noteで「スキ」を押せない心理
noteの記事に「スキ」を押せない自分がいた。
「あれ?なんで僕は今『スキ』を押すのをためらったのだろう?」
そうだ。この記事にはまだ「スキ」がついていないからだ。
人の尺度でしか価値を測れない人間になってるんだ。
自分が良いと思ったものを良いと言えずに、他人の評価に合わせて生きてきた弊害がnoteの「スキ」の押し方にまで投影されてるんだ。
なんかもったいない生き方しているなあ。
現実では難しくても、note内では自分が「スキ」かどうかくらい自由にすればいいのに。