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そんなことも知らないで「ファン」って名乗ってるの?

好きなものでも、それに対してかなり詳しくないと「好き」と名乗りづらいなぁと思っていました。

例えば野球。球種や投球の組み立て、戦略、選手の顔と名前と成績などの詳しい情報。
詳しい人たちがたくさんいる中で、それらを知らないのに「好き」や「ファン」と言っていい資格なんかないんじゃないかと。
いわゆる「にわかファン」になってしまい、本気のファンから煙たがられてしまうのでは、と。

でも今は、「詳しくなくても良いじゃん」と思っています。

なぜ「好き」になったかというと、それに対して心が動かされたから「好き」なんだろうと思います。
「心が動かされたから好き」。
それだけで十分だな、と思います。

自分の好きなものを、他の人が好きになりはじめたら
「ふふん、でしょ?素敵でしょ?」と誇らしい気持ちになって、
自分の好きなものに心が動かされる人が増えて嬉しい気持ちになる。

自分に置き換えると「にわかファンめ!」という気持ちには、どうしてもならない。

「にわかファン」がたくさん増えた2019年のラグビーW杯。
テレビ解説の方が「にわかファンが増えて嬉しい。これでラグビーの裾野が広がる」旨の発言をしていました。
心が動かされた人が増えて裾野が広がった分だけ大きな山になり、競技がさらに発展することを心から喜んでいました。

一般的に、「にわかファン」に対する怒りはどこからくるんだろうと考えました。
浅い知識をひけらかしたり、チケットが取りづらくなったり、群れたい・盛り上がりたいという目的のための手段になっていたり等かなと思います。

浅い知識をひけらかされるのが嫌なのは、その人の知識量が足りないことが悪いのではなく、
話し方だったり、相手が嫌そうにしているのに「ひけらかす」という行為をしてしまうという
その人の気遣いの力が足りないときや、
自分にその人のことを許容できる余裕が無いときなんだと思います。

逆に、知識量が多くても相手のことを考えないと「うんちく語り」のようになって、嫌な人は嫌だと思うかもしれません。

「好き」という気持ちは情報量や物量などで競うものではないと思うのです。
ただ、嫌な思いをする人がいることも事実ではあります。
なので、気遣い合えれば相手も嫌な思いをする機会は減ると思いますし、
自分の中に悪い感情を抱かずに済むのでスッキリします。
同じものに心動かされた者同士、高め合っていければなお良いですよね。

でも、あまり詳しくないけど好きなものに関しては
「あまり詳しくないんだけどさ」と保身のために一言置いてしまいます。笑

それも相手への気遣いのひとつと思ってやっています。
「その程度で好きって言っちゃうんだ」と思う人はどうしてもいると思うから。
その人のいまの心の余裕でも変わってくると思いますしね。

ファンに上下も、誰が偉いとか何とかは無いと思います。
ただ、「尊敬」という形で「あの人は上だ!」「すごい!」と思うのはアリかと思います。
マナーや人間性が素晴らしかったり、知識量が豊富だったり、
知識を蓄えるためにたくさん勉強したり、一生懸命応援したり、素晴らしい愛があったりね。
勝手に上に思う分にはいいのかなと思います。

好きなものは好き。
恥ずかしいことは何も無いです。
好きなものを気持ちよく楽しめれば、とっても素敵なことですよね。

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