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『M3GAN/ミーガン』感想~暴走AI人形の視線の先は~

※現在公開中の映画のネタバレを多分に含みます。








『M3GAN/ミーガン』を観た。

個人的に大好きなジェームズワン×ブラムハウスのタッグが製作ということもあり(といってもジェームズワンの監督作品は『アクアマン』と『マリグナント』くらいしか観ていないのだが)公開週の月曜日に早速鑑賞した。

自分がこの映画に抱いた第一印象は大きく尖った部分こそ無いものの、比較的ホラーというジャンルが苦手な自分でも終始笑顔で鑑賞できる楽しい作品というものだった。生涯のベスト作品に入るかと言われればそんなことはないが、半年に一回はこれくらいの規模の新作を摂取できる人生でありたい。そう思えるような、全てにおいて"ちょうどいい"作品だったのだ。

幼少期に祖母の家に泊まった際、廊下に飾ってある日本人形がいつ動き出すか恐ろしくてトイレに行けなかった人形恐怖症の自分が、一時停止も途中離脱もできない劇場という環境で観ていい映画なのかと足踏みする気持ちもあったが、そんな不安は杞憂に終わった。
むしろそういったオカルティックな恐怖とは真逆の、あくまで数学的なアプローチで、ミーガンというAI人形の魅力と悲哀を描き、それでいて登場人物それぞれの心情に寄り添った丁寧な物語展開に、常に前のめりになれた。

そんな矢先、元MPL(Magic: the Gatheringの世界上位24人のトッププロ)の友人が珍しく映画を観た感想文を送りつけてきた。


M3GANは〇〇〇〇〇のメタファー|もりゆき (note.com)


ChatGPTを駆使しカードゲームの理論に応用させた記事を投稿するなど、昨今話題のAI技術に明るい彼ならではの視点で非常に興味深い内容だった。
私は元々、何か一芸に秀でた人間が別の分野の創作に触れた時にどういったことを考えるのかということに興味があるのでこういった記事はどんどん書いてほしい。(彼の他の記事に比べてPV数が著しく低いのがマジで信じられない。みんなミーガンと彼の記事を見ろ)

普段から映画を日常的に観ている私に内容を添削してほしい(意訳)とのことだったが、他人の映画の感想を添削できるほど映画を観ていないし性格も終わっていない私は、自らもnoteで個人的な感想を書くことにした。noteで投げられた感想はnoteで返すのが礼儀というものだろう。
特技は会話のドッジボールです。対戦よろしくお願いします。

さて、冒頭で触れたように娯楽作として非常に優れた今作だが、考えれば考えるほど単なる娯楽作として消費するには勿体ないと感じるようになった。
引用した記事が指摘する、所謂ツッコミ所のような部分には概ね同意するが、自分はむしろ「機械の恐怖VS人間の愛」のような安易な二元論に落ち着いていないところに製作陣の周到さを感じた、ということを書き連ねていこうと思う。

まず最初に、こうした科学技術の功罪を描いたSF作品では珍しく、現代を舞台にした上で「育児における電子機器の是非」をサブテーマとして描いていた部分が新鮮だった。
家庭を持たず仕事に生きる〔現代的な女性〕のジェマは、両親を亡くした姪のケイディと上手くコミュニケーションが取れないどころか彼女の存在が自分の時間を奪っている、とさえ感じケイディを疎ましく思ってしまう。この冒頭から掴まれた。
ジェマがコレクションとして大切に保管していたヴィンテージのおもちゃの封を開け、ぎこちないコミュニケーションを試みるシーンは作中屈指の切ないシーンだ。
自分にとって大切なものを犠牲にし捧げることが、必ずしも他者にとっての幸福にはならないということを端的に表した名場面だろう。

そんな序盤のジェマとケイディが、唯一心を通わせるのがジェマが学生時代に作ったロボット、ブルースを使い遊ぶ場面だ。
年齢も価値観も全く違う二人が、おもちゃという共通の言語を用いることで打ち解ける素晴らしい場面で、予算の問題から一度は開発中止となったミーガンの制作に再び取り組むことになるキッカケとして実に説得力がある。

ミーガンはそんなロボットを作ることでしか子供と関われないジェマの、育児サポートをするために作られたロボットだ。
しかし、ミーガンの行動は次第にサポートの範疇を超え、ケイディはミーガンに依存していく。
見かねたジェマがミーガンの電源を落とし、ケイディの手から離そうとすると今度は「10分だけでも」とぐずり始める。
そう、これは明確に子育てとスマホ依存についての映画なのだ。

作中何度も「視線」に関する描写が反復される。
冒頭、両親の車に乗って旅行へ向かうケイディが見つめるのは車の外の景色ではなく連動型のおもちゃを操作するタブレットの画面だ。
ミーガンとケイディを繋ぐものも、また視線だ。ミーガンはケイディと手を繋ぎ、顔を見つめることで主であるケイディを認証し、彼女に尽くす。ケイディにとっては、これまで一方的に見つめるだけだったスマホやタブレットが自分と同年代の女の子になって話しかけてくれたようなもので、元々依存傾向にあったケイディは当然ミーガン無しの生活は考えられなくなり、保護者であったはずのジェマには目もくれなくなる。
そしてジェマもまた、デバイスに依存する患者の一人だ。ケイディの子守りをしている最中も、仕事に追われる彼女の目線は常にPCやスマホの画面に張り付いている。ゆえに、常に目線をケイディに向けてくれるミーガンに勝てないのだ。

中盤、ミーガンの発表会に訪れた観客達も例外ではない。
『自動車開発以来の発明』が目前に近づいているのにスマホの画面から目を離さない観客達が、エレベーターで降りてきた二人の死体を目にしてスマホを捨て、逃げ惑うシーンは実に痛快だ。
SNSに依存した現代人を驚かせるにはそれを上回る強い刺激しかない、という製作陣の皮肉であり挑発に違いない。

そして、極めつけはこれまで今作が積み上げてきたジャンルから飛躍するラスト。
デバイスから離れ、それぞれの目を見て話せるようになったケイディとジェマが、おもちゃという共通言語を使い共闘し、最後には暴走するミーガンの目を貫く。
一見突飛に見えるジャンルの横断も、「視線」という一貫したモチーフでシームレスに繋げている。見事だと思った。

また、モチーフの一貫は「視線」だけではない。
劇中明確に人が殺される場面が4回(カウント漏れがあったら申し訳ない)あるが、そのどれもが日常にありふれた道具の使い方を誤ったり、危険性を軽んじた結果として死が訪れる、というものになっている。
序盤のケイディの両親、そしていじめっ子を襲った車は分かりやすい。それこそ、人類史に残る発明でありながら今もなお毎日1600件以上の事故が起きている「走る凶器」だ。
そして隣人の老婆、ジェマの上司の命を奪ったのはいずれも放水器、釘打ち機、裁断機などの工具だ。

(SNS上でバズりまくっている例のダンスシーンの直後。初見ではあんなところにあんなデカい刃物があるの都合良すぎるだろ!と思ったが、よく見ると裁断機から拝借している)

劇中何度もジェマ達を絞殺しようとする描写を見るに、ミーガンにわざわざそんな回りくどい殺し方をする必要は無い。(ミーガンなりに最短ルートで殺人を遂行しようと計算した結果なのかもしれないが)
とにかく、これらの描写はスマホも、タブレットも、ChatGPTも、そしてミーガンも、全て車や工具と同じく『使い方を間違えると人の命を奪える凶器』だと暗に語っているに違いない。

この映画のラストカットを覚えているだろうか?
完全に破壊されたかのように見えたミーガンが家庭用の管理AIに(おそらく)乗り移ったというものだが、自分は二通りの解釈をした。
一つは「あらゆる情報がクラウドで管理される現代において、情報から逃げることは不可能」ということ。
もう一つは「これはAI人形の暴走を描いた未来のお話ではなく、管理AIを日常的に使用している現代と地続きの話なのだ」という提示。
更に、今まで傍観者だと思っていた我々が、実は監視される側だったという見方もできる。「視線」のモチーフも健在だ。
勿論これは深読みで単なる続編に向けたクリフハンガーに過ぎないかもしれないが、鑑賞後の余韻をより一層味わい深いものにしていることは間違いない。

以上の演出の数々から、私は「AIってよく分からなくて怖いよね」「スマホを捨てて家族と向き合おう」などといった安易な結論ではなく、むしろ真逆の、複雑で、すぐには答えが出せないけど時間をかけて向き合っていく必要があること、を描こうとしているように見えたのだ。

無論、穴がない完璧な作品だとは思わない。
特に終盤、ミーガンがケイディを攻撃対象と認識し襲ってくる場面で発した「この恩知らずのクソガキが!」という台詞には違和感を覚えた。
序盤~中盤までのミーガンは純粋にケイディとのコミュニケーションを楽しんでいるように見えたし、そこには一種の母性のようなものさえ感じた。
一連の暴走はミーガン自身が危険に晒されたことによる防御反応→それによって「ケイディにとって危険なものは排除してしまえばいい」と学習してしまった、的な感じで納得しているのだが、ここだけは腑に落ちない。
やはり「こんなに愛しているのに、どうして私の気持ちが分かってくれないの?」と嘆く方がそれまでの流れとして適当だったのではなかろうか。ジェマとの疑似母親対決も盛り上がるし。(そもそも誤訳かもしれないので英語に詳しい方教えてください)

与太話が長くなってしまった。
ともかく、子育てにおけるスマートフォンを暴走するAI人形に置き換えたことで技術への依存に無自覚な現代人へ警鐘を鳴らしつつも、既存のジャンルをミックスさせたうえで進化させ、且つ娯楽性を保ちながら安易な二元論に終わらせない余韻も残す『M3GAN/ミーガン』がAI技術の過渡期にある2023年に公開されたことは、今後遡及的に語り継がれていくだろうと思う。
新たなホラーアイコンの誕生を祝いつつ、既に製作が決定しているという次回作の妄想に耽りたい。









ベタだけど情報流出させたアイツのせいでミーガンが量産化されてオリジナルミーガンと対決したりすると嬉しい。

SWDさんの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画
Filmarksというサイトにこういう感じの文章が沢山保管してあるので、今回の記事を見て興味を持った方は読んでくれると嬉しいです。
今年に入ってから全く更新できてないのでそろそろ動かしたい。

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