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相島 朝鮮通信使 供養祭❣️

いつも、ありがとうございます。

薬剤師をしながら画商をしています。

昨年まで

世界の猫島 相島で

丘の上の美術館で

活動をしていました。

相島で

初めての供養祭が行われました。

江戸時代、

鎖国していた時代にも、

少し国交があり、

朝鮮通信使が日本に12回来ました。

一行は三使

(正使・副使・従事官)を中心に、  

上々官など

300人から500人位で構成されていました。

一行が

12回のうち11回相島に立ち寄り、

その際、

黒田藩がお金をつぎ込んで、

朝鮮通信使の方々に

手厚いおもてなしをしました。


第9回目の

相島での

朝鮮通信使のおもてなしの準備中に、 

作業していた

福岡藩士11人や

従事者ら計61人が

台風による海難事故で亡くなりました。

相島には石碑があったのですが、

ずっと何かわかりませんでした。

それが、

朝鮮通信使関連の研究会

「相島歴史の会」が

2010年にその石碑を調査し、

江戸時代に建立された、

海難事故で亡くなった

61人の方の供養のための

石碑だったことが判明!

初めて

供養会を開くことになったのです。

その海難事故から

300年目の節目の年に

供養祭が行われました。

実は、

相島の丘の上の美術館にも

来館して下さり

相島でもよくお会いしていた

相島を元気にする活動をしていた方が

この日に

海の事故に遭ってしまい

この世を後にされました。

あれから、

時間も幾分か経過したので  

書かせて頂きました。

この日に、

お会いして

ご挨拶もしていたので

テレビの夕方のニュースを見て

知ったのですが

あまりに突然の事だったので

本当にショックでした。

海は 

確かに色々な顔を持っているので

これから暑くなる季節は

皆さまも

油断しない様にして下さいね。

相島の活動は

昨年で卒業となりましたが

相島は

私の第二の故郷♡

相島が

コロナに負ける事なく

ますます

観光で賑わう元気な島に

なることを祈っています。

私は

今また、

相島の猫と人間を伝道する役割から

変化し始めているところです。

今後とも

宜しくお願い致します。