見出し画像

神様のいない日

先月、安積あづみ(のモデルである男の子)の命日があった。
朝、美央(のモデルである女の子)と短いやり取りをする。明度の高い秋晴れで、路線バスの窓ガラス越しに眺めた。


大切な人との、最後の時間はいつまでも記憶に残る。
「悲しい記憶 妹のこと」は、悲しかった。
記憶も、感情も、飾らず書かれていた。自分を責めたこと、後悔、それを真っ直ぐ見つめて書くには勇気が要る。ローリーポーリーさんを、悲しい記憶に対して、妹さんに対して、実直な人だと感じた。
「神様のことなんですけど、」は、安積へのお礼のつもりで書いた。もしも今これを読んでくれたら、どんな顔をするんだろう、なんて言うんだろうと想像して、会話文は笑って書いた。
でも、安積に読まれることはないし、反省することの多い作品でもあったから、ローリーポーリーさんの感情にお邪魔させてもらえて、救われた。
私の名前を出してもらえて、とても嬉しかった。
ありがとうございました。

安積は通勤中の交通事故で死んだ。23歳の10月に。
美央から携帯に電話が掛かってきて、出ると、明らかに空気が変だった。「安積がなぁ」と切り出した声が揺れていることはわかっても、美央の感情が全く読めないのは初めてだった。
「死んでん」
泣こうか笑おうか、咄嗟に迷ったことを覚えている。状況に相応しい態度を選ぼうとした結果、「うそぉ〜?」と場違いに明るく返した。この話が、本当か嘘かを知りたかったから。
嘘でも冗談でもないってことは、空気でわかっていても。
「ほんまやねん……」と言わせてしまって、一気に落ち込んだ。言葉だけでも「そうか……」と飲み込んであげればよかったのに、なぜかいったん笑ってしまって自分が嫌になった。美央に余計なものを背負わせた気がした。なんかわからないけど、なんか最低。美央が黙って泣いていることだけはわかった。たぶん、この電話を切ればもっとちゃんと泣けるんだろう。
泣いていない私は、連絡先がわかる同級生たちへの電話を引き継いで掛けていった。連絡先は残っていても、連絡を取ってない相手がほとんどだった。卒業以来だし急だし、そのとき初めて電話越しの声を知るクラスメイトもいたけれど、淡々と掛けた。
みんな同じように驚いていた、と思う。そして私が電話を掛けた全員が、安積とは卒業いらい接してなかった、と話していた。社会へ出てからも、私はしょっちゅう安積と電話であれこれ喋っていたので驚いた。安積はみんなと仲が良かったし、マメだし寂しがり屋だったから、みんなとも同じ距離感で繋がっていると思っていた。
私は安積に対して雑だった。着信があったことに気がついても、また掛けてくるからいいや、くらいの軽い気持ちでいた。
みんなに伝え終わってすることがなくなると、今から来る感情が怖かった。泣き出すことがいちばん怖かったけれど、泣いてはいけないと思ってもいた。
通夜と葬儀に行かないことを決めた。安積の死顔を見たくない。みんなの表情を見たくない。誰かと一緒に泣きたくない。
安積の死をひとりで受け止めなければと思った。泣くときは絶対にひとりでなければと思った。

あの頃、関西弁が飛び交う教室で、ひとり方言の違う私は「どこから来たん?」「……愛媛」「愛媛って(位置)どこやったっけ」というやり取りの何度目かでしょーもないプライドが折れて、ほぼずっと黙っていた。なんとなくグループに属していたものの、彼女たちは明るくてよく喋る。当時、私はイントネーションと大阪のノリに馴染めず、誰かに話しかけられるたびに疲れた。だからときどき授業をサボって、誰も来ない場所で音楽を聴く。青春を自覚できる、幸せな時間だった。
安積も明るかった。いつも元気だった。声が大きくてチャラそうでちょっと苦手だった。浅そう、という失礼な印象しかなかった。
それなのに、課題用に私が撮った写真をたまたま見た安積に「写真の人」と認識され、全然打ち解けてないのに呼び捨てされるようになって、校舎でも街でも、私を見つけるたびに「百子ぉ〜!」と呼び止められるようになってしまった。
一緒にいるチャラそうな男子たちの反応もチャラくて嫌だったし、話しかけられてもうまく返せないことはもっと嫌だったから、安積に気づかれる前にそっと逃げたり、呼ばれても走って逃げたりした。
ただ、写真をいつも見に来てくれるのは嬉しかった。質問してくれたり、他の人たちが去っても、まだ眺めていてくれたりした。
一対一だと、会話ができた。私は方言を気にして随時カタコトになるし、もともと喋るペースも遅めだから、相手をイライラさせるか白けさせるに違いないと思っていたけれど、安積は急かさず、いつも目を見て待っていてくれた。私ががんばって何か言うと、また自分の思っていることを返してくれた。
私の返しが変でも変わらず堂々と話しかけてくるから、私と仲が良いことは、安積にとって恥ずかしくないのだと感じた。方言は違うままだったけれど、喋れるようになっていった。
「(安積は)本質を見ようとする子」と言った美央の言葉を思い出す。理解をしようとする人だった。性別でも年齢でも人を区別せず、ひとりの人として見ている人だった。「なんで?」をたくさん持っている純粋な男の子だった。


葬儀に参列しない代わりに、その時間、空を見て過ごした。夏とも冬とも違う秋の午後の空は、見れば見るほど高かった。この水色の先に宇宙があって、天国はじゃあ、その手前にあるかな。それとも天国はパラレルワールドで、認識できなくても、実はすぐそばにある世界のことだったりして。
たぶん、私の想像では安積は死んでなかった。
そしてその日から、ニュースがだめになった。読むのも聴くのも一切できなくなった。ドラマも映画も漫画も小説も、「死」が出そうになると慌てて消したり閉じたりした。
夜にぼんやり考えていたとき、電話を掛ければまだ出るんじゃないかと思いついた。
掛けた。
『電波の届かない場所におられるか……』とアナウンスが可能性を与えてくれる。
ホッとした。
また掛けた。やっぱり電波の届かない場所にいるかもしれないと言われる。
念のため、もう1回掛けた。同じ。
次の日の夜も電話を掛けた。同じ。
1週間くらい続けた。毎晩同じアナウンスが流れて、安否確認をしているみたいだった。アナウンスが流れたって、実際には「否」。だけど気持ち的には「安」。縋れた。
そしてまた夜、安積に電話を掛けると、久しぶりに呼び出し音が鳴ったのでびっくりした。安積が電話に出る。夢じゃない。今から奇跡が起こる。
「はい」と男性の声がして、明らかに安積じゃなかった。
でも「安積!」と呼んでしまった。
「……ごめんなさい。秋はもう電話には出られないんです。1週間ほどまえに」
ゆっくり、優しい声で諭された。自分よりはるかに苦しいだろう人に続きを言わせようとしていることにハッとして「ごめんなさい。知ってるんです。でももしかしたら出るんじゃないかと思って……」と遮った。そんなわけないのに。
「すみませんでした」と謝ると、「あの……秋の……?」と尋ねられたので、「友達です、すみません……」と答えてから、嘘でも「恋人です」と言えばよかったと後悔した。
安積を好きだった、ずっと幸せだったと、言えばよかった。
「そうですか……。あの、秋はあなたの前ではどんなふうでしたか?」
「秋君は、優しかったです。みんなに好かれていて、よく笑っていて、よく人を、私を、励ましてました。とてもお世話になったんです」というようなことを、たぶん言ったと思う。もっといいところを言いたい、なるべく多く教えたい、と焦ったことは覚えている。
何かを伝えようとするほどうまく話せなくなることがあって、支離滅裂だったかもしれない。でもお父さんは頷くような相槌を打ってくれていて、途中で何度か微笑んでくれたらしき瞬間もあった。
そんなふうに、相手に安心感を与えられるところが、安積と似ていた。
最後にお父さんから真心を感じるお礼を言われてしまって、携帯を耳に当てたまま深くお辞儀をした。申し訳なかった。この人は安積を愛していた。安積はこの人に愛されていた。早く終わってしまった人生だけど、守られた時間はきちんと在って、幸せの中にいた日が在ったんだよな。そんなことを考えて、こどもの頃の安積に会いたくなった。
死ぬって、どれほどの痛みだろう。苦しかったかな。周りはまだまだ生きて、未来を見るチャンスがあるのに、自分だけ23歳で突然死んで、成仏なんてできるのだろうか。できないんじゃないかな。悔しすぎて、天国とか来世とか、そんなとこ、すぐには行けないんじゃないかな。もしかして、未だに事故現場から動けずにいたりして。そんなことを真剣に考えた。だから神様になってもらおうと思いついた。
そうすれば、安積は安積の世界一悲しい場所に、縛られずに済むんじゃないかと真面目に思った。
私に呼び出されてここへ来られるなら、きっと行きたいところへ行けるだろう。そのうち何かのきっかけで成仏して、生まれ変わり制度があるなら生まれ変わって。今度も温かい場所で、今度は長生きをして。


最後に安積と電話で話したとき、私は原宿を歩いていた。念願の東京生活を手に入れたばかりの頃で、街で声を掛けてもらい、美容室の撮影に参加した帰りだった。表情も仕草もがちがちになってしまい、真剣に仕事をする大人たちを悩ませた。挨拶をしてスタジオを出る頃には心底落ち込んでいて、ほんとうにうつむいて街を歩いていた。
ものすごく暗い気分で電話に出て、「人に失望されるってつらいよね」といきなり言って「どないしてん」と驚かれたことも覚えている。5分も話さないうちに、充電が切れかけてしまったことも。
「ごめん、充電切れそう」
「じゃあまた掛けるわ」
「ありがとう」
「俺が東京までバイクで会いに行ったるから元気出しいや」
「はは、待っとくわ」
「またな」
「うん、またね」
それきりになる。
どちらも約束を守れなかった。

3回忌の前日、私は夜行バスに乗っていた。安積のお墓に行きたくて。
美央ともうひとりの友達と、メールで安積の思い出話をしながら寝て、安積の夢を見た。
森の中にいて、ふと横を見ると、少し離れたところに安積が立っていた。かつてよく着ていた半袖のシャツを夢の中でも着ていた。名前を呼んで、駆け寄って、抱きしめた。顔を見上げると、安積が笑ってない。むしろ困ったような表情。不安になって、『安積、なんで笑ってないん?』と聞いてみたけれど、安積は最後まで口を開けてくれなかった。
朝、〈安積の夢を見たよ。〉とふたりにメールを送った。そうしたら、美央ではないもうひとりの友達から〈あたしもやねん。〉とすぐに返事が来た。
〈どんな夢?〉と返すと、バスが難波に着くのを待って、わざわざ電話を掛けてきてくれた。途中まで聞いて、心底驚いた。内容が、私の見た夢と全く同じだったから。
ふたりで興奮しながら続きを話した。
ただ、最後だけ違った。その子の夢の中で、安積は喋ったという。
「ずっと困った顔して黙っとってんけど、最後に『なんで笑ってへんの?』って聞いたら口開けてん」
「安積、なんて言ったん?」
どきどきしながら質問した。心底うらやましかったし、きっとそれが、安積の伝えたかったことである気がしたから。
「あんな、安積、『百子に会いに行くって約束したのに、行かれへんかったから気まずいねん』って言うてたよ」

だめになっていたニュースを、ある日突然もう大丈夫な気がして、読んだら読めてしまった。罪悪感や強い寂しさから、ごめん、を繰り返すようになっていた。立ち直ることに罪悪感があったのだ。
人はたくさん泣いても、時間が経つと前向きな発言をはじめることを知っている。みんなそれぞれの生活に戻っていく。記憶の中にいてくれるから、笑い合えた時間があるから、それぞれに持っているあたたかい場所で、立ち直っていけるのだろう。
それでも、自分だけはいつまで経っても悲しいままでいたかった。そばにいてあげたかった。

安積の夢を見て、安積も私に『ごめん』と言いたかったんだと知った。
ひょっとしたら、ごめんを繰り返す私に、『もういいよ』って言ってあげたかったのかもしれない。
罪悪感を持たなくても、忘れることはないし、私の記憶の中の安積は、やっぱり笑っている。


路線バスの中で、秋晴れを眺めながら繰り返し聴いていた曲が終わって、美央に短いLINEを送った。
〈安積に会いたいな〉
口に出したって叶わないし、自分に酔ってるの? って思われると恥ずかしいから、口にしてこなかった言葉だったけれど、文字にするとそういうことだった。

言葉は天国まで届くだろうか。
天国は在るだろうか。
私の神様は、今どこにいるだろうか。いるだろうか。
いてほしい。
そこが優しい場所であってほしい。
いつか、かたちを変えてまた出会うこともあるだろうか。
そんな日が来てくれるとうれしい。



神様のいない日に。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?