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高野山奥の院 ~ 混沌 + 無秩序 = お墓のインド ~

Reggae-costumed Buddhist statue in Mt.Koya

レゲエ地蔵??

どこの?と問われれば、高野山奥の院にある。

縁あって、高野山を再訪した。総本山金剛峰寺とか色々あるけど、外せないのがこの奥の院。入り口から空海が未だに修行中とされている最奥の霊廟まで蛇のように細長い敷地が広がる。その中に、皇族やら戦国大名やら企業のお墓やらが、おびただしい数の無縁仏とともに混在する。

いわば、混沌やら無秩序という点で「お墓のインド」だ。

いくら歴史上有名な人物のお墓とはいえど、今となっては世話する人もなく見事なまでに朽ちている。

そんなだけど、日本の歴史がぎっしり詰まっているので、参道を歩いていると絵巻物でも紐解いているような心持ちにある。森林浴効果もあって、それはたまらなく心地よい。

さて、今回はそんな参道からは外れて、道なき斜面を駆け上がり裏山ぽいところに出た。

すると、あるわあるわ無縁仏が。いつ打ち捨てられたのかもわからないものから、もはや墓石の原型さえも留めないものまで、まるでゴミ捨て場のように散乱している。これだけ無縁仏に囲まれると、真っ昼間でもさすがに少しゾクッとする。

ひたすらそれらの隙間を縫うように歩く。倒れて全体が苔むしているのも少なくない。うかうかしていてはその存在に気づくこともない。まるでラピュタ城のそれのようだ。

しかしそこでふと思った。
これらの無縁仏は自然に還ろうとしているのだと。

ある意味人工物とも言える墓石や地蔵が木々や土と同化しようとしている。それはきちんと世話及び管理されているお墓よりもある意味仏に近いのでは。。。

世話されているお墓は別として、奥の院の墓石管理は案外成り行き任せのようだ。実際、倒木で墓石が壊れることもあれば、昔々のお墓が今のお墓のさらに下に埋まっているとも聞く。

でも、それでいいのだろう。未だに遺体を流す風習のあるガンジス川のように、彼岸と此岸を分け隔てることなく、ただあるがままに自然に身を委ねればよい。無縁は決して絶望ではなく、融和への布石にすぎないのだ。

奥の院はそれを教えてくれる数少ない場所の一つであると思う。

余談として、今回は本職(僧侶)の友人と共に周り、ある2つの墓所で般若心経を共に唱えた。お経のユニゾンはとても心地よく、御霊とも深く融和しているように思えた。

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