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『東大に行けなければ死ぬと思っていた。』~私が海外大学を選んだ理由~ vol.3

~前回までのあらすじ~
高1までは舞台と学業を両立しながら何とか“優秀な自分”を維持してきたが、高2の5月に決壊してしまった自分。演劇を予定通り引退し受験生活に入ったものの、偏差値に支配されたままで…。

第Ⅲ章 脱皮

私は高2の5月に演劇を予定通り引退し、受験に向けた勉強1本の生活に入った。そしてここで、演劇を引退したこと以外にももうひとつ自分に大きな変化があった。それは、学校で海外大学進学コース(海大進)に所属したことだ。

海大進とは、高2から始まる2年間のコースだが、単に海外大学進学を目指すコースではない。リベラルアーツのような学問領域を超えた授業や、課題発見・解決型のプログラムを通して自己決定力を身に付けるコースである。

ここで、第Ⅱ章までを読んでくださった方は、
「え?海外大学進学?国内大学を目指していたのでは?」
「偏差値に狂わされていたのでは?」
とお思いだろう。

その通り。私はこの時点でもまだ偏差値人間としてしっかりと偏差値に狂わされている。ではなぜ海大進に入ったのか?
きっかけは、先生からの“熱烈な”お誘いだった。

さかのぼること高1の秋、学校のボストンキャンパスツアーというものに参加した。このツアーは、約1週間かけてハーバード大学などのアメリカ・ボストンにある有名大学を巡り、インタビューワークやプレゼンをする研修だ。私は、海外大学に進学するつもりはなかったが、そのプログラムの内容に惹かれて家族に頼んで参加させていただいていた。

海大進に所属するには、高1の時にこのツアーに参加していることが必須だった。

高1秋:キャンパスツアー
高1冬:志願→英語力・成績・面接で選抜→内定

という流れである。

そして、おそらくこの年の海大進の志願者数が少なかったため、このコースに入らないかと私は先生に3回お誘いをいただいた。私はガチガチの偏差値人間。最初の2回は断った。
しかし、最後のお誘いを受けたときに「舞台で表現することが好きな君にこのプログラムはとても合っていると思う」という信頼する先生の熱心な演説と、「君たちの代から、高2から高3にあがる時に、国内組に戻れるというルールになった。」という嘘か本当か今でもわからないだめ押しのような条件にとどめを刺され、私は入ることになった。

20歳の私が今この先生にとても感謝していることは、16歳の私はきっと知らないだろう。この海外大学進学コースでの学び、葛藤、生活こそが、私の世界を、人生を、変えた。



状況を整理すると、この時の私は、国内大学を目指しながら海外大学進学を目指すコースに入っているということになる。
高2では、週に7コマほど国内組とは違う授業を受けた。

例えば、
英語の課題図書
→授業でディスカッション
→課題でプレゼン準備&授業で発表
→お互いのプレゼンにQ&A
→またディスカッション q
→課題でまとめのエッセイ書き(英語)

というような流れを数週間単位で進める。

私の代は、自分を含めて3人の生徒しかいなかった。
そして、贅沢なことに先生も3人いらっしゃるのがこのコース。少数制の海大進の授業の基本は、とにかく“対話”である。
最初はみんな、挙手をして発言したり、指名されるまで発言できなかったりした。しかし、最初の数週間を過ごすと、自然なディスカッションができるようになった。
この“対話”を通して、私は積極的に学ぶことの楽しさを知った。

また、プレゼンやエッセイを通して、英語の体力はもちろん、論理的・批判的思考を身につけた。その結果、一方的に先生の話を聞くだけの情報受信ではない、能動的な学びの楽しさに目覚めた。

そして、ここに来て、演劇で培ってきた“表現をする”という自分の得意分野が覚醒した。
また、いかに相手にわかりやすく説得力を持たせて伝えられるかなど、“表現”という言葉ひとつにも様々な切り口があることを学んだ。
人前で表現をし、メッセージを伝える。そして、そのメッセージを介して人と繋がる。

やっぱり私は表現をすることが好きだ!!!
心の底からそう思った。


お気づきだろうか。
この時点で、私は偏差値人間の皮をだんだんと脱ぎ始めている。

そんな中で春から夏、夏へと秋からへと月日は進み、
進路選択が迫りくるのであった。

(第Ⅳ章へ続く)

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