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宗教について思う 7 宗教のタイプについて

宗教について思う 7 宗教のタイプについて







私たち特定の信仰を持っていない人間は、


宗教というと、

つい、どの宗教もひとくくりにしてしまいますが、


少し話を聞いたりすると、


宗教によって、

その背景にさまざまな異なる世界観があることに

気づかされます。





たとえば、


ユダヤ教やキリスト教、
そしてイスラム教のような宗教(一神教)では、

ひとりの神様が、

明確な意志と目的をもって、

無から世界を創造したといわれています。



それにたいして、

日本の神道やインドの神話、
古代メソポタミアや古代エジプトの神話では、

(古代ギリシャの神話もそうですね。)


神様も世界も自然に、

言い方は悪いですが、
雑草が自然に生えてくるように、

自然に生まれてくるものと考えられています。





同じひとつの世界を見て、

世界観になぜ、

このような差が生まれてくるのでしょうか?



私はこれは生活形態の差、


つまり、

遊牧か農耕か?

という、神話をつくった人々の生活形態の差が、

それぞれの人々の世界観の差となったものなのではないかと
思うのです。




ユダヤ教やキリスト教、イスラム教のような宗教は、

もともと遊牧の民の宗教です。


それにたいして、

日本やインド、
メソポタミアやエジプトの宗教はもともと

農耕の民の宗教です。






砂漠や草原のようなところで遊牧をして

生きてゆくためには、

自分の意志と決断によって、

自分自身の行くべきところを決めてゆかなくては
なりませんが、


農耕では、

自然の生産力に生かしてもらいます。



農耕をするにも、もちろん、

自分自身の意志が必要ですが、


農耕の生活では、

自然界の恵みや生産力の方を、

それよりずっと強く感じるのでしょう。





だから遊牧の民の神話では、

生きる上で、

何より意志と決断とが重要であるという
考えのもとに、

神様もすべてを自分自身の意志と決断でつくってゆく

存在であると考えられ、



農耕の民の神話では、

神様さえも自然に生まれてくると、

自然界の生産力が強調されたのではないでしょうか?





このように、

遊牧か?農耕か?という、

私たち人間自身の生き方の差が、

それぞれの民が奉じる宗教の世界観の差、神話の差と

なっているのではないでしょうか?





神話を、

それぞれの神話をつくった人々の歴史とあわせて
考えると、


その時代の、その地域の人々が、

自分たちの生き方を、

神様や世界に投影して世界観をつくっているように

見えるのです。




つまり、

私たち人間は、

自分自身の生活の仕方によって、

ものの見方に限界をつくってしまうのです。






私たちは現代、

科学が発達して、

昔よりはるかに遠くまで認識の翼を広げていますが、


それでもやはり、

私たち自身の認識にも、

私たち自身のの生活形態からくる、

認識の限界があるでしょう。




私たちは知にたいして、

世界にたいして、

もっと謙虚であるべきなのかもしれません。







世界は私たち人間が考えるより

ずっと豊かな、


そしてきっと、ずっと美しい内容を持っているのです。







白鳥静香




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