覆された「怒り」という感情の捉え方

Good morning

かつて、小さな集団の中でリーダーをやっている時、まとめるということの難しさを学んだ。そして、集団において全員の意見を取り入れることは難しいということも学んだ。
リーダーとして結論を出すために、誰かから嫌われることも必要であることを学んだ。

だから、私は嫌われる勇気を持ち合わせていると勘違いしていた。

先日、気になって「嫌われる勇気」を今更ながら丁寧に読んだ。過去に手にとらなかったのは上述の経緯があったからだ。
時を同じくして、自分の読書方法を見直したので、言葉通り1日かけて丁寧に読んだ。著者が言いたいことであろう内容をメモに落とし、読み終えてからメモを見返して、再度整理した。

ここで「嫌われる勇気」について解説するほど私は整理の老手ではないので、細かい内容に関しては割愛する。また、「嫌われる勇気」はかいつまんで、言い換えればいいとこ取りだけして解釈することも可能だが、それは本質から逸れる解釈になりかねるのでお勧めしない。ただ、どこかにも書いてあったが、多くの人の脳は自分の理解できる内容だけを吸収するようにできているので、著者が何を言いたいのか、伝えたいのかを理解するためには丁寧に読むべきだと思っている。

ということで、ここではシンプルに面白いと思ったことを書き記すことにする。前述した通り、一部の解釈になりかねないので、一読者の一意見、ないしは戯言として読んでいただきたい。

書籍の中では、「怒り」について説いていた。
学生を卒業し、社会人としてお金を稼ぐようになってから、私は幾度となく「怒り」という感情に悩まされてきたように思う。それは相手からの怒りも然り、自分自身に湧き上がる怒りという感情に対しても然りである。
少し話は逸れるが、先日、偶然にもDMM英会話で「怒り」の話になった。「怒り」などから感じるストレスについて、ストレス発散として何をするか、と。私は「ただ寝る」と答えた。すると、海を超えた向こう側、地球の反対側付近にいる彼は驚いていた。「それだけ!?本当に?ぼくは友達呼んで飲んで話したりするよ?」と。
誤解を招かないように弁解した。それは私も同意するし、社会人当初は同じことをやっていたと。でも、それは本質的ではない。飲ミニュケーションという造語があるくらいだから、飲みの場というのはとても大切である。でも、飲んで話しただけでは、本質的な解決にはなっていないことが多い。なぜなら、たいていその「怒り」の原因の相手は、飲みの場にいないからだ。
試行錯誤して、私は「怒り」という感情が出てきたときは、とにかく落ち込むかイライラを頂点まで昇華させ、そして寝ることにしたのだ。

でも、書籍の中の「怒り」の解釈、アドラー心理学的な「怒り」の解釈は違うものだった。

怒りというのは、目的をかなえるための手段、道具
怒りっぽい、短期な人というのは、怒り以外のコミュニケーションツールを知らない

これは書籍にある事例を読まずして理解することは難しいように思えるので、是非理解を深めたい方は、書籍を購入して欲しい。

これまで、感情を手段や道具として解釈したことがなかった。
感情というものはコントロールできないものだから、感じたその気持ちを素直に受け入れようとしていた。
むしろ、負の感情を和らげるサービスを検討していたくらいだった。
学生の頃には、感情を和らげる研究の端くれをやっていたくらいだ。
それが一掃された。

おかげで、今後は「怒り」という感情の前に、「怒り」以外の手段を用いることができそうだ。

気になった方は、是非手にとって読んで欲しい。
何かの糧になるのではないかと思う。

この本は台湾でもヒットしたようで、母のために中国語版と日本語版の両方を購入しようと思う。

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スミヨ。
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