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私は「ヤマトタケル」かもしれない

ヤマトタケル。
第12代景行天皇の皇子であり、日本古代史上の伝説的英雄。

『古事記』(日本の神話を含む8世紀はじめにまとめられた歴史書)にこう記載があります。
「於是化八尋白智鳥、翔天而向浜飛行。」
(ヤマトタケルの魂は大きな白い鳥となって空を飛び、海へと飛んで行った)

大きな白い鳥を意味する「八尋白智鳥」。「八尋白千鳥」とも書きます。
そう。お気づきでしょうか。
並び替えると「白鳥千尋」になる。私の名前だ。
「八」どこに行ったねんと思うよね。
私の誕生日は「八月八日」。

私はヤマトタケルかもしれない。

お叱りを受けそうなので正確に言うと、
ヤマトタケルの生き様と魂のかたちからくる「白鳥信仰」に対して、
厚い心を込めた壮大なキラキラネームかもしれない。

そこで、
ヤマトタケル東北平定の際に陣を構えた地とされる、宮城県村田町の白鳥神社に行ってみました。
単略的かつ盲信的な行動かと思いますが、無職(転職活動者)には時間だけはある。
齢34にして初めて気付いた偶然に心を躍らせながら、2時間以上車を走らせ到着しました。

白鳥神社。
「写真撮らせてもらってもいいですか…?」と参拝してから撮影しました。

この地に既視感がある。
なじみのないこの土地の、この場所で、だ。
前世の、ヤマトタケルだった頃の記憶が蘇ってきたのだろうか。
境内には誰もいない。意味有りげな風も吹いてきた。

事前にネット調べて写真もたくさん見ていますので、当たり前のように既視感はある。
それを除けばおおよそ新鮮でした。
平日のはじまり、月曜の朝。当たり前のように人はいない。
なんかもう運命的な、劇的なアレがあればこの記事の表題に箔が付くのだけど、人生はそう上手くはいかない。
だから面白いのかもしれない。


伝説の蛇藤
ここをくぐる形で境内に入る

前九年の役の際、源義家は戦局が苦しくなった時に大蛇に姿を変えた境内にあるこの大藤に助けられたという伝説もあるそうです。

おお、私は巳年生まれ。
旧町の町花は藤。住所にもその名が入る。
ただしこの共通点に合致している人間は4、5人いる。
そう。近所にかつて住んでいた同級生たちだ。

何事もそうなのですが、こじつけや勘違いだとしても、自分が納得したり何らかのパワーになればそれはそれで良いと思うのです。
実際に、目に見えない存在からのメッセージだとしてもそれはそれでちゃんと腹落ちします。

ああ。「私はヤマトタケルだ!」って信じ込んで転職活動ややっていきたい仕事とか、いろいろ無双したい。

その他にイチョウやケヤキなどの巨木、かわいい狛犬、奉納された素敵な絵馬があります。
素敵な神社です。

「阿」


鳥居を出た途端、目の前を白い鳥が翼を広げて川の上を飛んでいきました。
数10m先の川べりに降り立つ。

白いサギ

スピリチュアルなアレかもしれないけれど、白鳥神社に来た人への白いサギなりのサービスかもしれないと考えるほうが面白いような気がした。
ヤマトタケルを思わせ、その繋がりを感じさせるなんともニクい演出だと思う。

さて。
なぜ私がヤマトタケルと気付いたかという理由をお話ししましょう。
(余談ですが、文章を割愛すると何ともパワーのある意味になると勉強になったし、もし今職質などをされたら「自称ヤマトタケル」と言わなければならないかもしれない)

それは、私が相撲好きだからです。
宮城県出身の4代横綱谷風梶之助の銅像が前の職場の近くにあり、クリスマスシーズンに会いに行きました。

4代横綱谷風梶之助
道路を挟んだ隣の広場ではクリスマスマーケット開催中。スケートリンクもある。


国技館でテンション上がってたときに撮影した谷風


ふと調べるとなんと誕生日が一緒(※谷風は旧暦)。
より調べると谷風という名は2代目らしく、初代は同郷の宮城県出身の力士。
その初代が生まれたのが蔵王町の刈田嶺神社(別名白鳥大明神)の門前だという。

「白鳥大明神」。
やっぱりあの神話にある白鳥伝説にちなんだ神社なのかなと思い、白鳥伝説の内容が一体何なのかがよくわかっていなかったので調べてみたらこの記事の冒頭に至った、という経緯です。

この記事を書くにあたってまた更に調べてみたところ、ヤマトタケルは地元栗原市の栗駒地区にある駒形根神社を建立したらしい。
祀られてるなどではなく、建立。
建てたのか。建てるとかあるのかと驚き、行くしかないなという気持ちにもなりました。

ちなみに私の先祖は「伊治呰麻呂の乱」で有名な伊治城がある地区の出身。
平定する側なのかされる側なのかよくわからなくもなってきました。

昔、友人が多賀城に住んでいたのでよく遊びに行っていたのだけど、関係無いとは思うのだけど「なんかごめんね」というような感情になっていたのが懐かしいです。

調べるほどにいろいろ出てきます。
自分がヤマトタケルだと勘違いした女の旅はまだまだ続きそうです。

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