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宗教について思う 13 癒しを与えるということについて

宗教について思う 13 癒しを与えるということについて








宗教というと、


現代、

「少し怖いな。」という

印象があります。



私もそう思うことがあります。




私は、

自分自身、何か特定の信仰を持っているわけでは
ありませんが、


祖父が禅者であったり、

母がキリスト教を信じていたり、


また、私自身、

芸術が好きだったりするので、

(芸術は歴史上、宗教芸術からはじまっているといっても
過言ではないでしょう。)


基本的に、

宗教には好意的な方であると思います。


(といっても、新興宗教ではなく、伝統宗教についての
話ですが。)




それでも、


そのような私でも、

宗教というと、

少し怖いなと思ってしまうところもあるのです。



それにはいくつもの理由があるとは思うのですが、





宗教が人々に

「怖いな。」という

印象を与えてしまう理由のひとつは、



宗教には、

多かれ少なかれ、

自分の教え以外の

価値観、世界観を認めようとしないという


傾向があるからではないでしょうか?







宗教にたずさわる人たちが

そのようであるということも、分からないでも

ないのです。



私は宗教ではなく、

学問の方を愛する人間ですが、


宗教にかぎらず学問でも、

真理を求める人は、

誰でも一なる真理を求める傾向はあるからです。



哲学者のハンナ・アーレントもたしか、

学問にたずさわる精神について、

そのようなことを

言っていたと思います。




真理を求める人は一なる真理にあこがれるのです。




それは精神の狭さであり、

矛盾を抱えるストレスに耐えられないという

心の弱さでもあるのですが・・・。









宗教者は一なる真理を求めます。



でも、

宗教ということの社会的な役割について

本当に考えるなら、


宗教者は、

ただ単に真理を求める人であってはならない、
ということに

思いいたりはしないでしょうか?





宗教の社会的役割について本当に考えるなら、


宗教とは、

単なる理論的な真理を求めることではなく、

人々を心の苦しみから救うことでもあるはずです。



宗教者は、


宗教が人の苦しみを癒す病院である(譬喩ですが)と
いうこともまた

忘れてはならないのです。





病院は、

世の中に最高の病院がひとつだけあればよい

というわけではありません。


病院には、

科のちがいも必要なら、

医師の治療方針の多様さもまた必要です。



また、

病院には、

自分に合う合わないという、

相性の問題もあると思います。





昔の社会は、

職業が分化しておらず、


宗教が、

道徳や法律、

社会秩序の維持という機能を担わざるを
えなかったので、


宗教が人々をひとつの教えに統一しようとすることも

仕方がないことであったと思います。



でも、


社会において職業が多様に分化した現在、


それは不要であるだけでなく、

有害なこと、


宗教にとっても、

社会にとっても、


どちらの側にとっても有害なことでしかないでしょう。






現代は、


人間の個性の数だけ、

人間の悩みの数だけ、

宗教は多様でなくてはならない時代であるのでは

ないでしょうか?


そうであってはじめて、

宗教は、

現代、人の心を癒すことができるはずです。





宗教にたずさわる人が、

それを忘れ、

真理を独占したつもりになることが多いから、


現在、

宗教が危険なものとされてしまうのでしょう。








宗教とは、

人の悩みや苦しみに即したものでなくては
なりません。


そうであるならば、


宗教とは、現代、

人の悩みや苦しみの数だけ、

多様に存在するべきものであるのではないでしょうか?






白鳥静香



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