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「敢えて、やる」で少しだけ未来を変えたい。

先日職場で、久しぶりに会った人がいた。
前回会った時、体調が悪いとこぼしていたのを思い出した。
思い出したのに、「体調いかがですか?」とか、「お疲れですか?」とか、声をかける勇気がなくて、そのまますれ違ってしまった。

声をかければ、相手も、何らかの感情を持っただろうに。
気にしてくれる人がいて嬉しいとか、本当に何かあったら相談してみようとか。
でも、私はいつもそうだ。何かに気付いても、怖気ついて声をかけられないことが多い。

声をかける勇気が出ない理由は大きく二つ。
なんとなく、相手の体調や感情を決めつけてしまう気がするから。余計なこと聞くなよ、踏み込んでくるなよと、相手が気を悪くしてしまわないかと、恐れているのが一番。
また、「オカン」みたいにいちいち気にしてきてうざいな、と、私が思われたくないのが二番。

とはいえ、言っても言わなくてもどっちでもいいんだから、言わないのが正解なのかもしれないな、と思う一方で、
お節介でもいいから一言声をかけられる人になりたいなとも思う。
いつもではなくても、気にかけてくれる人がいると、私自身が安心した経験もあるから。

最近気になっているのが、「勇敢」というワード。
私は勇気や勇敢さとと正反対にいるような人間で、リスクもリターンも取らない慎重派だと思う。
でも、勇気を出してやってみる、言ってみる、というのが、これまでも人生のターニングポイントになってきた自覚はある。
だから、普段から時々意識して使いたいものだなとも思い始めてきた。

私が4年くらい前に大好きになってずっと聴いているポッドキャストがある。
ECサイト「北欧、暮らしの道具店」店長の佐藤友子さんと、スタッフのよしべさんがおしゃべりしている「チャポンと行こう」。
お仕事の話も暮らしの話も、日々のエピソードが、熱く面白くゆったり語られていて、癒されながら元気をもらえる不思議な番組。
この番組で、店長の「勇敢エピソード」が何度か登場した。
「勇敢っていうのは、「敢えて」勇気を出してやっていること。本当はやりたくなかったり気は乗らないんだけど、それでもやった方がいいと思うから、「敢えて」やる。「敢えて」言う。んだって」
と、店長が語っていた。(意訳)

この「敢えて」という言葉から連想された感情が、刺さるほど響いた。
私は「敢えて」やっていることなんてあるだろうかと。

気持ちとしてはやりたくないけれど、誰かのため、自分のため、未来のためを考えたら、今やった方がいいと思って「敢えて」やる。
感情として想像はできるけれど、久しくそんな気持ちにはなっていないと思った。

いつも、やりたいことをやる、やりたくないことはやらない、とか言って、
結果的に何も得られていないんじゃないかと。

無理をする、とはまたちょっと違う。
勇気を出して、敢えてやってみることで、違う世界が広がる。未来が変わる。それは確実にそうだと思う。

これからの私が「敢えて」やりたいことは、誰かに声をかけること。
「困った時は助けるよ」
「気にかけているよ」
言っても言わなくても今日は何も変わらないかもしれないけれど、そんな一言を、「敢えて」伝えてみたい。
それで誰かの心がほんの少しほぐれるなら、敢えてやってみた価値はある。
そして効果に関わらず、そんな自分を自分が褒めてやれそうだ。

私は行動にゴールが必要なタイプだし、感情と行動が一致しないと気持ち悪い。
やりたいこと、やった方がいいと思うことしか、ストレートにできない。
そこで敢えて、意味のなさそうなこともやってみたら、もう少し人生の幅が広がったりするのだろうか。
まずは声をかけるほんの少しの勇気がほしい。勇気は誰からももらえないから、自分で自分に声をかけて、奮い立たせる。

そうして未来を少しずつ少しずつ変えていくのだ。いま思い描いた姿を超えて、どんな道が待っているのかこの目で見たいから。

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