朝食は、茹でもので済ます。

おはよう。

一人暮らしをしている時、朝ごはんに何を食べると良いのかを考えたことがあった。

実家の母親は、娘たちのことを一番に考える親だったので、朝ごはんをしっかり作ってくれていた。仕事と家事の両立を図るために一人暮らしした私は、仕事しながら冷蔵庫の中身を管理するのはしんどいと、コンビニ食生活にトライしたものの、おかげさまで私のお腹は2週間も持たなかった。
それくらい、手作りの味で私の身体はできているのだと痛感して母親に感謝しながら、都にしていたいた学芸大学の商店街をとぼとぼと歩いたものだ。

よく、朝ごはんは珈琲で平気。とか、
朝ごはんを食べても、出社したら1、2時間も経たずにお昼休みだから食べない。なんて言う人がいる。
彼ら彼女らには申し訳ないが、私は全く共感できない側の人間である。
なんせ、朝は早く起きたいし、朝早く起きると、朝食を食べないという選択肢が全くない。お昼までの時間に集中力が途切れてしまう。

でも、朝は時間ないし、仕事から帰って夜中に朝食の準備の残骸がシンクにあるのは気分が晴れない。ましてや、夕食をコンビニで済ます場合は、朝の自分が夜の自分に課したシンクにある宿題を、なぜ疲れている夜の私がやらにゃあかんのや!という気分になって、げんなりする。
嗚呼、感情は素直なもんだ。

なるほど。朝食の残骸が夜の私に疲労を追加しないレベルのもので、尚且つさくっと食べられるものを朝食に迎え入れよう。
そんな思考に至った。

まず、手取り早く思いついたのは、王道のパンだ。
学生時代に不純な理由で、朝は戦場のような戦闘能力が必要なエキナカのパン屋で働いていたにも関わらず(いや、そのおかげでパンに詳しくなったのは間違いない)、パンは毎日食べられるほど私の身体は西洋人の創りではなかった。パンは毎日食べないとなると、パンの賞味期限と一人暮らしの朝食スケジュールは全く仲良くなれない。すぐに賞味期限が切れてしまうのが、世界中の朝食の王様、パンだ。かといって、冷凍までしてパンを食べたいと思わない。(贅沢者!)
週末に炊いたお米を冷凍して(この時、私は冷凍保存の本を買って、いかに野菜やお肉たちを冷凍保存するのかを試していた)、朝食の時に解凍すれば良いのでは。そんなことも思ったが、白米には何かしらが必要だ。(贅沢者!)

そうして辿り着いたのが、"茹でて食べられるもの"だった。
というのも、茹でて食べるものは、鍋をよごさない。油を使わないので、嫌な汚れが鍋にこびりつかない。それでいて、茹でるという時間の間に、着替えるといった朝の支度ができる。
私が朝食の課題としていた、片付けが楽ちんで、朝の忙しさを緩和できるものを"茹でて食べられるもの"は圧倒的に凌駕していた。
さて、その"茹でて食べられるもの"の内訳だが、一人暮らしが終わってみると、素麺が7割、水餃子が3割といったところで落ち着いていたように思う。

かつて、私が小学生の頃、私立の学校に進学させたい(いや、私の場合は興味本位で行ってみたかった)両親は共働きだった。夏休みになると、学校のプールや塾の夏季講習、習い事以外は家に居て、学校や塾の宿題、日能研の知の翼で知をふんだんに脳に詰め込んでいた娘たちのために、母はお昼ご飯を作って仕事に出て行った。
といっても、まあ台湾出身の母親は雑なもんで。夏休みの大半は、私たちはお昼にざるそばを食べていた。
夏休みの大半を、毎日ざるそばで過ごしていた私なら、毎朝素麺なんて簡単な話ではないか。そう思ったのだ。

一方の水餃子にも続けられる自信があった。幼稚園の頃、遠足のお弁当箱にぎっしり敷き詰められていたのは水餃子で、幼稚園の先生に「え!?それで全部?」と聞かれたエピソードがあるくらいに、餃子や小籠包が主食である風習は、これまた台湾出身の母親ならではだったかもしれない。(台湾の親戚の家にいくと、朝食は屋台で買ってきた小籠包という日は稀ではなかったのだ。)

というわけで、そこから私の朝食"茹でもの"生活が始まった。
これがまあ、自分でも驚くほど続くわけで。(まさかの今も続いている)
水餃子は、時間のある週末にたんまりとこしらえ、1度に食べる量を100均のジッパーに小分けに詰めて冷凍しておく。(100均というところが大事。冷凍保存において、ジッパーは優秀で小回りの利くリソースなのだ。)あとは、食べたい時に沸騰したお湯に入れるだけ。超楽ちん。なにより水餃子は美味しい。飽きたら、水餃子のタネに食感を強めるセロリや、辛さを追求したキムチやラー油なんかを入れて味変していた。時に贅沢したい時は、エビを入れたりなんかして。

素麺に至っては、応用力が高かった。
釜玉風にしても美味しいし、ゆずぽんで食べても美味しい。
でも、一手間欲しいなと思ったら、この子たちが最高にバリューを発揮してくれていた。

パスタソースだから、パスタだけに使おうなんて頭が固い。
素麺だって合うでしょ。そう思って買ってみたら、なにこれ、美味しくて手放せなくなった。

もちろん、素麺を極めようとこの本を読んで、アレンジの幅が利くとわかっていたということもある。

素麺も水餃子も、胃がもたれることなく、なんとなくお腹に入って朝だよー!というスイッチが入った。よし、今日も頑張ろう、となる。
そのコストパフォーマンスが、私にとって最高だった。

さて、かれこれ茹でもの朝食生活が6年くらいを迎えようとしている。
今日の朝食は、どのパスタソースを使おうかな。

今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい

文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。