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北海道大学 川田学氏 記念講演


北海道大学 川田 学 先生について

川田 学 先生とは?

川田 学先生は、現在 北海道大学 大学院教育学研究院 附属子ども発達臨床研究センターの准教授として教鞭を執られております。また、沖縄地方や瀬戸内地方など各地の保育現場を回り、保育所や幼稚園の成り立ちの過程を地域の風土や歴史との関係から描き出す研究を展開されています。

社会福祉法人ゆうゆうとの関係性

社会福祉法人ゆうゆうとは、2021年より当法人の運営する各園が実施している保育実践から学び合う研修会にご参加いただきながらサポートしていただいております 。研修会では、私たちの保育実践に対し理論を踏まえたご助言やご見解をいただいており、私たち職員は、研修会を通して多くの気づきや学びを得ることができています。
川田 学先生には、社会福祉法人ゆうゆうの保育の質の向上にお力添えいただいております。



記念講演

事業実現を記念した記念講演

当法人が 山梨県韮崎市にかねてより建設を進めてまいりました新園キヅキ 園舎の落成、また、旭陽電気株式会社様との産業と福祉の連携(産福連携締結)を記念し、法人の取り組みに多くの示唆を受けています川田先生に記念講演を行っていただきました。
こちらの記念講演には、日頃当法人にお力添えいただいております保育、教育関係者の方々、企業、行政の方々など、多様な立場の方が参加しました。

日時 令和6年5月15日 13時~15時
場所 旭陽電気株式会社 韮崎工場


川田学先生 記念講演



~講演内容~

川田 学 先生による記念講演の内容を掲載します。

はじめに

このような多様な立場の方が参加する環境で講演をするということは初めてであり、これも本日の産福連携のような新しい取り組みの1つの成果だと感じております。
まずは本日キヅキの落成式もあり、新園の開園を成し遂げました矢巻先生はじめ関係者の皆様に、お祝いとこれからの保育の実践に激励を送りたいと思います。おめでとうございます。
それから産福連携という新しい形にチャレンジされ、若い理事長と専務の金山さんなど、これからの地域の様々な振興に1番大事な世代の方々がこのようなことに取り組まれるというのは、北海道から見ていて羨ましいことです。

北海道でも今、半導体の会社も新しく大きくできるということもあり、旭陽電気株式会社様との繋がりが北海道と山梨でできたら嬉しいという思いもあります。新しい会社が北海道に来るというは、経済的に潤うということだけではありません。
注目しているのは、保育・教育です。
その地域に新しく企業が来るということは、同時に子育て支援から子どもたちの教育経験に関わるということになり、地元の企業が関心を持ち、様々な形で連携していけるようになるという大事な局面に来ていると思います。これまでは、どちらかというと企業は、男性が育児に関わることや地域の教育活動などに関わる機会を奪ってきた側面もありましたし、女性が妊娠出産などを節目にして仕事を辞め、働くということが難しいことがあったと思います。これからはその逆の形で、むしろその企業が、家庭の生活とその子どもたちの健やかな育ちを応援していただけるような形になっていくことが、社会としてもサステナブルなものになるのかなと期待しております。
本日は講演の機会をいただき、普段は親や保育関係の方にお話をすることがほとんどであるため、こういった企業の方々がいらっしゃるところでお話しするというのは本当に珍しく、私としてはとても嬉しく思っております。

今回の講演のテーマは、『信頼の中間共同体としての保育』としました。
保育以外の生活や、民間企業や行政、議会など保育専門の方以外にも届けたい話です。

子育ての社会化 と 保育の社会化

『子育ての社会化』という言葉をご存じでしょうか。
子育てというものは、元々地域社会全体で担っていました。アフリカには『1人のこどもが育つためには100人の手が必要』という有名なことわざがありますが、高度経済成長期あたりから母親が中心になって子どもを育てる時代がありました。元々子育てというのは社会的に営まれていたものでしたが、家庭の中に、そして特に母親の手の中に囲い込むようにしてしまったというのが、この20世紀の社会だったと言えます。
それをもう一度、みんなで子どもを育てるということが必要ではないか、ということで『子育ての社会化』という言葉が使われるようになりました。

20世紀の半ば以降(高度経済成長以降)に日本では、保育園保育運動が起こり、その時のスローガンは「ポストの数ほど保育所を」でした。その保育運動の1つの成果として、日本中に保育園などが増えていきました。
ただ現代になって少し振り返ってみると、かつては家庭の中にそして、母親の手の中に子育てや責任を押し付けてしまった反動で、今度は保育園や幼稚園に重い責任を背負わせ、偏ってきた振り子が反対に振りすぎてしまい、保育士などの負担が非常に重くなってきたというのが現代です。

なぜ保育士不足なのかを考えてみると、それは賃金の問題もありますが、人間らしく働き続けることが難しい職場になっているからだろうと思います。なぜかというと、あまりにも多くのことを過重に求められているからです。これは学校の先生に対しても言えます。なぜ学校の先生が足りなくなっているのか、心を病んだ先生がなぜ年間5000人もいるのか、これは学校に押し付けすぎているからです。様々なことに対してもう一度振り切りすぎてしまった振り子を少し戻さないと、保育の担い手も、教育の担い手もサステナブルに出てこなくなってしまうという局面にあると思います。

『子育ての社会化』は大事ですが、一方で『保育の社会化』つまり、保育園、幼稚園、学校の中に子どもを育む営みを閉じ込めすぎず、地域の様々な資源と繋がり、社会で子どもたちを育てていく、そういう時代がこの21世紀のとても大事なテーマになっていると思います。そしてこれは子育て家庭のみならず、全ての国民、市民に関係してくることではないかと思います。

子育ての”手”

人類の歴史は様々な観点から見ることができますが、私が専門とする発達心理学や保育学という領域、子育ての視点から見た時には、人は哺乳類であるので、母親と子どもの関係は抜き差しならないものがあります。しかし、その間にどのような手が介在してきたかという子育ての”手”のアレンジの歴史というように読み替えることができます。 この”手”というのは実際の人の手でもあるし、人間の場合には制度、施設、様々な道具、こういったものの手になります。
例えば、玩具の中にガラガラのようなものがありますが、ガラガラは子どもが自分で自分を楽しませ、慰めることを促すような媒介物です。大人が関わり、あやすことももちろん必要ですが、ずっとそれをするということは難しいです。ゆりかご、乳母車、抱っこ紐、様々な道具が養育者と子どもとの間に代わりとなって助けてくれています。
制度や施設道具を作り出すということも子育てにおいては非常に重要なものになります。進化、歴史、発達とありますが、動物に共通することとして、進化過程で手に入れたその種の特徴があり、その中で発達、成長というものが起こりますが、とりわけ人間において大事なのは、この真ん中の部分で、人々の営みが作り出した文化が間に挟まり、それぞれの文化に育つこどもたちの個性を彩っていきます。

私が最近力を入れて行っている研究というのが、その地域の保育の場(保育園・幼稚園)が、いつ誰がどんな願いを持って、誰がどのように手を貸しながら家庭と異なる子育ての場を作り出したのか、そしてそれが時と共に、どのように役割を変えながら発展して現在にあるのかを踏まえた、今そこで行われている保育、子どもの様子や保育者たちの考えや子どもへの関わり方などについてです。単に良いことが行われている、良いことが行われていない、そういうことではなくどのような場合でも、理由や経緯があり行われていることがあるため、そういった部分を見ていかないと、価値観の押し付けにもなっていってしまう。その地域の歴史や風土を踏まえ、教育を考えていくということが大事だと思います。

現代は、先ほど申し上げたように”先生”と呼ばれる人たちの手に過重に負担をかけるようになった社会です。このことは先生たちが大変というだけではなく、子どもにとってみると”手”のバリエーションが少なくなったということを意味します。家では親、園に行くと先生、習い事も先生、現代は兄弟やいとこも少ない。私は昭和40年代終わりの生まれですが、計算すると平均して、いとこは16人います。私の父の世代、今70半ばの世代というのは、いとこが48人います。今の20歳ぐらいの人たちは4人いたら多く、ひとりっこ同士が結婚した場合に子どもが生まれた場合は、いとこ0人もあり得ます。かつては多くあった導き手が、限られているわけです。先生の手の肥大化というのは保育者の苦しみでもあると同時に、子どもたちにとってみると自分と様々な形で関わってくれる”手”が少ないため、コミュニケーションが平板になりがちです。企業に保育室があるというのも、そこにお任せではなくてやはり何か行ったり来たりの中で触れ合うことがある、それはお子さんがまだいない若い社員さんも含めて自分のセンス感覚で良いので、子どもたちと触れ合い、経験したことをまた少し話題にしてもらうと、人が育つコミュニティになるというのがとても重要な時代ではないかと思っています。

様々な資源とのつながり

自分が書いたもので大変恐縮ですが、『保育的発達論の始まり』(ひとなる書房)という本をコロナの前の年(2019)に出しました。この本の裏表紙にメッセージを書いたので、少し読みます。

< 長い間、「発達」は保育の目標だった。現代も、保育にとって「発達」は大切な視点だが、「発達」を受けとめる社会のほうが、だいぶ変わってきた。「つながり」がほどけた孤立した子育ては、いやおうなく発達を「うちの子」の能力に向かわせる。不透明感のある未来がちらつき、保育もこども個人を強くするしかないのかと、悩んでいるようにみえる。しかし、社会とこどもの間に立って、こどもの視点を代弁し、社会のあり方を問うてきたのが保育だ。保育の可能性と魅力は、いつも新しい「つながり」をつくりだす実践にある。個人を尊重しつつ、個人を超えるいとなみへ。保育がその真価を発揮するための、保育的発達論のはじまり──。>

保育的発達論のはじまり | ひとなる書房 (hitonarushobo.jp)

と、メッセージを書いています。
これから社会が変わっていく時に、 1人1人の能力にその責任を還元する形になるとみんな不安になってしまう。だから焦って早期教育をしようとする、焦って学校の成績が良くなるように親が駆り出される。その結果、幼少期に最も大事な原体験が奪われる。短期的に見るとそれは良いかもしれないけれど、その人の100年の人生の幸福を考えた時に本当にそれは幸福なことだろうか、乳幼児期には乳幼児期にしか経験できない世界が多くあります。それが今日矢巻先生のお話にもあった”センスオブワンダー”です。自分の身の周りの世界に心ときめく、その気づきが多くある時代に、外からの詰め込みで潰してしまうというのは社会として見てもクリエイティビティを持った人たちが育たなくなる、非常に無味乾燥とした社会になってしまう結果になるのではないかと思います。変化していく社会の中だからこそいかにこの孤立を 解いて新しいつながりを作り出していくかということが、保育の大きな役割であり、それを考えると必ずしも保育というのは、乳幼児の遊びの相手や生活の世話をしているだけのことではなく、様々な資源と家庭や子どもをつないでいくようなハブのようなものと考えると、企業にとってとても重要な社会的機能を持った場所に見えてくるのではないでしょうか。

「教育」と「食」

今日、講演の会場であるこの工場(旭陽電気株式会社 韮崎工場)に入った時に、まず感じたことは、食べ物の匂いがすることでした。これは今までの会社の概念を覆す感覚的体験ではないでしょうか。ですが、私はこれが本質的に重要なことだと思っています。
なぜなら、教育の語源は食を与えることだからです。


私たちが通常使う「教育」という言葉は明治時代に欧米からきた『education(エデュケーション)』という英語を翻訳して作られました。しかし、長らくこの『education(エデュケーション)』の語源は「能力を引き出す」という意味だと言われてきました。教育とは「能力を引き出すこと」だと研究者も思っていましたが、徐々に研究が進んできて古い文献などを分析する研究から分かってきたことは、『education(エデュケーション)』の「能力を引き出す」という語源は、非常に新しい語源だということでした。それは古く見ても16世紀ぐらいで、おおむね18世紀に定着してきた語源だったようです。資本主義が発展し、能力に応じて身分を超えてのし上がれるかもしれないという社会になってきた時代です。その意味では可能性が開かれる時代です。ですが、一方で学校教育などの中に子どもたちを取り込んで、(学校教育というのは基本的にすぐ役に立つかどうかわからないことをしているわけですが、)今大人たちがやっていることは必ず意味があると分かって学んでいくためモチベーションは非常にはっきりとしています。しかし、資本主義になって長く子どもたちがこの閉じ込める事態になってくると、そういった固定的な学びが薄れていく中、いつしか教えるということの意味合いが変わってきてしまい能力を引き出すことになったと、ある研究によってわかってきました。2000年ぐらい遡り、西暦1年2年あたりの文献まで実は『education(エデュケーション)』の語源がさかのぼれるということが分かってきました。
そうすると最初に『education(エデュケーション)』さらにラテン語の語源までいくと『educatio(エデュカチオ)』が最初に使われたのは農業論という本の中でした。農業に関する本の中での意味は、農業の中で家畜の命を養うために食べ物や水を与えることの意味として『educatio(エデュカチオ)』という言葉が使われています。『education(エデュケーション)』の語源というのは食を与えるという意味があります。そうすると、企業は職員の働く場でもあると同時に、社会人としての教育の場でもあると考えると、そこの土台に食を置くというのは非常に理にかなっており、本質に迫っていると思います。

『educatio』(養う領域)の衰退と補償作用

ところが私たちの歴史というのは、その食を与えて人々の基本的な元気や勇気を養うという領域をないがしろにしてきた歴史があります。
それを三角形で表現します。まず1番左から右に時代が行くと考えてください。かつてまだ資本主義の社会の以前、いわゆる中性的な共同体と言われる村落共同体の時は、1つ1つの集落共同体は大きいものではなく、せいぜい数百人規模の小さい集落で暮らしていました。その時代はとにかく日々生きていくということが精一杯であるため、基本的に今日を養ってなんとか明日に繋いでいくということが大事でした。そのため、この三角形の全体を子どもの生活と考えると、ほとんどの部分は食に象徴される養う命を守るというところに最大限力を注いでいるような時代があったことが考えられます。その中に、中世から近代という資本主義的な変化が起こっていく過程の中で将来に備えて読み書き算(読み書き算は全ての職業で使える汎用的な能力)など、実際に仕事として使う前から学ぶというすごく特殊なことが始まっていきます。

分厚く食を与えるということが象徴されるも、生きているだけで素晴らしいと生きていることを承認するようなことが土台にあるところに少しエディケーション能力を引き出す領域があります。能力を引き出すということは、ある意味今のその人を少し否定することにもなります。
”今のあなたの次のあなたになりなさい”
というメッセージであるため、赤いところは今のあなたでいい、青いところは次のあなたが見てみたいと少し欲が入ってきます。まだこのくらいの時は良いですが、徐々に時代が 下るにつれて、
”生きているのなんて当たり前。今のままで良いということはない。次は何を、次は何を”
と、子どもたちに求める社会になっていくと、この三角形がひっくり返る形【B】になります。命を養う、つまり”今のあなたでいいよ”という現在の承認という部分がすごく痩せ細ってしまい、子どもたちが生活する長い時間が明日の未来のあなたに向けての投資のような時間になってくるというのが近代といえると思います。
しかし、ピラミッドは底辺の方が長いから安定感があるわけです。ひっくり返ったピラミッドは非常に不安定になるので、こどもたちの心が非常に不安定になってきたというのが近代でもあり、学校というのはまさにこの三角形のひっくり返りとともに生まれてきたシステムであるため、これはダメだということで 次の三角形はこのひっくり返ってしまった三角形の命に関わってくるこの赤の部分をなんとか支えて、この青の部分が成り立つように上に赤い部分を引っ張り上げるように頑張ってやってきたという歴史があります【C】。おそらく最初にそれをしたのは『給食』ではないかと思います。
給食の歴史についての研究も最近興味深いものがあります。元々食というのはその家庭にあったもので、それを勉強している学校が担うというのは食が安定してないと学業は全く成立しませんので、そこの食の安定は戦後ですが進んでいきました。

最近は小学生の健康診断でロコモティブシンドロームのチェックを必ず行うようになっており、生活習慣病のチェックまで学校にあります。保育園・幼稚園では、虫歯を予防するために歯のフッ素を塗ることもあります。元々学校や園がやってきたことではありませんでいたが、こうして子どもたちの基本的健康に関わることを学校や園が担うようになり、なんとか引っ張り上げようとして頑張っています。ところが、少し限界に来ているというのが近年ではないかと思います。抱え込みすぎてしまい、保育士さんたちの苦労や学校の先生たちのメンタルの病気などの増加にも関わっていると思います。子どもも大人も病んでいるというのが今の私たちの社会の現実です。この学校や園の頑張りが少し難しくなってきた中で、社会の中にある種の補償作用というものが働いているのだと思いますが、なかなかこのひっくり返ってしまった三角形自体を元に戻すのは難しいです。


そこで、ここ(ひっくり返ってしまった三角形)から支える別のものを作ろうじゃないかということが起こってきました。
仮に【D】右側の黄色を「保育」とすると、従来の園に来ている子どものためだけの保育ではなく、地域の子どもたちや子育てや様々なその地域に必要なことを、園を拠点にしながら展開していく、まさにゆうゆうさんがそれを行っていると思いますが、そういう保育の新しい役割が例えば黄色です。

コロナがあって実現していませんでしたが、北海道大学の近くに今度新しく小さい保育所を立てようと、相談を受けていました。そこでやりたいことは、園の子どもたちに出している給食と同じメニューを地域の高齢者のために提供したいということでした。園の敷地の中に地域食堂をつけて、そこに高齢者の人たちが来られるようにし、そこで園児との交流ができるようにしたいと提案を経営者から受け、検討していました。このように、そういう園を経営している人が出てくるというのは、やはりこの黄色の新しいことを考えているということです。
一方で緑の方は、地域の子育て支援とか色々な居場所づくり、最近だったら子ども食堂という食が絡み、園とはまた違う形態で子どもや家族、あるいはその地域の高齢者、色々な生きづらさを抱えている若者であるとか様々な人たちを受け止めるような地域の居場所を作る実践も 1970年代80年代ぐらいから出始め、この四半世紀ですごく増えました。
学校などもなかなか変われない中で、地域の中に新しい命を支える場を作り出してきたことが、新しい21世紀に入ってからの動きだと考えています

「安心」と「信頼」

こういった動きを別の側面からも光を当てることができます。
もう亡くなってしまったが、北海道大学の名誉教授の山岸俊男さんという方がいました。 山岸さんは国際的な仕事をされてきた著名な社会心理学者です。彼が1998年に出版した『信頼の構造』という本があり、この本は実はビジネスマンに大変読まれた本です。山岸先生は子どもを対象に研究をしているわけではなく、基本的に大人や企業などの研究をしている方ですが、90年代というのはまさにバブルの後に日本の社会が経済的にも沈没していく過程で、山岸さんはこのままだと日本が沈むと、日本の文化の中に作っている精神病理を解きほぐして、日本社会が変わっていくために必要な新しいマインドセット( 心の構え)を醸成していく重要性を言っていました。
信頼の構造 - 東京大学出版会 (utp.or.jp)

それがキーワードとして『安心と信頼』です。

この言葉は似ているようで全く違う意味があります。
「安心」は「secure」、「信頼」は「trust」。
「安心」の「secure」はラテン語の語源で言うと「セクーラ」がありますが、「クーラ」というのはケアの意味です。「セ」というのは「無し」という意味があります。「ケアなし」という意味になります。そのため、セキュリティが高いという状態ではあまり周りのことに気を配らなくなります。セキュリティがないから大丈夫かな・・・色々アンテナを張りますが、セキュリティでがっちり固められると「セクーラ」になります。「安心」というのはある意味では、社会や周りのものに対して注意や意識を下げていってしまうという意味もあります。一方で、常にノンセキュリティで周りに捕食する動物がいないかと気を配っていると何もできませんので、一定の安心は必要ですが、安心の沼にはまりすぎると、社会との繋がりを失ってしまうという危険性があります。
「信頼」の「trust」は、”賭けてみる”ということであり、”分からないけどもやってみる”ということです。その安全の被膜から、少し抜けた向こう側にチャレンジしていくことで、相手を信頼してみるということです。安心できる相手というのは、悪いことはしなそうな相手のことであり、信頼はわからないけど賭けてみるというところがあります。
山岸さんは、日本社会の集団主義というのは、「安心は生み出すが、信頼を破壊する」と警鐘を鳴らしていました。山岸さんが言う「安心社会」つまり極度に安心を求める社会というのは、「内集団ひいき」つまり身内だけは守ろうとするけど、身内の外にいる人は知らない、という内と外でものすごく温かさが違ってしまう社会になります。

この「安心社会」というのは言わば、「人を見れば泥棒と思え」という社会であります。保育の社会化と言った時に、保育は保育者の専門性はもちろんありますが、保育の中だけで閉じていたら、子どもたちや家族に本当に必要な生活の場を提供できないと思います。それはいずれ子どもたちや家族は園から卒園していくわけですし、園以外の社会でも暮らしている人たちでありますから、内閉的にならずに外の世界に開かれているということが保育にとってとても重要だと思います。

これは会社も同じかと思いますが、信頼社会というのは、他者一般への信頼を基本とした機会重視社会のことで、新しいことに取り組むハードルが低い社会ということです。これは経済学の用語では「機会コスト」と言いますが、機会コストが高い社会は、新しいことをするハードルが高すぎて、みんな取り組む前に意気消沈してしまい、いつまでも同じところをぐるぐる回り続けてしまう状態のことです。そのため、機会コストが高すぎる社会というのはその中で全部賄える時は良いですが、そうではなくなった時にすごく苦しくなります。それが今の日本だと思います。信頼社会というのはとにかく正直者が馬鹿を見ないようにする社会です。本当に必要なことをやろうとしている人たちの足を引っ張らない社会です。ただなんでもありではなく、だからこそ新しいルールを作ってその中で勝負ができるようにしていく必要があります。そのため、合意形成や議論、コミュニケーションが重要になります。

山岸さんも言っていますが、人類の歴史のほとんどは「安心社会」だっただろうと思います。それは基本的に、子育てを含めて何か新しいリスクがありそうなものに身を投げていくわけにはいかないため、基本は安心ベースであると考えられますが、あまりにも安心のぬるま湯につかりすぎてしまうと現代のような社会では人々の幸福に繋がらず、弊害の方が大きくなってしまいます。日本社会は長く安心社会の中でやっていけましたが、アメリカから日本を見たときに、切り替えていかないとまずいということを、80年代ぐらいから山岸さんはずっと発信していました。
この「信頼社会」は社会的不確実性が高まると必要になってくる社会であると山岸さんは述べています 。
今回の産福連携も、キヅキのような新しい園舎は、未来にかけてみる「trust」のようなところが感じられる取り組みのように思います。

人々の孤立

国立研究所に統計数理研究所がありますが、ここが高度経済成長期の入口の1958年から15年に1回ぐらい、国民性調査をパネル調査で行っています。
その中で「あなたにとって1番大切なものはなんですか」という質問項目があり、ただひたすら右肩上がりになっているものが〈家族〉です。

高度経済成長期の入り口の1958年の時には〈家族〉は1番少なく、1番多かったのは〈生命・健康・自分〉です。次が、〈愛情・精神〉で3つめが〈金・財産〉でした。これらは横ばいから少し下がっていきますが、〈家族〉はどんどん上がっていって、1番直近の調査(2013年)では、群を抜いて〈家族〉が一番多くなっています。

”家族を大切にする人が増えた”という調査結果として捉えると、少し読み間違えるところがありますが、そうではなく、”もう頼るものは家族しかいない”という捉え方です。
親戚、隣近所の相互扶助的な助け合いの関係性が完全に崩れ去っている中で、もう家族だけが最後の砦になっているということです。家族というのは安心の場ですが、1番暴力が起こりやすく、実は殺人事件の半分が家族、親族殺人です。家族というのは決して安心とは言えないです。これは昔からで今もそうなのです。
ですので、このデータはむしろ人々がいかに孤立しているかを表すデータと捉えた方が良いです。いかに家族が 孤立しやすくなっているかということを表すデータとも言えます。

また、Pew Research Centerが47カ国を対象にした国際調査を2007年に行っていますが、その中の項目に 「極貧の人々に生活困窮をしている人たちに国は手を差し伸べるべきか。」という質問があります。それに対して基本的にはイエスという回答であり、アメリカは7割、 スペイン、ドイツ、イギリス、スウェーデンはみんな8.9割です。
では、日本はというと、全部合計しても59%、つまり4割の人は助ける必要はないという回答です。さらに、全くその通りだという回答は15%です。
47カ国中ダントツの最下位です。
なぜ日本は困っている人に手を差し伸べることに対して、こんなにネガティブなのでしょうか。これはやはり、「安心社会」から抜け出せていないからだと思います。つまり”自分は貧しいわけではないから、貧しい人のことは知らないよ”、”自分たちのことは守るけど、そうじゃないと知らないよ”というこの社会風土というものを、動かしていかないといけないと思います。そのためには、やはり幼い子どもたちが集う場を変えることが1番社会風土を変えていく力になると思います。

信頼の中間共同体としての保育

そこで、信頼の中間共同体としての保育という話になります。保育の現代的役割は、子育ての家族主義を乗り越える媒介的な社会システム(中間共同体)となることです。
それは、一定の時間で子どもを預かっているのではなく、色々な可能性やフレッシュな感性、アイディアを持っている子どもたちの案をいただいて、できない経験を子どもたちに提供すると共に、原体験を理屈ではなくて体を使った経験をしていく時期にしっかり育むことが、社会を担い、勇気を持って変えていく力のある人たちを育てていくことに繋がっていきます。

保育園、幼稚園に有資格者が増え、より専門的性が高くなってきたというのは良いことですが、逆に子どもたちを引っ張りすぎるようになって、保育者主導というものも目立ってきました。70年代の始め辺りに、子どもたちは疲れ、異変が起き始めています。ある意味これは、大人が子どもをどのくらい信頼できるかということに関わってきます。
去年、こども基本法ができて、その中で重要な文言だと思うのは、「こどもの意見表明」です。子どもがやりたくないということも含め、きちんと意見表明できるようにするというのは、これからの教育で1番大事なことになると思います。
どちらかというと日本社会は、みんながやっていることはやれて当たり前、 やらない子はわがままの子という、切り捨て方をしてきたわけです。ここから脱却するのは相当、大変なことだと思いますが、やはり動かしていかないとまずいと思いました。5000人の先生が心の病気、25万人の不登校、やはりこの社会は少し行き詰まっていると思います。 そういう中で、過度な大人主導は、安心型の集団主義、先生の前ではいい子でいるけど、そうではない時には全く違う本音と建前を使い分ける。要するに、仮面をかぶったことになってしまい、その結果、他者に無関心、自己責任論、悪者探しを誘引しやすいというように言われています。
平成元年頃の指針や要領の改訂から30年以上いわれ続けていますが、難しいです。 しかし、少し局面は変わってきているようにも思います。その現れがゆうゆうさんの取り組みではないかと思います。保育の場を、そこに関わる全ての人の主体性を尊重する、信頼を育む中間共同体として再定義、再構築していくということです。

円(園)があり核(各)家族があります。つまり、1つの保育という場をシェアする共同体のメンバーとして各家族に繋がってもらう。子どもだけではなくて親たち大人たちも含めて、家庭あるいは会社ではできないようなことが、ここではできる場所、何か自分の新しい力が発揮できるような場所、そういう場所として機能していくということが中間共同体です。市内の中間共同体です。
その時必ず必要なのが、外部との接点です。 外部というのは、園にとっての地域、ボランティアももちろん入りますが、 そういうことというよりは、『信頼をしなければならない、心の動きがちゃんとあるような場面』ということです。 例えば、今日の産福連携、キヅキのような新しい園舎の形もこれら取り組み全てが、保育の場の外部になります。少し賭けてみる、信頼の領域というものを作り出していく。外部というのは、単に園の外だけではなく、園の中にも外部があるかもしれません。つまり、職員の違った一面に園が気づいて、昔そんなことをやっていた!これならできそうかな!こういうことで力が発揮されていきます。また、保護者の方が実はこんな経験や知恵を持っているとわかることで、それを園の活動の中に生かしてもらうなど、新しいことをその人を信頼してやってみよう、ということがこういうことに繋がってくると思います。

先ほど示したこの図に戻りまして、このDの状況が20世紀後半ぐらいから、少しずつ温められてきたなと考えられます。では、次のEはと考えるとこのDで作られた、この黄色と緑の三角形を 2つ取り込んだ形での大きい新しい三角形を下に伸ばしていく。つまり、『educatio(エデュカチオ)の養う領域を据え広がりにする運動』を 様々な形で行っていくということになるのではと思います。例えば、先ほどの北海道の新しい園に、地域食堂を併設したいということは、まさに『養う領域を末広がりにする運動』の一例だと思いますし、 食を大事にすることが分かりやすい例だと思います。


この1回ひっくり返ってしまった三角形は元に戻らないので、社会全体において学校的なものが担っている重荷を、富士山のように大きくすると相対的に小さくなります。それによって、この赤い部分は養う領域、今その子が持っている力で 十分活躍できます。新しい能力を身につけることばかりに重点を置くのではなく、今 手持ちにある力で十分それを発揮できるような園になっていくことが、子どもたちは元気になっていくのではないかなと思います。むしろ、 自分自身をもっと成長させたいと内側から、子どもたちが思えるようになっていくことを願っており、これを「新保育運動」と呼んだら良いのではないかと思います。

あそびであそぶ

遊びの価値を再考するということが大事にもなってきます。
この話は、 去年の9月に、ゆうゆうさんの1つの施設の蔵ku-raという古民家を改装して作られた場所でイベントをした時に『あそびであそぶ』というテーマでお話させていただきました。

蔵ku-ra


子どもたちはあそびの中で学んでいますが、それがひっくり返ってしまうと、学びのためのあそびになってしまいます。確かに子どもは結果としてあそびの中で学んでいます。しかし、子どもは何かを学ぶために遊んでいるわけではなありません。 そこを大人が何かのためのあそびでないと納得しなくなるというのは、結局それは大人の価値観の中に囲い込んでいるだけですので、それでは子どもたちの遊びはイマジネーション(想像力)が乏しくなってしまいつまらなくなってしまいます。そうではなくて、 今、目の前で、子どもたちがその遊び自体に現在進行形で面白いと思っている、そのワクワク感というのを1番大事にするべきだと思います。そこを徹底して守っていくというのが保育の大事な領域ではないかなと思います。 だから、あそびというのは、単に積み木のあそびをしている、お絵描きをしている、運動あそびをしているという”形”ではなく、子どもたちがそのあそびの中でどんな心持ちで、どんなワクワクを感じているかという、その心の動きをあそびの中核と見るというような考え方。大人はすぐ”形”で考えてしまうのでここは気を付けたいところです。
心の動きを大事にした遊びを遊びと呼んだ時に、このワクワクのある“あそびA”は何に支えられているのかというと、もう1つの“あそびB”に支えられています。
公園でもボール投げしないでください、大声出さないでください、ふざけないでください・・・。ベンチに座ってなんか呼吸しているだけしかなくなってしまいます。
このように、ここでは~してはいけないと、 色々な事が決められている空間ではやはり面白い遊びは出てこないため、”いかに空間の中にあそびを持たせるか”ということになります。これはいわゆるハンドルのあそびのような空間だけではなくて、時間のあそびだと思います。

この4年ほどコロナ渦で、オンライン研修、講習の何が苦しかったかというと、余白の時間がないことです。研修の始まる前や休憩時間のお喋りができないこと、研修が終わるとなんか1人だけ砂漠に取り残されたみたいなこととか、何の余韻もないというのに、研修を受けても元気が出ないということがあったように思います。
前から思っていたのですが、子どもたちは保育園でお迎えが来た時に、朝は「嫌だ!行かない!」と言っていた子が、お迎えに来ると「もっと遊ぶ!」と言っていることがあります。これは前から面白い現象だと思っていて、子どもの気持ちになってみると、親が迎えに来た時というのは、「半分家庭で半分園の時間」です。家に帰ると靴下脱いで、臭い足を洗って、お風呂に入る、手を洗う、うがいして、ご飯・・・6時、7時、もっと遅い時間に帰るとなると、もう寝るまでの間にやることがたくさんあります。 子どもたちの生活の中で、かつてはあったけど無くなったものの1つは、夜あそびです。 夜お風呂も入って、ご飯食べて、寝るまでの間に絵本の読み聞かせがあるかもしれないけど、トランプのような親や家族との間でする夜あそびの時間が無くなってしまっています。とにかく時間に 余白 がないです。それを考えると、お迎えに来てもらった時間というのは、もう親も来ているので、先生たちもその子に対しては保育の時間は終わります。でも、まだ家に帰っていないので、家でのやることはなく、この時間に遊びたい。独特の子どもの姿の解放感というのは、園でもない、家でもない間の“あそびB”というのは、独特の楽しさが子どもたちの心に芽生えているのではないかなと思います。 ものだけでなく、人間関係の余白、親と先生以外の人が園の中を出入りしているということの大事さです。
何より大事なのは、大人にゆとりやためがあるということだと思います。 この豊かなドキドキワクワクの“あそびA”は、“あそびB”という時間、空間の人などの余白がきちんと“あそびB”として保証されているということが大事なのではないかと思います。

今日もキヅキの中には、大人がある程度意図して作り出した“あそびB”の空間も見て取れましたが、おそらくこれから子どもたちが見つけ出すあそびがあります。僕は早速1個見つけたのですが、それは玄関の扉の横に三角形の隙間があります。そこに子どもがはまっていました。はまるあそびにハマり、はまりながら物を向こうに置いたりしていましたけど、これは大人が用意するだけではなくて、子どもが見つけるものでもあります。園の中に遊びを見つけているかということもすごく面白いところだと思います。


すみよし愛児園

ここはすみよし愛児園の縁側です。
すみよし愛児園も素晴らしい環境で、 部屋の中から外に出るまでの間に何層にも渡って“あそびB”があります。お部屋で遊ぶか園庭で遊ぶかの間がたくさんあるというのが すみよし愛児園の子どもたちのあそびの見どころで、すごくよく考えられた空間だと思います。

保育のテロワール(terroir)

最近の私の研究キーワードの1つでもあります“保育のテロワール”。
例えばワインにおいては、技術的に全てを作り出すことができるわけではなく、その土地の湿度、土壌、水の質、自然が持っている力と、ワインを醸造する職人さんたちの力が掛け合わされて、唯一無二の香りとか味わいが作り出されていきます。 それをテロワール(terroir)と言います。しかし元々テロワールというのは、ワイン用に作られた言葉ではなく、語の成り立ちを見ると、ラテン語で【terroir】は、「地球、大地」という意味があり、 大地に根差していることを意味します。
保育も大地に根差しているということがとても重要なことだと思います。
ワインの作り手が、日本やフランス、イタリアのワイナリーでもある程度共通して持っている専門知識や、職人として必ずコミュニケーションをとったら通じる専門性があると思います。 それはある意味、ワインを長く作ってきた、ワイン醸造文化というものが育んできた職人の専門知だと思います。

それを保育論になぞらえると、保育者にはおそらく、国や文化を超えて、 専門性に関わる普遍的な知識や技術、構えがあると考えられます。 これを“保育文化”と呼んでおきます。それに対して、保育には学校と少し違うところがあり、日本の場合には人々が学校を作ったというよりは、基本的にトップダウンで作られました。
ところが、保育の場はトップダウンで作ったということはほとんどありません。例えば園の出来た成り立ちとして、戦前 漁業組合の組合長さんと地域の小児科のお医者さんの2人で相談して作ったということがあります。なぜ園を作ったかというと、その土地は海がすぐ近くにあり塩がとれるのに盛んな土地でした。浜に海水をまいて塩ができた後に回収するため浜に出て働くという仕事には多くの人手が必要で、 それに母親たちも地域の産業として動員されていました。ただ、その間子どもたちを見ている人というのは、祖父母ですが、やはり限界があります。 見えてない時に子どもが海に落ちて亡くなってしまうなど、様々な問題がありました。そこで、親が安心して浜の労働ができるように、組合長さんと、地域の子どもたちの健康を守っている小児科の先生と相談して園を作ったということがありました。
このように、人々の暮らしの上に成り立ってきたのが保育の場です。その保育の場は、その地域の歴史性や自然環境などと関わって色々な世界観というようなものの上に立ち上がってくるため、 専門性だけでも難しい領域だったと思います。保育を取り巻く風土と普遍的な保育文化というものが掛け合わされたところに、“保育のテロワール”と言える唯一無二の土地に根差した保育の形が生まれていくと考えられます。 ワインの時と同じように、 何十年、何百年と時間をかけて作られてきた“保育のテロワール”というのは、それだけ味わいがあると思います。
ゆうゆうさんのすみよし愛児園は、今半世紀経っておりますので、 50年の間に培われた“保育のテロワール”が、キヅキの中にもきっとそのテロワールの香りがしてくるだろうと思います。そういう風に保育を土地に根差したものとして捉えるということが面白いことではないかなと思います。

ニュージーランドの事例

最後に、“保育のテロワール”に絡めて、海外の事例を少しお見せして終わりにしたいと思います。

1つ目は、ニュージーランドです。保育関係の皆さんは、よくご存じだと思いますが、 この30年世界的に注目されてきた幼児教育、保育の実践の1つはイタリア、1つはニュージーランドに拠点があります。
今紹介するのは、ニュージーランドの公立の幼稚園です。
園舎の外観ですが、とても明るく、 ガラスがふんだんに使われています。中に入ると、カラフルでウキウキする園舎になっています。

ニュージーランドは、学校の制度が日本と違うところがありまして、日本は7歳になる年の4月に入学しますが、ニュージーランドは5歳の誕生日が来たら小学校に上がります。正確に言うと、5歳の誕生日が来たら学校に上がる権利が子どもに与えられます。権利であるため、すぐに行かなくても良いということです。その子のタイミングで親と相談しながら行きます。最初は小学校の0年生に入って、建物は小学校の中ですが、環境と活動の主は幼児教育と同じあそびを中心とした活動で行われます。少しずつその中で読み書きなどを学んでいく余白的な期間が1年間あります。 そのため、5歳の誕生日を迎えた子から学校に行き始めてしまうと考えると、日本でいう年長児は1人もいないことになります。 年長児は、4月の段階で全員が5歳を超えており、4月生まれの子はすぐ6歳になります。さらに、4月生まれの年中児はもういないなということです。4月生まれの年中児は、5歳の誕生日、4月を迎えてしまいますので、小学校に行き始めます。ということは、 ニュージーランドの場合には、この幼稚園にいる子どもたちは、日本でいう3歳児から4歳児の前半ぐらいまでの小さい子どもたちだけです。


その小さい子どもたちが暮らす環境について、天窓に色水の入ったカラフルなボトルが上に並んでいます。見たところ、固定されている様子もなく、日本人はすぐ
「危なくないですか?」
と聞いてしまうのですが、現地の方は”何の質問?”という様子で
「そういうことがあるかもしれないけど、きれいでしょ?」
と言いました。まず、”安全か”ということではなく、“美しさ”を最も重視するところが特徴として感じられました。3歳児ぐらいの子どもたちが中心にいる環境としては、非常にたくさんの繊細なものが低いところに置かれており、これらも”小さい子どもたちだから危なくないかな?”と日本人の我々は思いますが、 ”全然そんなことはありません”というのが先生たちの言葉でした。
これも先ほどの話の“あそびB”ですが、 子どもが何かのあそびから次のあそびに、あるいは友達と喧嘩した時に、自分で自分をちゃんと立て直して切り替えるための空間がたくさん用意されています。 空間を埋め尽くさないようにする余白を意図して残し、そしてリラックスできて安心して気持ち良いところを保証しています。

ニュージーランドの保育というと『ラーニングストーリー』といわれる保育記録が知られています。 これは、子どもたちがしている活動の中には、こんな意味がありますということを伝えるための学びの物語として保育士たちが書くようになりました。
これは私が翻訳した本の中のラーニングストーリーですが、「ザ・スティッキーブリッジ」というもので、スティッキーというのは、ねばねばしているという意味ですの「ベトベト橋づくり」と訳しました。これはどんなエピソードだったかというと、4歳の女の子2人がセロハンテープ6巻を使って橋を作りました。このエピソードを書いた先生は、この一連のプロセスを見ていて、そのプロセス、協力、アイデアの出し方や、お互いにこうした方がいいのではないかというような2人のコミュニケーションが素晴らしく、それを伝えたくてラーニングストーリーを書きました。そのラーニングストーリーを母親が読み、それを聞いていた祖父が、
「そんな無駄をしてはいけない」
と子どもに言いました。するとその子は
「いや、そんなことはない」
と言ったそうです。
「私たちはコラボレーションをした。協力してこういうものを作り上げた。それは価値のあることとあの先生は言っていた」
と反論しましたそうです。確かにいつでもセロハンテープ6巻使っていいわけではないけれど、 でも、まさに子どもたちがあそびに没頭した時には、それは無駄というよりは、協力して1つのアートを作り上げていくようなプロセスとして、幼児教育の中では大事にしたいです。 そして、そこを先生がきちんと評価して、子どもたちに”すごく価値あることを君たちはした”ということを伝えていく。今回この子どもたちも自信を持って、家に帰って話し、祖父からはそう言われたけど、反論して、”大事なことはコラボレーションしたということだ”ということを伝えたというエピソードです。
この事例を書いたのはニュージーランドのパクランガ幼稚園(Pakuranga Baptist Kindergarden)のジャッキー・リー先生。


もう1つエピソードを紹介します。
幼稚園なのですが、2畳分ほどの大きな絵が飾ってありました。ニュージーランドの幼稚園の子どもたちは3歳児ぐらいの子どもたちということで、これを共同で書いたということが驚きでした。
この子どもたちがいつもお散歩をしている途中には、子どもたちの大好きな木がありました。それは、大きな木で、枝を広げて、 葉っぱがたくさんあり、木陰で休んでお茶を飲んだりフルーツを食べたりするのに大事に使っていた木でした。ある時、その木が道路の拡張工事のために切り倒されるという情報が舞い込んできました。 それに対してこの子どもたちが、
「それは絶対にやめてほしい!許せない!」
と言って、先生たちに訴えたそうです。どうしたらいい?と聞いたら、
「”これを切らないで”と大人たちに言いたい」
と子どもたちが言ったので、どうしたらいいだろうとみんなで考え、その木を切る担当、道路拡張工事の担当の交通局に行って訴えてみようとなりました。 子どもたちでぞろぞろ役所に行き、交通局の人に
「僕たちの木を切らないで」
と伝え、 いかにその木が大事な木で、自分たちはその木が好きなのかということを交通局の人に訴えたそうです。するとしばらくしてから、切り倒すことはやめますという通知が来たそうです。でも、道路の拡張工事は色々な事情があってやらなければいけないが、元々は切り倒して終わりだったところを、その木を移植できるように掘り、それを子どもたちのお散歩コースの他のところに植え替えますという、そういうお便りが来ました。子どもたちは大喜びしました。今もその木は、子どもたちの散歩コースにあって、子どもたちを見守ってくれています。
子どもたちがその一連のエピソードを物語として大きな絵に表現しました。



この園でもう1つ面白かったエピソードを紹介します。 日本の園と同じようにプランターでミニトマトを育てていました。トマトは脇芽ができますので、脇芽を切ると発育が良くなります。 それを先生たちは知っているので、子どもたちが帰った後に脇芽を切ったそうです。すると次の日、子どもたちが来ると、先生たちに
「あの赤ちゃんの芽はどこに行った?」
と怒ったそうです。先生たちは、
「ああするとトマトが大きくなるから採ったよ」
と言うと
「ひどい」「僕たちには何の相談もなしでやったの?」
と言ったそうで、先生たちは
「じゃあ、今度から絶対に君たちと相談してからやるし、君たちにとってもらうようにすると約束する」
という話をしたそうです。このエピソードを先生たちは実践記録のタイトルに“トマトデモクラシー”(トマト民主主義)とつけました。
それを自分の園を代表する実践として、日本から来た我々に話しました。 自分たちが日頃から大事にしていることは民主主義の担い手を育てることであり、民主主義というのは、選挙に投票するということではなく、自分たちの身近なことに問題意識を持って、おかしいと思ったらちゃんと訴える、 そしてやり取りして、1番良い解決策を探すということが 民主主義の基本であることや、お散歩に行って木が切り倒されてしまうことやトマトの脇芽が勝手に取られてしまうという、大人が勝手に決めたことに対して異議申し立てをするということがとても大事なことであり、そこを保育の中で大事にしたいということを言っていました。

グローバルになっていく時代ほど、ローカルであるということを見つめ直す大事なタイミングだと思いますが、日本でローカルというと、地方創生や地方の特色というところを考えてしまい、もちろんそれもありますが、ニュージーランドに行って教えてもらったのは、このローカル概念の狭さでした。北海道で子どもを預けながら子育て経験を持っているニュージーランド人のレイチェルという女性の研究者に、ニュージーランドの人たちが使うローカルはどういう意味なのかと話を聞きました。そしたら、ローカルには2つ意味がありました。
1つは、日本の保育についてどう思うか聞いた時に、
「日本の保育はいいところもたくさんあるけど、どこでも同じようなことをやっているのは疑問がある。例えばサクラが咲いていない地域もあるのに、みんな同じようにサクラの歌を歌ったり、サクラの装飾をしたりして、 同じ時期に同じようにみんなサクラと言っているのは、あれはどうかしら。大人はそれでいいかもしれないけど、子どもたちにとってはあんまり意味がないことね」
そういう意味では、やはりその地域性を大事にするということはもちろんあるわけです。
一方で、もう1個ローカルというのは、
「目の前のことにちゃんと向き合うというのが、ローカルという1番大事なことなのよ」
と言っていました。それがトマトデモクラシーや木を切らないでほしいの事例につながっていきます。日々の保育の活動の中で、子どもたちが環境にコミットし、環境に思いを寄せていれば、大人が勝手をすれば必ずノーと言うはずです。それが子どもたちに起こらないということは、自分たちのローカルな生活を自分たちのものにしていないため、 勝手に変わっていても気がつかない、あるいはノーと言っても聞いてもらえないので言わない、というようになっていくと思います。大きく見れば、”地元を大事にする”。どこかの都市に出ても、いつもふるさとに思いを寄せたり、あるいはふるさとに帰ってきて、ふるさとの力になって働きたいと思ったりすることで、原風景というのは、子どもの頃にその地域で実際に自分が関わって、沢山心揺らして何かをしたという経験を大事にしたい気持ちが1番ではないかなと思うわけです。
ですので、グローバルな時代にはローカルが大事で、そのローカルというのは地方が大事なのではなくて、子どもにしてみると、日々目の前で起こっていることをとにかく大事にするという、 そこに繋がってくるのかなということを感じました。

イタリアの事例

イタリアのお話を最後にしたいと思います。グアスタッラという エミリア-ロマーニャ州、イタリア北部の人口1万5000人の小さな町です。そのグアスタッラには、公立の保育園や幼稚園が14か所ありますが、その1つの“IRIDE”というところに行くことができました。 この“IRIDE”は非常に面白い建築で、夜になるとライトアップされた美術館のようになります。


この“IRIDE”ですが、実はたくさんの民間企業の支えを得て作られた公立の乳児保育園です。園に入るとプレートがあり、ここには”私たちの園をサポートしてくれた方々に感謝申し上げます”と書いてあり、その中には、その地元のスーパーマーケットや様々な会社が出資して、この園を立てるために尽力してくれたということも書かれています。 そういう意味では、産福連携の例のように思います。


中に入ると、廊下が芋虫の腹の中に入っているような感じになっており、クジラのあばら骨のような美しい園舎で木目の美しさがあります。イタリアは光が非常に美しい現象が多く、光の入り方がとても魅力的です。0、1、2歳の園ですが、たくさんの自然物や道具、家財などが、子どもたちの手に取れる場所にいつもあります。心地良くて、長くこの場所にいたいと感じます。 ですので、みんなリラックスしてこの場所にいて、色々なものを感じ取るということができる空間になっています。

2歳児の部屋ですが、日本だとしたらおそらく定員30人ほど入れるところ、10人ほどしかいないです。非常に広い光が綺麗に入っていきます。1歳児の部屋は、壁が平らではありませんでした。壁が滑り台みたいにラウンドしています。これも日本から行くと
「こどもたちが滑ったりして危なくないですか?」
と聞いてしまいますが、
「いや、危なくないです。滑りますよ。そういうために作っています」
といった様子でした。装飾の中には、手が届きそうなところにプラスチック、ガラスのものが結構あります。ガラスのものも1歳児の部屋の手の届きそうなところにあることもあり、安全について別の保育者に聞いたら、
「いえ、全くそういうことはありません。 もしかすると、割ってしまうことがあるかもしれないけど、今まで1回もないし、あったとしても1回で覚えます。 とにかく乳幼児期が1番感覚が鋭いです。その感覚が鋭い時こそ繊細なものに接することが大事で、幼い時にあの叩いても壊れない、落としても割れないものにばかり接していると感覚がどんどん低くなる。 だから、私たちは、子どもたちの感覚を信じています。この小さい子どもたちにこそ繊細な美しいものが周りにある環境というものを用意したい。」
と言っていました。また、これもイタリアの中ではよく見られますが、“IRIDE”の中の乳児室のオムツ交換台ですが、このオム交換台の横に階段がついています。この階段は オムツを交換する時に、子どもの意思を無視してはいけないという意味でつけられています。基本的には、子どもが自らハイハイなどで行き、 階段に手をかけながら先生の方を向いて、おむつ交換してくれますか、いうように意思表示をすることを大事にしています。定時で替えるとか、子どもの意思を聞かないで替えるということは基本的にしてはいけないということです。これも日本から行くと、
「オムツかぶれとかになりませんか?」
とか色々聞いてしますが、そういった質問の意味があまりよく分からないという感じです。 でも、
「オムツかぶれしたら、子どもは嫌だからそれで分かるようになる。だから、そんなのは、こどもの感覚は鋭いからすぐ学ぶのよ。そうじゃなくて、いつまで経ってもかぶれないオムツをしていることとか、 自分が気持ち悪いとも思ってない間に変えられてしまうと、自分で自分というものがわからなくなってしまうので、子どもの自己理解をとにかく深めるということが大事」
ということを言われていて、なるほどと思いました。

最後に、この“IRIDE”の中に色々パネルが貼ってありましたが、コンセプトを表すために壁に言葉が色々書かれていることがあります。
例えばこんなことが書いてあります。

“The mind and the hand cannot do a lot of alone,but they have to be supported by tools”
「心と手だけでできることは少なく、道具に助けてもらう必要がある。」

つまり、これは環境の重要性というものを言っています。
心があっても、そして何かを作り出せる手があっても、道具がなければ作り出せない。だから、特に幼いこどもにとって環境というのは大事である、ということです。

Planning is the only defense against the dangar to be planned
「計画は計画される危険に対抗する唯一の防御策だ。」


幼児教育の世界では計画をどのようにするか、悩ましいものがあります。小学校教育に比べると教科教育ではないので、順序性はそれほど系統だっているわけではないです。なので、計画を作ってしまうと計画に縛られるのではないかと考えられがちですが、そうではなく、計画というのは、 何か他のものに縛られないために自分たちで考えて作っていくことに意味が入っています。これはイタリアというのは日本と同じようにファシズムに苦しんだ国ですので、この教訓です。 ある種、計画というのは、自分たちで理念と信念を持ってやらなければ外から枠付けられてしまう、だから、自分たちでしっかり 理念と信念を持って計画を立てて、実践をしていくっていうのが大事だという言葉です。こういう言葉がいろんなとこに散りばめられています。



~質疑応答~

Q. 媒介的な社会システム(中間共同体)という言葉が出てきたが、「媒介的」についてもう少し具体的に詳しく教えてほしいです。

A. 日本社会は長期低迷していて、新しいことをすることや、人と違ったことをすることに対して後ろ向きになってしまっている30年間があると思います。つまり、周りに信頼されていない子どもたちが、何かやってみようという心が、早い時期に失ってしまう。家庭は親の共働き、女性が働けるようになったことはもちろん良いことではありますが、一方で、大人たちが家でも忙しすぎて、少し羽目を外してみるというか、やってみようということが家庭にも本当になくなってきている中、子どもたちがこのやってみようの世界と遠い生活になってしまっています。家庭だけで、やってみようの世界とすぐに繋がることが難しく、あるいは、格差が出てしまうので、このやってみようの世界と家庭との間を媒介する、 そういう社会の中の1つの中間システムとして、保育所というのは色々な資源が入り込んでおり、学校よりも非常に重層的というか、多様な知識や技術が集積している場所だと思っています。ですので、保育園とか幼稚園のような場が持っている機能を使って、各家庭と子どもたちとやってみようの世界をこう繋いでいく、そういう場となるというようなイメージで媒介的といっています。

Q. 私たちの責任も大きいとは思いますが、ただなかなかこの保育の現場でその親たちの基本の考え方を変えていくことは難しくて良心的な園から潰れてくということが現実に起きています。 やっとのことでこども基本法ができ、 今その政策、少子化ということが 1番のきっかけなのかもしれないですが、虐待が増え不登校、いじめ、自殺が史上最高を更新するという現状の中で、最後のチャンスと思っていて、この動きを新保育運動に繋げていっていきたいと考えていますが、先生はどうお考えでしょうか。

A.  最初に私が書いた本を少し紹介させていただのですが、あの本を出した時に、実は保育を担っている皆さんが主たる読者ですが、実は裏ドラマがありまして、それは保育以外の大人たちです。 つまり、ビジネスをしている方や 行政に携わっている方です。そういう方々に読んでもらいたいと思っていました。子どもの主体性とはなんなのかとか、そういう話から始まりますが、全部大人にも当てはまる中身を書いています。それは保育のことだけではなく、繋がっているよ、ということです。こういう組織体が 中間共同体となるという、その各家庭、社員の家庭ともっと広い社会との媒介的な社会システムがあるというようなコンセプトは、かなり共通性があるのではないかなと思って書きました。2019年の夏に出版して、その後、年末から読書会運動を開始し、それを東京、名古屋、京都、滋賀や山梨でもやりました、次、九州で行うというところで、コロナが来て悔しい思いをしましたが、読書会を開く時に、なるべく保護者とか地域の中、色々なことに興味ありそうな人など巻き込み、読書会を開いてとお願いし、そうやって多様な声が響くような場を作ることを行っていました。コロナ渦が明け、また何らかの形で再開したいと思っています。そのような形で、なんか議論する場です。単にアピールするのではなくてみんなで語る、社会や子育てについて語るカフェみたいなものを開いていきながら、 みんなが色々な地域の色々な立場の大人たちの心の中に、小さい子どもたちのことが残るようにしていく実践をしてきた。



~社会福祉法人ゆうゆう 理事長 挨拶~

川田学先生の記念講演会にご参加いただきまして本当にありがとうございます。
川田先生は以前、“IRIDE”の視察に国内研究者の方たちと行かれてたので、その情報を聞きながら、イタリアのどういうところにそういった思いがあるのか事前に情報をいただきました。去年の5月、旭陽電気の金山専務と、そして日本の一緒に活動している教育者、保育者と一緒にイタリアに行ってきました。“IRIDE”に向かう途中衝撃を受けました。イタリアの人たちは、どの町も、どこ行ってもどんな立場の人も、 ホームレスになっている人も、皆さん幸せそうに生きていました。なんでこんなに幸せそうにこの国の人たちは見えるのか、という質問を現地の園の園長先生と研究者の方たちにさせていただいた時に、少しためがありましたが、”その質問は本当にいい質問で、 これは私からもぜひお伝えしたい”と話をしていただきました。その回答が、
「 二度と子どもたちを戦争に行かせたくないこれが原点にある。イタリアでの教育は、ひとつの答えがあるとしたら、それではない答えや、それではない価値観や考え方も世の中にはたくさんあるということを伝えることが教育者の役割であり、私たち保育者の役割であるということを、この国全体が理解している。それを私たちは教育者の誇りに思い、私たちは教育者を続けている」
ということを、涙を流しながら伝えてくれました。
私が日本に戻ってきて、キヅキの園舎、そしてこの旭陽電気さんとの締結式に至るまでの歩みの中でやはり何度も何度も困難と向き合ってきましたが、その困難を乗り越えて、そして絶対やり遂げなければいけないと思わせてくれた言葉でもあります。自分たちがしたこと、子どもたちと一緒にしたこと、色々な地域の方とやったこと全てが良くなっていくというように思える指標でもあると思っていますので、こういう考え方がイタリアの方たちや、そしてこれからの世界を救っていくのではないかなと思っています。まちづくりというのは、人の気持ちが変われば絶対変わっていくと思いますので、それが新保育運動なのではないかなと私なりに理解しました。
そして最後に、川田学先生に北海道からお越しいただいて、このような私たちの実践だけではなく、その実践がどんな背景や歴史や理論にもとづいているかというところと繋いでいただいて初めて、その社会の、一般の社会の人たちにもより深く刺さるのではないかなと思っています。
川田先生、本日貴重なお話を皆様と共有していただきまして、本当にありがとうございました。
最後に、皆様の力があってこのような機会を作ることができました。
皆様にもお礼を伝えたいと思います。ありがとうございました。

矢巻理事長 川田先生


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