モダンガールライフ
ウサギとカメの目の前には、「ホテル雅叙園東京」の百段階段がひっそりと続いていた。1935年に出来た雅叙園で現存する、唯一の木造建築を仰ぎ見ながら、ウサギは小さく呟いた。「ここを登り切ると一階に着くの?不思議な建物ね」
隣に立つカメが静かに口を開いた。「ここは、目黒駅から行人坂を下りて来た場所。急な斜面に沿って建てられているから、99段の階段で繋がれた七つの部屋が、時間を縫うように斜めに連なっているんだ」時の重さを感じさせる階段を、二人は靴下のまま足音をたてることなく、ゆっくりと昇り始めた。
最初の十畝の間は、華やかな衣装を纏ったモダンガールが当時の様子を描いていた。映画のワンシーンのような世界線に、ウサギは自分が引き込まれるのを感じた。
漁樵の間には、明治から昭和初期にかけて輸入された舶来品や、それらにオマージュして生まれた国産製品が並んでいた。興味深く眺めていたウサギが呟いた。「アクセサリーや香水があるわ。どの時代も女子はおしゃれね」
「小林かいちの絵には、これまで触れたことのないような独自の雰囲気があるの。構図がとても素敵だわ」ウサギはスリムな女性とトランプの描かれた絵を指さした。「歴史を重ねた建物の中でこの絵を見てると、時間を超えた旅をしているようだね」と、カメが言葉を続けた。
「ところで、とても気になっていることがあるのだけれど、百段階段と言うけど99段までしかないのは何故なの?」ウサギはカメに尋ねた。カメは静かに頷くと、「それは、奇数は陽数で縁起が良いからとも、100と言う完璧な数字ではなくて、まだ良くなる余地を残して99段にしたとも言われている」と答えた。
「完璧なものは長く続かないか…。ひとつ足りないぐらいがちょうど良いということね」とウサギは呟き、階段に背を向けた。
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