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故人の誕生日

毎日毎日似たような画像のアップで飽きた。飽きない?

だからというわけでもないが今日はシリーズとは全然関係ない、久しぶりに人と会う話。


今日(これを書いてる日)は6月23日。
今年亡くなった故人の誕生日を祝って故人の家人と一緒にご飯を食べる会。

故人とは交わした言葉は少なかったが、自分の頭の中だけにあった「東京神社」という東京中の神社の裏にエロ画をボムって回るという企画の撮影を買って出てくれていたヘンテコな映像作家だった。

迎える家は、その故人が惚れ込んだバンド(自分もメンバー)の主宰宅。


おれは会に先立って到着し、いつもお邪魔するその主宰宅で、テーブルにあった星野道夫を読んでいた。主宰がこの頃いつも読んでいる星野道夫は、自分も大好きな写真家であり文筆家であり人間だ。

主宰はメイン料理のタコスの準備している。
主宰の家人はエビカレーをすでに準備し終えていた。

おれが読んでいるのは「森と氷河と鯨-ワタリガラスの伝説を求めて」。
かつてトーテムポールを立ち並べ、ワタリガラスなど地来の動物たちを守り神とした原住種族の子孫たちが暮らすアラスカの小さな村で、星野がボブという男に出会う話だ。

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(画像引用元:https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01dh1fy9k1j6.html)


星野道夫は、高校を卒業すると同時にアラスカのとある村に単身向かい、地元のイヌイットたちと深く交流し、大きな自然と向き合い、その最善の生活を続けるため写真の道を選んだ人で、そんな彼の綴る文章も、率直そのものの写真同様の明るい輝きを発する。

ボブと会ったその村に、星野はずっと気になっていたワタリガラスについて調べるために訪れていた。そんな時に偶然紹介されたボブは星野に会うなり「昨日、墓地でワタリガラスの巣を見つけたよ」と言ったのだった。

星野道夫の写真には不思議な魅力がある。何か大事なもので画面が満たされているような、主宰の言葉を借りるなら「何か(見えないものが)写っている」というような。

そして、星野の写真には必ずびっくりするような瞬間が写っている。例えば上の引用写真のように。あまりにも自然に奇跡のような瞬間を、独特の暖かみをもって写し出す星野は、何か見えない糸のようなものでそんな奇跡の瞬間を引き寄せるのだろうか。

そしてそれは写真だけのことではない。
ボブとの出会いも星野の”引き”の強さを思わせるエピソードだ。

ボブはかつて、まったく突然にその村に現れ、村の墓地の掃除を始めた。毎日毎日掃除は続き、10年間、ボブは墓地の掃除をし続けたそうだ。

何か一つのことを十年続けた人間なら少しはわかる話なんじゃないかと思うが、十年同じことをすれば”自分だけの世界”が出来上がる。ボブはそんな世界を手に入れたに違いないと思うが、そんなボブと星野はその後、一緒にワタリガラスの伝説を求める旅に出る。


夏至を迎えた長い日が暮れてきて、主賓の故人の家人も主宰宅に向かっている。

星野のボブと出会うその本の冒頭部を読み終えて、主宰のタコスの準備も整い、テーブルのセットをする。

主賓である故人の家人の席を意識しながら雑用係のおれがセットをすると、タコスの具材やカレーやらの皿が、家人に向かって咲くヒマワリかなにか花のように並んだ。

今日の誕生日は家人ではなく故人のものなのだが、実体の世界で整えると家人に焦点を当てざるを得ない。
主宰は「家人をもてなせば故人も喜ぶだろう」と言う。そうかもしれないと思う。

魂はもちろん見えない。というかそれがあるのかも分からない。しかし人間はずっとそれを存在するものとして、どこか現実的な認識とは別の認識の世界があるかのように、いつでも自分たちのそばに置いているような気がする。たとえそれを否定しようとも。


日が暮れて、定時の仕事を終えた故人の家人が主宰宅に到着した。タコスのトルティーアも焼けた。レタスとチーズとミートソース、サルサとアボガドディップ。それに生姜の効いたエビカレー。おれが買ってきた日本酒はこの日誰も手をつけずテーブルの端の方で控えた。

ふとしたときに空(くう)を見る。魂はどんなふうに漂うのか。

もしもこの場に故人がいるとしたら、それは魂部分の見えない何かなんだろうと思うが、おれにはその魂かなにかは見えなかった。空間的にはあくまで存在しないが、しかし、”見えない何か”がある気はした。

まさに宙を掴むような話、これにあえて形をつけるとすれば、それはそこにいた四人が共通して故人のことを思ったときの”空気感”とでもいえばいいのかなと思う。
それはいわば、そこにいる四人の思念が作りだした幻想だ。

人間は面と向かった相手の顔色を伺うなどしてその気持ちを推し量ることでコミュニケーションを成立させるが、そんな周囲への配慮的洞察から、互いに、そして全体的に、故人のイメージを召喚したのだ。

つまり、互いの心中から故人のイメージを引き出し、その場の空気としてそのイメージを認識した、というような。


写真家、星野道夫が写し出した「見えない何か」も、このようなものではないかと思う。

常に自分の向かうべき、選ぶべき道を見出し、それに間髪入れずに反応する星野は、高校生の頃に見たアラスカの村の航空写真に魅せられて、見ず知らずのその村の村長に手紙を書き、その後単身その村に向かう。

率直にして迷いのない行動力と、そこから生まれる奇跡的な出会いや瞬間は、彼の写真の真骨頂のようにも思える。
次々に貴重な出会い、貴重な瞬間との邂逅を重ね、44歳の若さで急逝した星野の人生は、常に”見えない何か”に導かれているようだった。

自分の気持ちに対して常に最善手で応えた星野の写真には、万人に伝わるような”何か”がある。しかもその何かはけして難解でも複雑でもなく、むしろあまりに率直すぎて目の前にありながら見失いそうになるほど当たり前の、しかし大きな奇跡であったりする。


故人はいつも、主宰のバンドを最前列で映像におさめていた。映像のベストのポジションを求め、真剣そのものだった。それはたとえばおれなどが思うベストの、その上のベストだった。

金のためでも、生活のためでもない撮影。たぶん故人本人が残すべきだと思ったライブのための撮影。

そこに写ったのはたしかにライブの模様だが、たぶんきっとそれだけではない。タコスのテーブルで感じたような、その場の全体の魂の何か、それに、撮影者たる故人の何かがそこに練り込まれ、写し込まれた何かだったのではないだろうか、と今にして思う。


画像3

R.I.P
KAZ KUDO(LOTUSLAND)



今日は制作画像なし。そして以上、全文公開です。


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