空気な権威
制作しながら思ったこと。
印象派以前の西洋絵画(宗教画や貴族を扱った絵画など)は、パトロンや教会からの注文を受けて描いた。
現代は、企業などから注文を受けて壁画(いわゆるコミッション・ワーク)を描く。
制作の動機(=注文を受けて描くという、どちらかというと消極的な動機)は近しいんだった。
西洋絵画に限らなくて、例えば自分が影響を受けた琳派他、中世日本絵画もやっぱりコミッション・ワーク。
中世と現代、コミッションの意味は何か違うだろうか?
中世の注文者は王(将軍、天皇?)や教会(寺社)などの権威。
現代でも国や自治体からの注文もあるが、企業が多い。
真の権威は今や企業にあるのか。
ただ、企業がコミッション・ワーク(絵画)に反映させているのは、彼ら自身の美や権威への要求ではなく、いわば大衆の要求だろう。
王や教会であっても、大衆への配慮なり、社会の趨勢への配慮があったとしても、現代の企業ほどに目的化した配慮(=大衆の心を掴むテンプテーション)ではない。
絵画の中で、壁画は特に権威的なものから逃れられない。
中世では、権威的なもの自体(王、教会)が発注しているのだから、わかりやすい。
現代でも、もちろん権威的だと思うが、より作品に影響のある権威の出所が、権威そのものというより、”公共”のような気がする。
”トレンド”と言い換えると見晴らしがいいのかもしれない。
実態がない分の取り留めのなさが、はっきりとした中世の”権威”よりも恐ろしげ。
実態感が希薄だからと言って、影響が薄まったりはしない。むしろ公共(トレンド)にこれまで以上に縛られているのが現代だろう。
”空気”とでもいうか。
(公共→トレンド→空気)
空気に縛られた現代。
現代の権威はユーチューバーっていう話もあるが、何かちょっと意味が違う気もする。
ユーチューバーが権威的であるような有象無象な状態(空気)、それ自体が権威である、という方がしっくりくる。
どちらにしても、コミッション・ワークが時代ごとの権威的な何かに左右されるのは仕方がないし、そういうジャンルとして楽しめばいい。
つまらないのは、権威に関わり続けることではなく、権威=空気に慣れてしまうことなのかな。
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