好きや〜


今日は制作できなかったので文章だけ。



大人の男が「〜が好き」という発言をすると、どこか気持ち悪い(キモい)。

なぜだろうか?


たとえば「マリトッツォが好き」なんて言うと、スイーツという女性ぽい対象ゆえのキモさにドライブがかかるが、「野球が好き」なんて言ったとしても、どことなく。

大人の男性がスイーツを好きであっても、これっぽっちの微塵もおかしなことではない。老若男女問わず全人類、スイーツも野球も全く同等に好きであってよい。

しかし、大の大人の男は「好き」と言明することには一抹のためらいを感じずにはいられない。


そして男は「好き」を表明する代わりに、論説めいたものを展開し始める。

「マリトッツォはイチゴが絶品」だとか言ってみたり、「野球は国技である」だとか言ってみたりする。要は「好き」と言いたいだけなのに。

なぜか男は間違っても「マリトッツォ大好き〜」などとストレートに宣言するわけにはいかない。



これは、”社会責任”や”性役割(ジェンダーロール)”に関係しているのではないだろうか?


”好き嫌い”は個人の感情の問題である。

職場や公共の場で、生理現象である感情をあらわにすることは、仕事や公共を停滞、混乱させてしまう。

それだけではない。

たとえば公共の場で、感情そのままに生理的嫌悪をあらわにすると差別になる。公共の中には必ずその嫌悪の対象者(物)が共存しているからだ。

”ヘイトスピーチ”である。


「それなら男女問わず、感情はダメという話ではないか」となるが、そうでもない。いや、確かに原理的にはそのはずなのだが、実際にはそうでもない。


男性が元々キモくて、女性は元々キモくないからだろうか。

確かに、男性がうっすら嫌われているということは実験、検証のもとある程度証明されているようだが(電車の隣に座りたくないのは?というテストなど)、単にそれだけではないと思う。

おそらく想像できるのは、責任のある立場として、女性が公の場に立つことが少ないことが原因ではないだろうか。

子供が自由に”好き嫌い”を発言できるように、公の場に立たない女性にも自由が与えられているのかもしれないと思う。

「女性は感情的である」という言説があるが、実はそうでもないのかもしれない。単に、感情を抑えるべき公の場に登場していないだけなのではないだろうか。

つまり、女性は家庭で主婦をするという性役割の中で、感情を抑える必要性が少ないのかもしれないということ。


これには当然、二面性がある。

「女性は感情が自由であって良い」という側面と
「女性の社会進出の機会が奪われている」という側面。

後者を受けて男女平等世界を標榜するフェミニズムによって、いくらか改善されている女性差別だが、ここにきて、反対に男性差別も認識され始めている。前者の部分だろう。

ネットは”個人のつぶやき”も公に晒す公共の場だが、そこで”非モテ”男性に向けられる「キモい」などの罵倒なんかがそれである。

これもそもそもを言えば、女性が比較的、感情を自由に発言しやすい環境があるからではないだろうか。ほとんど慣例的に「女性は感情的」などと言って黙認されていたものが「男女平等」の思想によって、掘り返された。(掘り返されるべきほどに、男性差別が切実となってきたということもある)



”好き嫌い”の発言が歳をとるほどに難しくなるのは、程度の差はともかく男女ともに、皆が感じることだと思う。それは人の社会化の過程だろう。大人の階段。

しかし自分などは比較的、”好き嫌い”を言うのに抵抗が少ないかもしれない。

絵描きであることに関係しているかもしれないと思う。


絵描きは、たとえば、スーツを着てクライアントと会う必要はない。
逆張り的に着る人もいるだろうが、求められることはまずない。

むしろ、スーツを着て登場したら、驚かれることだろう。

暗黙裏に”らしさ”を求められているところはある。

同様に、ジェンダーでも”らしさ”は求められることはあるだろう。


そう考えると、「(比較的)感情をあらわにしてよい」という求めは、女性に”社会に出る必要のない幼さ”を求めているのかもしれない。

ちょっとグロテスクに聞こえるかもしれないが、事実だと思う。


かつて、景気の良い時代には、社会進出を望む女性は今より多かっただろうと思う。しかし今では専業主婦の方が人気なのかもしれない。
景気が悪いからだ。(景気が悪いでは済まない大問題があることは今は置いておこう)

景気が悪く、非正規労働者が多く、女性を支えることが出来ないからこそ、女性の自由さに対する反発も男性側から出てくるんだろうと思う。


ともかく、原理的に考えれば、社会進出に男女の差はありえないのだから、”好き嫌い”の表明に関しても、平等であって良いだろうと思う。

公共でヘイトスピーチが許されるとは到底思えないからでもある。

そのためには、女性は感情をあらわにすることを控えるべきだし、男性は女性に主婦的なジェンダーロールを求めるべきではない。

もしくは、キモいおっさんにも「マリトッツォ大好き〜」と大手を振って言わせてみよう。

もしかしたら古い男らしさもマッチョもなくなって戦争もなくなるかもしれない。(嘘)




ちなみにおれはマリトッツォ未経験。

この話のネタを思いついたのは、実は「ガッチャマンの原画と初期オーピニングソングが大好き」って言いたくなった時でした。
(あまりにマニアックだから今時マリトッツォで代弁)


ガッチャマンの原画を担当された須田正巳さんのご冥福をお祈りします。



そしてその初期オープニングソングを↓


「地球は一つ〜」の有名曲の方は、最初エンディングで、こっちが初期オープニングなのだ。

ブックマークしてるほど好きや〜。


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