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衛星

少しばかり生きていると気づかないうちに
正しさやら
道徳やら
責任やら
世間体やら
役割やら
が衛星のように身の回りを周り始め、次第に身動きが取れなくなっていく。

そうして最後には立派な負け犬として死んでいくのだ。

私は今それをありありと見た。

だから何だというのか。それらを疎ましいとは思っても、実際問題としてそれをすべて遠ざけることは難しい。動物として生きていく以外は。

だれだ、こんなものを広めたのは?
だれだ、こんなものを信じているものは?

すべて人間が始めて、人間の間だけで行われていることだ。
そのおかげで今こうして生きている。
なぜなら皆が動物であればすでに殺しあっている。
人間が人間であったからこそ、またそれを嘆くこともできた。

しかし、それとこれとは話が違うのだ。
私が今「ここ」に感じていることと、
今私が立っている場所の「文脈」は関係がないからだ。
私がいくら他の人と比べて裕福だったとしても、
私自身が「私は貧しい」と感じたら、私は貧しい。

私が「自由でない」と感じたら私は自由でない。
気付くことができないほど忙しければよかったのに。
気付くことができないほど鈍感であればよかったのに。

今の私は
正しくて
道徳があり
責任感があり
世間体がよく
役割をたくさん持っている

ー本当はゴミのように生きたいのにその度胸がなく
欲しくもない勲章ばかりが増えていくー

一度人の役に立ってしまったら、2度と役立たずには戻れない
中途半端に才能がある人間は大成しない
中途半端な才能を捨ててあらゆる可能性を模索することができないからだ
その点何もない人間には何もない
何もしなければずっと何もないまま
失敗しても何もないまま
そうして繰り返すうちに、中途半端以上のものに出会うのだ

話はそれたが大成なんてしなくてよい
私はただ、私を取り戻したいだけだ

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