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「嫌い」から「好き」を探る

私はあんまり、「嫌いな人」っていないと思うのだけれど、やっぱりゼロではない。
結構長い付き合いの人で、どうしても好きになれない人がひとりいる。
100%大嫌いではないけれど、時々びっくりするようなことを言われたりそういう行動をとるので、愛想笑いすらできないほど引いてしまうことがある。

こんな人ともう会いたくないと思ったりもするのだけれど、それだけで生活を変えるほどでもなく、結果として定期的に会ってしまっている。
認めたくないけれど、自分と似たところもあったりするんだろうなあとかも気づいていて、がっかりしたりもする。
他人の嫌いなところは自分の嫌いなところであり、こうなりたくないという姿、
その逆が、自分の好きなところだったりそうなりたいという姿なのかなと思う。

嫌だなと思うのは、言葉に行動が伴っていない人。
有言実行できないとかそういうことよりも、他人に対して厳しい割に自分には甘い、といいう人に、嫌悪にも近い感情を抱いてしまう。

総じて、他人に対して強い言葉を使う人、が当てはまる。
役割としてそういうことをせざるを得ない人もいるかもしれないけど、〜してください、〜しないでください、のような、命令口調だったり、命令そのものを強めにしてくる人が結構苦手だ。
大抵の場合、人間は完璧ではないのだから、いくらやれやるなと言っても、当の本人だってそれを100%は守れない。
それなら、最初から少し言い方を工夫したらいいのにと思ってしまう。
遅刻しないでとか、時間を無駄にしないでとか、当日までにちゃんと準備してきてとか、
同じこと、当たり前のことを伝えるにも、言い方は何通りもあるはずで
それだけで、「言葉と行動のズレ」はだいぶ解消できるんじゃないの、と思う。

他人をむやみに否定する人も苦手。
正直、もはや世の中に「普通」の人なんていなくて、誰だって何かしらのでこぼこを持っている。
そのどこかに、たまたま自分の感情が引っかかったからといって、あの人は○○だとか、決めつけたり否定したりするのはなんか違くないか、と思ってしまう。そう言っている自分にはそういう一面もないのかよ、とつっこみたくなる。
話題の一つとして、そこにいない誰かの話をしてしまうことはもちろんあるけれど、それが否定的だったり、あまりに難癖みたいな評価だと、それが自分と関係ない人だったとしても、嫌だなと思う。

それで、じゃあ自分はどうありたいかというと、言葉を丁寧に扱いたい、他人のことも否定したくない、ということだと思う。
強い言葉を使わずに、意図の芯の部分を伝えたいし、自分の行動と矛盾のない言葉を使いたい。
どんな人にもでこぼこがあるのだから、それを良い悪いと判断するのではなく、その時その時でまっすぐに向き合いたい。

やっぱりというか、「意見言えない」の話とも繋がってきちゃうな。
自分の理想を守るために、自分から出ていく言葉を制御しすぎて、何も言えなくなりそう。
とはいえ、それはそれでいいとも思っているのかも。
行動を変えたいとは思っているけど、その根っこというか、思想が根拠になっているのなら、その部分の解釈を変えていかないと、結局しんどくなるだけなんだよな。
行動が先か、気持ちが先か、どっちでもいいけれど、付け焼き刃だと自分の中にも矛盾が生まれそう。

ここが嫌、を認識したとて、我が振り直すにはちょっと理想論過ぎたりもする。こんなふうに他人の一部分を否定的にみてしまうのは、まさに自分の嫌なところだったりもする。
まあそれも仕方ないか、とスルーして、こんど嫌いなあの人と会った時には、自分の投影をそこに見ながら可愛いやつめ、とでも思っておこうかな。難易度が高いな。

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