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名付けて衣類手記第11話【取り越し苦労をしないため】

どうも衣類です。
今日は風景写真でもつけてみました。
僕んちの近所に樹芸センターや広い公園があり、散歩に出かけるといい写真が撮れるのです。


さてさて、自閉症ネタか怪しいけどとりあえず文章は日々打ってます。
お題は「神は乗り越えられない試練を与えない」です。

「乗り越えられる試練しか与えない」とかまぁ表現はともかくもそういう言葉がある。
発達障害を持つ僕たちでは、一般的に可能であることもなかなか難しかったりする。
慣れてしまえばと思うが、慣れるまでそうは待ってくれないのが社会。
で、これを乗り越えられない試練と考えるかどうかなんですが

各々の信仰はどうでもいいので、自分たちの心の中の神様が本当に
「これを乗り越えて」と言ったのかどうかを確認してみよう。

こんなのできない!
乗り越えられないよ…。
しんどい…無理…。

って出来事を、本当にあなたの神様は「乗り越えなさい」と言っただろうか。
自分は天に与えられた課題ではないことにまで反応しすぎていないか?
という事を、念頭に置いてみるといいかもしれない。

僕の中にいる神様は割と「それ今じゃないよ」とか「これは課題じゃない」どころか「あっちに周りこめ」とかまで言ってくれている気がするんですよね。

例えば僕の発達障害の悩みなんかは、自力で乗り越えるも何もジャンルによって頼れる機関が沢山あるし(診断や症状の緩和等はクリニック、障害者就労なら支援事業所、意見交換はカウンセリング等)
乗り越えるべき課題は「頼れる機関の情報収集」だけだった訳だ。

そりゃ支援機関を頼らずに全部やるとなると、それは辛く厳しい試練になったかもしれないが
支援員さん等の専門家は僕じゃ気づけなかったような情報をたくさん持っているし
あと僕は幸運なことに親も協力してくれる人だったので、情報不足になることはなかった。

僕はこう思った。
神様は試練は与えるも、様々な困難に対し逃れの道をも用意してくれているのだと。
だから困難に際し苦しんでいる時には、そもそもそれが今乗り越えるべき試練なのかどうかを再確認し
その苦しみから逃れるため示された道を察知していきたいと思う。

……ってこれ宗教じみた話になっちゃってないかな。
あくまで自閉症当事者の手記ですハァイ。

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