認められるより、求められたい

承認欲求というのがあるけど、
認められたい、共感してもらいたい以上に、
求められたい、必要とされたい欲が強いと気づいた。

求められるということは、認められているということで、この二つは別の願望というよりは、より深い、あるいはより大きい願望なのかもしれない。

認められるとは、
自分のできること、やってきたことを、自分と同じ目線で評価していることかなと思う。
どういうことができてどういうことを成し遂げたか、その結果がいいものだったか、悪いものだったか。
自分がいいと思うことを、相手もいいと思っている、その状態が、「認められる」ということかなと思いました。

求められるとは、
能力やこれまでの成果はともかく、
今後これを成し遂げて欲しいという要求があること。
実際は、力を見込んでいるから要求するということになるんだろうけど、場合によっては、直接関係する力や成果がなくても、任せたいという場合はあるだろう。

こういう風に考えてみたら、
認める、は過去と現在
求める、はそれに未来が追加されている。

求められる、までいかないと、なかなか人は動かないのかもしれない。
自分に自信があったり、自分の使い方を自分でしっかりわかっている人は、相手が何を求めているのかもわかるのかもしれないけれど、
そうじゃない人も多いんじゃないかな。
自分は、求められることが、まだまだ必要な気がした。

そうすると、この仕事、あなたにやってほしい。うちに、あなたが来て欲しい。
って言われたら、なびいちゃうよね。
今いる会社に、改めてそんなこと言われる機会ないから。
もっともっと、毎日、毎期、やることがたくさんあったなら、「求められたい」という気持ちが表面に出なかったかもしれないな。

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