こぼれたむらさき(上埜すみれさんの写真集によせて)

その花の名がとてもよく似合うひとの顔をふと思い出して、迷子のような足取りで会いに行った日は雨模様だった。雫の隙間から織りなされることばひとつひとつをすくって、確かめるようにたそがれて。

ドアを開けるとコーヒーとともにさびしくてやさしい旅の香りがする。

そう、彼女は旅へ出た。それは東京というどこまでも虚しくも愛おしい都市を改めて見つめなおすために。

夜にもたれかかって寂しさをやり過ごして、確かなものをもとめスーツケースを転がす。そうして非日常へと飛び込むけれど、1人でいることに対する自由な不自由さが邪魔をしてなかなかなにも見つからなかったりする。
そんな横顔にわたしは呼吸を奪われた。

みんながみんな「君」をさがす。
見つけてほしいと跡をのこすのに必死だ。それはわたしも変わらない。すこしの望みを燻らせて、あてもなく誰かにあてた言葉を紡ぎ続ける。ほんとうに誰かが見てくれているかもわからないのに。

「足りないほうがおもしろい」と彼女は言った。
それを形容する寂しさと名前のついた感情、いつもまとわりつくそれを茶化してみたりする。けれど同時にその感情は伏せたまつ毛が織りなす影と同じくらいうつくしいとわたしは思う。

だって「君」のすがたをとらえたところでそれは消えるわけじゃない。むしろどんどん滲んで広がっていく。でも約束の代わりに寂しさと常に小指を絡めているからこそ東京は眠らずに暗い夜を照らし続ける街のままでいられるのだろう。

そんな気持ちが持て余したまま京都の街のアスファルトに散らばったり、グラスの中で泡を立てて弾けて空気へ溶けるさまを捉えた写真を見ていたら涙がこぼれていた。

きっと人は帰ってくるために旅へ出かける。
わたしは”女優”というアイデンティティを持って息をする彼女のことをとても羨ましく、そして眩しく思う。何色にだって染まれるから、寂しさは寂しさのままでいい。

そう思っていたらグラスの中の氷がからりと音を立てた。
すっかり芋焼酎のロックが蒸発しちゃったなあ、2杯目は何にしようか。

*****

というわけで以前知人の女優上埜すみれさんに会ってきたときのことを書いてみました。阿佐ヶ谷イネルにて不定期で1日限定のカフェ「すみれ珈琲店」をやってらっしゃるので皆さまも是非。写真集「君宛てにしか書けない」がものすごく最高だったということを言いたかったのです。好き放題書いてしかも不完全燃焼なこの感じ…とても申し訳ない!やさしく話を聴いてくださるお姉さま、すみれさんに心からの愛と感謝を!不束者ですがこれからもよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?