人の声は分かる、男の人の声が分からない、何も分からない、口が読めるなどなど・・・

私は、自分の外側の音すべてが分からない。
脳腫瘍が多発して、聞こえを司る聴神経に絡むためだ。
後ろで子供が泣いていようが、お皿が割れようが分からないのだ。
エレベーターでは、ドアの横には絶対に立たない。「〇階お願いします」と言われても聞こえないからだ。

脳の中で、自分の声だけがごうごうと轟音の複雑な耳鳴りの中で少しだけ分かる。
でも、それを発した時の声の大きさが分からない。自分では普通に話しているつもりでも、私のいる場所がどの程度の騒がしいの分からないので、周囲に話の内容がダダもれだったりするのだ。

だから、聞こえなくなってから、「声が大きい」「声が小さい」といつも注意ばかり受けていて、心から解放されるのは一人になるか同じ障害のある仲間、理解ある友人と手話や筆談で会話をする時だけだ。

昔からドライブが好きで、好きな音楽をかけて車を走らせていた。
流れる景色と音の組み合わせ。
今は流れる景色だけも、視覚への刺激になるのでほぼ毎日エンジンをかける。

今日も1日、風景や活字から刺激を受けよう。

#中途失聴 #手話


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