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うつ病と診断されて幾年月(その4)

深夜に電話が鳴った。
最初の電話には全く気がつかず寝ていたが、眠りが浅くなったときになった電話に偶然にも気づいた。
相手は特養の職員さんからだった。

「お母様が喀血しました。至急、○○病院に来て下さい」

病院の名は、母がくも膜下出血で運ばれた場所だった。大学病院である。
取るものも取りあえず、貴重品を握りしめてタクシーを使い病院に向かった。
勝手知ったる緊急待合室。何度もお世話になった緊急待合室で夜勤担当の職員さんと出会った。
夕食時は問題はなかったか、突然夜中に咳き込み血を吐いたとのことだ。胃からなのか食道なのか、肺からなのかは解らない。だが、ただ事でないから緊急搬送されたと言う流れだ。
彼は施設に戻らなければならないとのことで、今後のことは私に託された。

待つこと数十分。
当直医に呼び出され、母のことについて状態を聞かされた。
過去にかかったアカラシア(簡単に言うと食道が極端に収縮してる病気)が数年前の手術の甲斐なく再発。口からの栄養摂取が不可能になっている、とのことだ。
これから母が生きていくには、

「胃ろうか首筋からの点滴の2択になります」

胃ろうの言葉にゾワリとした。
生前から母は胃ろうを嫌がっていた。
「口からもう食べられなくなったら最後でいい」が口癖であった。
私は母の意思を尊重して、「点滴」を選択した。
まだコロナ禍の最中だったため、1度入院すればまた会えなくなる。看護士の計らいで長い面会が許された。
目が覚めていた母に病気のアレコレ難しいこと言わず、簡単に今の状態を言った。

「かーちゃんや、胃ろうか点滴で栄養取るしかないって」

母の目が力強くこちらを見ている。

「胃ろうはイヤだって言ってたよね?」

小さく頷く母。

「とりあえず、点滴でいいよね?」

そう告げると、うんと小さく頷いた。

遂に、母は楽しみである〝食〟を奪われてしまった……

こうして母の楽しみをひとつひとつ奪われていかれていくのが、私には苦痛でしかなかった。
夜明けにようやく病院を出た。
会社に行った記憶がないので、おそらく休みだったのかもしれない。
さっそく施設に連絡し、母のことを説明した。病院に入院と言うことは退室を意味する。施設から後日、母の荷物を取りに来るよう伝えられた。

…………
この先は坂を下るように、母が衰弱していくことしか記憶にない。
大学病院から中小病院への転院。
点滴では感染症が起きやすいことを担当医師から言われ、遂に母の嫌がっていた胃ろうにすることになった。
先生曰く、「延命治療の胃ろうになる」とハッキリ言った。
ハッキリ言ってくれた方が寧ろ潔くて心地良かった。母が栄養を摂らぬまま餓死することより、数日でも長く生きていくことを私は望んでいた。生きている間にも何か奇跡が起こるかもしれない、と甘い考えもあった。

母の意思に背き、胃ろう手術に踏み切った。

余程、母は胃ろうがイヤだったのだろう。
胃ろう手術には手間取ったらしい。本来あるべき位置の所にあるものがなかったり、と母の身体が特殊だった、とは主治医談。

文字通り、身体で胃ろうを拒絶をした母。
意志が強い。


コロナ禍で面談が厳しい中でも、私の場合は病院の温情で面会が許された。
ビニルシート越しだったが、看護士さんが居ない間は触れることも出来た。

母が生きている間は気持ちの浮き沈みは激しかった。当時働いていた派遣先も事情を把握してくれて、朝病院に立ち寄ることを許してくれた(この間の給料は下がったが仕方ない)。
家を出て病院に向かい、病院から会社に出勤を続けること1週間。昼休みに「すぐに病院へ向かうように」との電話が来た。

看取りの時間を許してくれた派遣先に、感謝しかない。

母の死に目には間に合った。
最後の最後まで、母の好きだった曲「Beautiful Sunday(洋曲)」と「思い出のアルバム」を耳元で聞かせた。
周りが慌ただしくなり、機器を見守る。主治医がやってきて検体をする。母は静かに〝ご臨終〟となった……


亡くなった瞬間は涙は出なかったが、母の友達に連絡したときに涙腺が崩壊した。
終わった。介護が終わったんだ。
まだ葬儀とか納骨とかやることがあるのだが、それより介護が終わったことへの解放感と同時に虚無感が現れた。

介護燃え尽き症

これまで母の介護を中心に回っていた生活が、遂に終わったのかと気づいた瞬間、次に何を糧に生きていけば良いのか分からなくなった。
しばらく短期派遣で慌ただしく働いたが、目標を見失ったようだった。

それは今もある。

入浴介助のバイトを初めて、新たな目標を立てたりもしたが、唐突に倦怠感から襲われる。
介護ライターになりたい!と思いつつも、現実問題、介護の給料面で生活が出来るのかと言う不安がある(何処を見ても給料が安価)。

心療内科への通院は続いてる。
仕事(就活中ではあるが)とうつ病が上手く付き合えられる環境が、いま一番の目標である。

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