ドローイング#35
昨日、シミュラクラ現象を引用して顔を描いた話をしたけど、なぜ”顔”かというと、これは自分の”世界はそこらじゅう顔だらけ”という世界観に基づいている。
娘が生まれてから意識するようになったことだけど、基本、世界は眼差せば、眼差して返してくる(眼差されていることに気づく)という考えが自分にはあって、それをどう描くか、をやっているかたち。
そういう世界観とだいたい同じなんじゃないかなと思うのが、キリスト教にもあるみたいで、マーティン・スコセッシの映画「最後の誘惑」を見ていると、こんな場面があった。
以下、自分の過去のブログからの引用↓(「そしたらやっぱりそこらじゅう顔だらけやん」)
映画「最後の誘惑」(マーチン・スコセッシ監督)から、ユダとイエスのトーク。
ー
ユダ「秘密を知りたい。君の秘密を」
イエス「憐れみだ」
ユダ「自分に対して?」
イエス「人間に対して」
ユダ「敵に対しても?」
イエス「すべてに憐れみを感じる。驢馬(ろば)、草、スズメ、、」
ユダ「アリにも憐れみを?」
イエス「もちろん。みな神の一部だ。小さなアリの黒く光るその目、そこに私は神の顔を見る」
自分的には「憐れみ」を「眼差し」に差し替えてるけど。
今日の作品画像↓
ここから先は
62字
/
1画像
ご購読いただくと、その購入額をポイントに換算し、等価の発表作品と交換していただけます。
たとえば一年間の購読で、定価6,000円の作品が手に入ります。
THE SKYSCRAPER
¥500 / 月
初月無料
”火事の家”をモチーフにしたシリーズ作品とその制作ノートを発表します。 作品画像は一日一点、ノートは週一度のペースを想定していますが、不定…
よろしければご支援よろしくお願いいたします。 購入金はポイントとして換算させていただき、作品と交換していただけます。