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多様性と社会の包容力について~共同トイレを考える~

最近、ジェンダーレストイレなるものを利用しました。私の利用したトイレは狭い多目的トイレのような感じだったので違和感を覚えませんでしたが、社会にはいろいろな考えがあるようですね。
ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性、通称ポリコレ)と、犯罪機会論(犯罪の機械を与えないことで犯罪を未然に防ごうとする立場)のはざまで論争を巻き起こしているようですが、今回は社会の包容力(許容力)について考えてみたいと思います。

ポリコレってなに?

さて、ここで”弁護士JPニュース”が取り上げた、トイレ設置に関する記事が目に留まりましたのでポリコレの観点から紐解いていきたいと思います。
まずは、ポリコレって何?という方の為に、ポリコレの内容を引用します。

最近、話題となることが多い「ポリコレ」は、偏見や差別に起因した表現や認識を改めるための概念のことで、人種や性別・文化・年齢・職業などの多様性を認め、中立的な表現や言葉を用いる方針を意味する。

ニュースやSNSでもよく聞くようになった「ポリコレ」とは?

簡単にいうと、性差や文化の差・年齢差などの差異を際立たないようにさせることで、マイノリティを含む多様性を維持していく考え方になります。
少し前に議論されていた「男らしさや女らしさ」とか「くん・さん」なんかがいい例ではないでしょうか?
肉体的な性と性自認が異なっている方にとっては、その差異を認識させられるだけで苦痛なようです。

一例でしかありませんが、トランスジェンダーの出生児男性が成人式の日に振袖の女性に墨汁をかける事件が起こりました。その被告は自分の成人式で振袖を着られなかった悔しさを公判中に語っています。

器物損壊の罪に問われているのは、北九州市若松区の会社員・平井英康被告(33)です。
起訴状によりますと、平井被告は今年1月、北九州メディアドームで開かれた「二十歳の記念式典」に参加した女性2人の振り袖に墨汁のような黒い液体をかけて汚した罪に問われています。
~中略~
Q.「いつ犯行を思いつきましたか?」
A.「当日の朝です。そのとき、振り袖の人っていいなと思いました。そして悔しいとか嫉妬心とか悲しい気持ちで怒りがこみあげてきました」
Q.「なぜですか?」
A.「自分が成人式の時に振り袖を着れなかったから」
Q.「なぜそんな気持ちになったのですか?」
A.「八つ当たりとか、そんな気持ちです」

振り袖に“墨汁” 被告の男が起訴内容認める 弁護側「性同一性障害で晴れ着に強い憧れ」 

乱暴な話しになってしまいますが、この被告の前を振袖の女性が歩いたことが今回の犯罪の原因になってしまいました。被告に対して自分の出生時の性別を自覚させることは、被告人を傷つける行為と同等なのでしょう。
ポリコレで指摘されるような極端な政治的なカラーは置いておくとして、性別というものを感じさせない社会(ジェンダーレスを許容する社会)が必要なように感じます。

ジェンダーレストイレの意義と危険性

個人的には、現在は多目的トイレといったものもありますので、あえてジェンダーレストイレを作る必要はないように感じます。わざわざお金をかけてトイレを回収するよりも、多目的トイレを増設する方がコスト面で効率的なように感じました。
しかし、肉体の性別と性自認が異なる方にとって、今のトイレのあり方(男・女・多目的)は肩身が狭く感じるひとも多いようで、多目的トイレの増設だけでは解決できないようです。

男性ホルモン投与を始める前や、始めてから一年くらいの間は、男性とも女性ともとらえられるような見た目だったこともあり、どっちのトイレを使ったらいいんだろうと悩みました。どっちに入っても「えっ?」と振り返られたんです。駅のトイレで並んでいるときは、どちらに入っても「こいつどっちだ?」という視線を感じて戸惑いました。最終的に、どうしても使いたいときは、男女関係なく使える「だれでもトイレ」を使うようにしました。ただし、トイレから出たときに車いすの方が待っていたりすると、申し訳なく思いましたね。意識しすぎて、トイレを使おうとするたびに辛くなる時期もありました。

すべての人が安心して使えるパブリックトイレとは?

肉体の性別と性自認の異なる人が肩身の狭い思いをしなくて済むように、歌舞伎町タワーにジェンダーレストイレというものが設置されました。賛成意見が多いかと思いきや、批判的な記事が目立ち、中には犯罪を助長するといった厳しい意見も多く見受けられました。

問題となっているのは、2階にあるジェンダーレストイレ。要は、性別に関係なく誰でも利用できるのだが、男性の小便用トイレを除き、すべて共用なのだ。いわゆる「大」のほうは男女が隣同士で入ることもあるため、性犯罪などのリスクが指摘されている。
~中略~
共用トイレは入室中に赤いランプが灯り、空室になるとランプが消える仕組み。空いているトイレに入ってみると、ドアの造りはしっかりしており、きちんと消音ボタンもついている。上から覗くこともできないが……しかし、ここを男女共用にする意味が率直にいってまったくわからない。

男と女が隣で用を足す「歌舞伎町タワー」共用トイレに批判殺到

日本ではほとんどのトイレで男女の出入り口が非常に近いところに配置されています。これでは男性が犯罪目的で女性用トイレのそばにいても、周りの人が違和感を覚えにくいのです。
もっとも危険なのは『男女共用の多目的トイレ』で、男性が女性の後を追って近づくのはもちろん、個室内に盗撮カメラを仕掛けるためにある程度の時間滞在していたとしても、周りはほとんど不審に思わないでしょう。
そもそも犯罪機会論上は、多目的トイレも男女別にするべきですが、そのような『ゾーニング』に異論を唱える声もあります。

公共トイレ「女性専用」排除で物議…利用者目線で感じた“意外な印象”と防犯対策

ジェンダーレストイレを導入している推進派の「性的少数者を社会が受け入れる施設」という考え方と、男女共同だと犯罪者に犯罪の機会を与えてしまうといった反対派の意見がかみ合っていないので、恐らくどちらの意見も理にかなっているのだと思います。特に、犯罪機会論は犯罪者個人の欠陥とは別に、社会構造を考えるものですのでどちらの意見も歩み寄るのは難しい内容でしょう。
もし犯罪の機会を防ぐのであれば有人のトイレにするとかトイレも含めた監視社会を構築するなどの策も必要となるように感じます。性犯罪に限らず、福岡商業施設女性刺殺事件のような痛ましい事件もありますので、犯罪者が犯罪を犯せない街づくりが求められているのかもしれません。

女性を守る権利との兼ね合い

ここまで性的少数者と社会の向き合い方についてまとめてきました。
次に既存の女性を守る権利(主に男性と肉体構造上の不利を補うためのもの)と性的少数者の向き合い方につてまとめます。
社会の方向性として、今後「女性の権利が排除されてしまうのか?」ということに関してはないようです。埼玉県が発表したLGBTQ条例で物議をかもしましたが、性自認によって違法性が阻却されることはないと明言しています。

「身体が男性であるトランス女性が男性身体のまま女性用スペースを使用すること」についての反対を示したもの。これに対し、県側は「自らの性自認は尊重されるべきものですが、どんな場合でも性自認が戸籍上の性別に優先されるということにはなく」「法律による規制を上回ることはないため、性の多様性の尊重を理由に、違法性が阻却されることはありません」

トイレも更衣室も男女共用? 埼玉県が推進するLGBTQ条例に「女性専用排除しないで」の声

また、アメリカの下院の話しですがトランスジェンダーの生徒(男→女)は女子競技への参加が禁止すべきだといった議論が起こっています。

出生時に生物学的な性別が男性だった者は女子のスポーツ活動に加わることを禁じる。ただ、「機会や利益を奪わない」ことを条件に、練習などに参加することは可能だとしている。

トランスジェンダーの生徒、女子競技への参加禁止 米下院が法案可決

当然に日本でもジェンダーレスの運動会に対して批判が巻き起こっています。

「娘の運動会、徒競走がジェンダーレスでほとんど男の子が1着なんですがこれは」。今月14日にSNS上に投稿された内容は、2500件を超えるリツイート、2万件以上のいいねを集めるなど話題に。投稿者は続く投稿で「混合であることよりも、その上で男子ばかり1着になる工夫の見えない組合せに違和感を覚えてます」「全ての組で平均して男女同数にしようとすればそうなるよな」と疑問をつづっている。
一連の投稿には、「何でも男女一緒にされると体力のない女の子は大変ですね」「いやこれかわいそうすぎるやろ…かえって体力の男女差がはっきりして、えげつないな」「絶対に1位になれない女の子がかわいそう」「男女一緒にしたいなら、タイムを事前に測って同じぐらい子たちが一緒に走ればいいのに…」「ジェンダーレスの履き違えかと」「私見ですが、スポーツは心ではなくて体の性で分けてほしいです」と疑問や共感の声が多数寄せられている。

男女混合であることそのものよりも、「工夫の見えない組合せ」に違和感を訴える声も

男女が平等に輝けるようにするため不足する部分を補ったり区別することと、性的少数者を社会が受け入れるために性差を感じる機会を減らすことと、性的少数者が社会に溶け込めるように包容力のある社会を構築することはそれぞれあまり相性が良くないようですね。
また、どれかを立てれば犯罪者予備軍に付け入るスキを与えてしまうことも問題を複雑にさせています。
女性を守る権利との兼ね合いは難しい問題ですが、既にある権利を減らしてまで性的少数者に配慮すると救われている女性が救われなくなってしまいます。これでは多様性を増やすことによって、既存の多様性を減らす結果になりますので、社会が何も前進していないことになってしまいます。

LGBTQに対する差別やヘイト行為

最近ではLGBTQ禁止法案と失われる女性の権利で揺れていますが、まだLGBTQに対してよくない感情を抱く団体もあるようです。
今、フロリダ州のディズニーランドとフロリダ州でもめていますが、残念ながら「存在自体を意識させない、や、議論すら禁止する」といった行為もいまだに行われているようです。法案の概要は以下に引用しますが、児童が性自認の不一致を学校に相談した場合、両親への通告を行うことも同時に定められていて、社会的に孤立させられようとしていることがうかがえます。

ことの始まりはこうだ。2022年3月に、同州議会で通称「Don’t Say Gay(ゲイと言ってはいけない)法案」が可決。公立学校で小学3年生までの児童への性的指向や性自認に関する教育を制限するこの法案を、共和党保守派のデサンティス知事も支持した。すると、アメリカ全土で同法案は性の多様性に反すると議論が沸き上がり、非難が集中。ディズニーも批判の声明を発表した。

ディズニーとフロリダ州の間に起きている“戦争”の実態

また、日本においてもエイプリルフールのネタとして「同性愛」を告白するようなシチュエーションを投稿する者も多くいるようで炎上を巻き起こしています。本人たちにとって、カミングアウトは大きな山となるでしょう。それを冗談でもネタにするのは、差別というよりも人としての配慮に欠けているように感じられます。

2022年には人気アイドルグループの乃木坂46メンバーが元メンバーと「挙式」したことを、写真を添えてSNS上に投稿。このとき、ハフポストの記事『乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフールに投稿し物議。「性的マイノリティをネタとして消費」と専門家』の中では、「ネタにすることで、当事者に『私たちはいないことにされている上、笑いや冗談のネタとして消費される存在』というメッセージを送ることになる。マイノリティの側の生活を脅かす構造や抑圧に加担することにもつながりかねません」と指摘されていた。

エイプリルフール「同性愛」で2年連続炎上、嘘のネタにする残酷さとは

日本における性的少数者の待遇

日本においては今現在、法案が作成されているような状態です。確かに海外と比べて一回り遅い気がしますが、日本の法律の体系によるものも大きく一概に日本が出遅れているわけではありません。
元々日本においては被差別部落問題しかり、差別を禁止する法案というよりも相手への理解を深めようとする法令が主流ではないでしょうか?これは日本はシビル・ロー(大陸法系:制定法主義)によるものが大きいです。コモン・ロー(英米法系:判例法主義)のように慣習的なものを法律として取り込んでいませんので先行して法律を作成することが難しいのです。

性的少数者に対する国民の理解が十分に進んでいない現状があります。性的少数者への差別や偏見は絶対にあってはなりません。性的指向、性自認(性同一性)の多様性が尊重され、全ての人が互いの人権や尊厳を大切にする共生社会をめざすのが目的です。
法案の基本理念には性的指向、性同一性を理由とする「不当な差別はあってはならない」と明記しました。こうした基本理念の下、理解増進のための施策を進めます。

多様性 認め合う社会に 与党、LGBT法案を国会提出

~参考~
部落差別解消の推進に関する法律
第一条 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。

部落差別の解消の推進に関する法律

今後の社会に期待されること

今後、日本社会が期待されることは性的少数者などを受け容れることにつきます。確かに私も、街で同性愛カップルを見かけた場合、驚くと思います。
これはマイノリティとの遭遇で、その存在を強く意識づけられるからではないでしょうか?フロリダ州の「ゲイと言ってはいけない法」なんかがいい例ですが、日ごろ接する機会がないとやはり強く意識させられてしまうのは仕方ない事だと思います。
そこで、ジェンダーレストイレの話しもそうですが、「女性が~」とか「犯罪者が~」等、偏った意見であっても議論が活性化されることが社会の正常化につながることだと思います。
先日、みた記事にゲイカップルを受け容れる神社があがっていましたが、やはりそこの神主様も渡米経験があり同性愛カップルの知人が多いといったことを挙げていました。

 2人が神前式を選んだのは、神政連の問題がきっかけだった。「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」。文書にはそう記されていた。
「ずっと身近な存在だと思っていた神社に裏切られたような気がして」
ショックを受けたからこそ、問題提起も込めて「挙式のできる神社」を探すことにした。
 しかし、2人の心は何度も折れかけた。直接訪ねたり、電話をかけたりして挙式できる神社を探し、断られ続けた。 唯一、受け入れてくれたのが地元の尼崎えびす神社だった。
松浦さんが話す。「2人で暮らすまちに尼崎えびすさんのような神社があって誇らしい。少しずつでも、そんな神社が増えるとうれしい」
 尼崎えびす神社の太田垣亘世宮司は「偏見もなければ特別視することもなかった」という。「地域の人たちが幸せを願う場所であることが、うちのような地域の神社の役割なので。尼崎は多様性のまちですしね」海外生活が長く、神職として現地で神前結婚式に立ち会った経験もある。異教徒間や夫婦別姓など式のあり方は多様だった。「いろんな配慮をしながらバラエティーに富んだ結婚式をしてきました」。ゲイやレズビアンの友人はたくさんいる。

ゲイカップルが神社で結婚式 多くが断る中、尼崎の神社が受け入れ 宮司「多様な神様がいる」

また、フェミニストよりな団体ですが「女性スペースを守る会」といった団体のtweetです。本当に、「トイレだけ」先進国の考えを取り入れても仕方ないと思います。こういった団体の意見を取り込みながら、さらに議論が活性化され、性的少数者であってもイレギュラーではない存在として、社会と共存できる日が来ることが期待されています。


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