見出し画像

#5|I'm back


皆様、ただいま戻りました。

お久しぶりです!とんとんです。

前回の投稿は昨年の6月21日でしたね…。
実は前回の記事を更新した直後に卒業後の進路を変更することになり、進路準備に集中するために、note執筆から一旦離れていました。

そして先日、進路準備にようやく区切りが就いたので、note執筆を再開します!インターネットの端っこにちょこんと存在する記事ですが、誰かの心に届いたら嬉しいです。ぜひ、気軽に読んでいただけたら嬉しいです!
今後ともよろしくお願いいたします。

最近@アメリカ


私が”書く”理由

さて、今回は、近況報告に加えて、もう1つ取り上げたいテーマがあります。
それは、私が”書く”理由。

私がnote執筆を再開しようと思ったきっかけのひとつに、「書くことの力」を感じたことがあります。
私は、書くことの力は2つの視点から考えられると思います。

1.書き手視点

1つ目は、書き手が得られる力。
例えば、言語化能力。他者に読んでもらうことを前提とした文章執筆において、なるべく読み手が初見ですっと理解できるような表現選定と文章構造を意識することは大切。当たり前のことかもしれませんが、これが思った以上に難しい。
この1年間、進路準備のための文章を毎日書いてフィードバックをもらうことを繰り返していましたが、毎日大量のツッコミを入れられて、自分の言語化能力に絶望しました…笑

書く→FBもらう→思考してまた書く、のサイクルを毎日繰り返すうちに、少しずつ、少しずつですが、相手を意識した文章執筆を意識できるようになったのは、この半年間の大きな収穫でした。

ただ、最近は、誰でも理解できる文章を書く力だけが言語化能力ではないとも考えるようになりました。

私は、上記のサイクルを半年間繰り返す中で、「正解の文章」、つまり、誰が読んでも理解できる社会化された文章を書くことから抜け出せなくなりました。

そんな中、先日、自分の過去の文章を見返していたら、当時高3の自分が進路選択に対して悩んでいた心情を、次のように表現していたんです。

「とにかく頭の中では、北海道生乳100%使用の特大ソフトクリームみたいに、とても濃くてエンドレスな渦が巻いていた。頭の中は決して冷えていなかったが。」

この文章を見つけた時、自分が書いた文章であるのにもかかわらず、衝撃を受けたと同時に、過去の自分に嫉妬しました(笑)
今の自分には、こんな自由な表現が書けるかな…と、自分の思考や表現の仕方について、立ち止まって考えるきっかけになりました。

これらの経験から、私は、特定の誰かをターゲットとしつつ、誰にも譲れない自分だけの表現を使用した文章を書く力も、立派な言語化能力と言えるのではないかと考えるようになりました。

90%のマジョリティーに向けた文章も、1%のマイノリティーに向けた文章も、どちらも書ける人間になりたい。

そのために、これからも書くことを通じて真の言語化能力を高めていきたいです。

2.  読み手視点

2つ目は、読み手が得られる力。
例えば、情報としての力。この9ヶ月間、自分で文章を書くことはしなかったものの、毎日世の中のいろんな文章を読んできました。新聞、本、Social media等。

その中で、自分を救ってくれる文章に時々出会うんですよね。
個人的に救われるなぁと感じる文章は主に2種類。

1つ目は、誰かの人生の選択や葛藤に関して綴られた文章。
私は、人生の選択を考える上でのヒント収集を目的として、自分が歩みたい人生に近い人生を歩んでいる方々の本や記事を定期的に読みます。
そして、人生の選択の判断軸や、選択した上で得た成功・失敗等、自分だピンときたideaを書き留めて、人生選択のヒントとして使用します。
(私のGoogle driveには、経営者や芸術家等、いろんな人生の先輩達のリサーチ&分析ファイルがあります😊)

2つ目は、自分と同じ境遇で生きている方が綴った文章。
例えば、同じく海外大学に通う仲間の文章。
ここでひとつ共有したいエピソードがあります。

私は、どんな人間にも、その人にしか見えない地獄や葛藤があると考えています。
私自身も、海外生活の中で、「死に切れないから食う。うまいから食うのではなく、生きるために食う。」みたいな瞬間が多々ありました。
でも、そんなことは人に話せませんでした。話す必要もないと思っていました。

そんな時に、自分と同じような極限状態であろう人が書いた、「魂の叫び」のような文章を発見しました。
そんな時だからこそ、発見できたのかな。

それは、大学3年生の春。文字通り、死にきれないから食う状態だった時、「海外大学 鬱」と調べたら、以下の記事を見つけました。

私は、この文章に救われました。
あ、この人は、世の中に「魂の叫び」を提供してくれているって。
自分と似たような境遇の人がいたんだ、そして、この人は乗り越えたんだって。

その表現選定や内容から、見栄えを気にした上辺のSocial mediaなんかでは感じられない、筆者の裸の魂の叫びを感じました。決してポジティブな内容だけではないこの文章から、その日を乗り越えるエネルギーをいただきました。
(この場を借りて。筆者の田淵さん、ありがとうございました。)

そして、この話には続きがあります。
この記事に出会ったあとに、
「海外大学 死にたい」(※文章の最後に注釈あり)と調べました。

そしたらなんと。

検索結果に出てきた自分の記事

検索結果を少しスクロールしたら、過去の自分の記事が出てきたのです。
思わず「えっ」と声が出ました。

そして、その瞬間に決めました、私は書くことを生涯続けようと。
インターネットの端っこにある記事でも、世界の誰かの、その日を生き延びるエネルギーになるかもしれない。先が見えない山中で遭難した人に、最後の一滴の水を供給できるかもしれない。そしたらその人は数時間だけでも生き延びられるかもしれない。だから私は書く。絶対に書き続ける。

そう決めました。


書き手、読み手、双方にとって、やっぱり書く力は偉大ですね。

これらの書く力を体現するために、これからも書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします!

_______________________

番外編~海外生活中のメンタル管理について~

※『「海外大学 死にたい」と検索した』という表現に関して、かなり強い表現を使ったので何点か補足事項を書きます。

①当時、突発的にそう思った瞬間があっただけであり、自害行為に至るようなことはなかったので安心してください。

②同じような状況にいる留学生へ
まずは、この文章を読んでくれてありがとう。頑張れと言ったり、辛いよねと同情したりするつもりはありません。ただ、客観的なアドバイスとして、当時の状況を乗り越えるために自分が実践した上で活きたことを2つ共有させていただきます。

・ルームメイトや友人に相談する
話せる人がいる場合は、すぐに話してみよう。完璧な英語でなくてもok。泣きながら、赤ちゃんみたいに単語単語で話してもok。
まずは、話してみよう。大丈夫。深呼吸して、今すぐ部屋に行くか電話をかけてみよう。チャットよりも、電話。電話よりも部屋に押しかけた方が、早く話を聞いてくれる人にたどりつける可能性が高い。
大丈夫、絶対に大丈夫だよ。

一方で、キミのストレスの要因が、ルームメイトや友人の場合もあるかもしれない。その場合は、もちろん無理に彼らに話す必要はない。

ただ、ここで共有したい私の経験談が1点ある。
私は、周囲の人達との関係性に対して固定概念を持ってしまった時期があった。おそらくこの要因は、長期間海外で過ごす(=文化的マイノリティーとして長期間過ごす)経験が初めてだったことにより、文化の衝突に関する課題解決の仕方が身についていなかったこと基づいていると思う。

例えば、共同生活の中で不快だと感じる行為を立て続けにされた時のこと。自身が不快だと感じている旨を、相手と自身の双方が納得できるような解決策とともに何度か柔らかく伝えたのにも関わらず、相手がその行為を辞めないことがあった。
毎日の不快な行為によるストレスと、相手に寄り添う形で話を持ちかけても課題が解決しないダブルのストレスで精神的に限界だった。

その結果、
「私は留学生だから。私はアジア人だから。私は日本人だから。だから、彼らとはわかり合えない部分がある。」
と、自分と彼らのバックグラウンドの違いを自分の都合の良いように解釈して自分に言い訳をすることで、彼らとの課題解決を諦めたことがあった。

また、そのような都合の良い解釈をし続けた結果、相手を1つの角度からしか見ることができなくなり、ただひたすら相手に対する嫌悪感とストレスを感じることしかできなくなったことで、さらに自分を苦しめていた。

そんなある時、私の我慢の糸がプツっと切れて、同じ部屋に住む当事者の前で泣いてしまったことがあった。
そこで、彼女は初めて私が抱えていたストレスを理解してくれた。
私の話をきちんと聞いて、私達の間にあった課題も一緒に解決してくれて、大学生活全般のストレスについて話を聞いてくれた。彼女は、自分が思っていた何倍も人に愛情深く寄り添える側面も持っている人だった。

この時、自分が彼女に対して都合の良い解釈を続けたが故に、彼女を1つの角度からしか見ることができなくなっていたことに気がついた。

私はこの経験談から、もしもキミがこの感覚に少しでもピンと来た場合、キミに毎日ストレスを与えるその人は、もしかしたら助けてくれる人でもあるかもしれないということを伝えたい。
自分にはselfishな側面が強く見えているだけで、実は優しい側面もあるかもしれない。
その場合は、その子に悩みを話すのもありかもしれない。悩みを話す延長線上で普段の不満と解決方法を話し合うことができれば、ストレスの要因を解決するチャンスにもなる。

・大学のHealth Centerに連絡
大学のヘルスセンターは、学生のためにあります。キミが支払っている学費で成り立っています。権力と同じ、使うために存在しています。
だから迷わずGO。

日本だとカウンセリングを受けることに対してネガティブなイメージを持つ人が多い気がするけれど、それは断じて違う。

私は、カウンセリングを受けることも含め、自分の精神状態を管理できる人が自立した人だと考えています。

私の友人で、超ポジティブで成績優秀で友人も多いパリピーー!みたいなアメリカ人の友人がいるのだけれど、その子でさえもカウンセリングに通ってた。彼女曰く、「病んでるわけでもないし悩みもないけど、メンタルヘルスの管理のために、カウンセリングは定期的に予約して、普段からスケジュールに組み込んである。メンタル管理のためにカウンセリングを利用するのは普通のことだよ。」とのこと。

本当にその通り。カウンセリングを受けることは、ネガティブなことでも何でもない。他人に言う必要もないしね。

そして、もう一度伝えるね。大学のヘルスセンターは、学生のためにあります。キミの学費で成り立っています。権力と同じ、使うために存在しています。


上記、ぜひ参考になったら嬉しいです。
今日まで戦い続けたキミは強い。本当にI'm so proud of you. You should be proud of yourself.
マジでイケてる。本当にかっこいい。マラソンの辛いときだよね。本当に辛いよね。でも自分で決めた道だし。毎日背水の陣だよね。

ここまで読んでくれたキミなら絶対に大丈夫。一緒に深呼吸して、お外の空気を吸ってみよう。遠くから手を伸ばして背中なでなでしてるよ。大丈夫だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?