母の味

母の味…っていう言葉も、そのうち死語になるのだろうか。

私の母は、あまり料理が好きじゃなかったから、
巧みにお惣菜や冷凍食品に頼っていた。
正直、「好きなお母さんの手料理は?」という質問の答えには詰まってしまう(そもそもこんな質問はしないでほしい)。

お弁当に入っていた卵焼きだけは、忘れられない味と見た目で、全然同じように作れないから、今はそれが母の味だと思っている。

よく作ってくれたのは野菜炒め。
これなんて立派な手料理だったはずだけど、
子供の私にはそのおいしさ、ありがたみがわかってなかったなあと思う。

最近、仕事に持っていく昼食としてお弁当をこさえることが増えた。
いつも、おにぎりと小さなおかずボックスか、お弁当箱にご飯とおかずを詰めるかのどちらかなんだけど、
歯に海苔がつくのが嫌で、ご飯に海苔を入れたことがなかった。

それを、「海苔で巻いたおにぎり」にしてみたところ。
お昼休みに、お弁当を入れているトートバッグを開けると、ふんわりと海苔とご飯のの香り。
あ、なつかしい。と思った。

母は料理が嫌いだったけど、なんの意地か、高校3年間私にお手製のお弁当を欠かさず持たせてくれた。
心配症な母は、真冬以外、バッグに保冷剤をこれでもかと詰めていて、お昼には冷え切ったお弁当を食べることが多かった。
それが美味しかったかまずかったかは、あまり覚えてないけど、冷えたおにぎりというのはそんなに悪くなかった。
冷えているから食事が美味しくない、ということでもなかったんだと思う。

それで、この間自分で作った「海苔おにぎり」も、一口食べたら、その冷え具合も含めて、
「ああ、これが母の味かもしれない」
と思った。

心配症を引き継いで、私も保冷剤をよく入れる。
冷えたおにぎりは、会社のレンジで温めれば良いのだが、その時はちょっといろいろあって、自分の車の中で一人で食べるハメになっていたから、
冷たいおにぎりに再会できたのは偶然だったかもしれない。

もうすぐ、母が私を産んだ年齢に、私が追いつく。
母が何を考えていたのか、どういう思考だったのか、わかってくるかもしれない。
わからないことの方が多いかなと思うけど。

母と同じルートを私が歩くかどうかはわからないけど、
母の味、母の影、そんなものがこれからどんどん思い出されていくのかもしれない。

時間と共に忘れるだけでは無くて、時間と共に思い出すこともあるんだな。

着々と重ねていく年齢も、また少し怖さが薄れた気がした。

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