女の尊厳を取り戻す
取り戻すというか、そもそもちゃんと尊厳があった時代があるのかも解らない。卑弥呼の時代などは、女性の方が社会的地位が高かったのかもしれない。
ここでは、「かつてあった」というよりかは「本来あるべき」という意味で「取り戻す」という言葉を使おうと思う。
女性ではなく、「女」とあえて言う。「女の尊厳」。「女性の尊厳」より、何故だかその方がしっくりくる。語呂かな?笑 無意識に何か意味があるのかもしれない。
フェミニズムは女の尊厳を取り戻す思想。男女平等を目指す。ここでよく「フェミニズムは男性差別もなくしてくれる」などという他者任せの的外れな発言をぶつけられる。女性差別をなくそうとしている人間に、外部の人間が何故更に義務を課そうとしてくるのか。男性は男性で何か不満があるなら、自分達で解決してくれ。
女性の権利を訴えると、必ずどこからかカウンターが入る。一年にたった一日しかない国際女性デーにすら、女性は焦点を当ててもらえない。それこそが女性差別なのである。
日常生活のあらゆる場面で、女性は尊厳を奪われている。女性に対する男性の性的なまなざしの肯定、メディアによる性描写の氾濫、美への強迫観念、とにかく綺麗な外見でいろ、性的に消費されることに文句を言うなという抑圧を受けている。性的に奔放な女性を先進的で大胆で格好良いという刷り込み。それも露出度が高いとかケバケバしいファッションなのではなく、むしろ清楚で控えめで自我がないのに、性に対しては無防備に無意識に男を誘い、適度な恥じらいを見せ、押しに弱く男を受け入れてしまうような女性像が好まれる。
日本はエロの文化がやたらと発達している。不必要で執拗な性描写、風俗の充実。反面、世界有数のセックスレス大国である。これは理想と現実の著しい乖離の表れである。
「据え膳食わぬは男の恥」「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉は、完全に女性の意思はなく、男性の性欲の肯定でしかない。「嫌よ嫌よ」はシンプルに嫌なのである。「やめて」は言葉通り「やめろ」という意味。これが、性欲で一杯の脳みそには届かない。
そんな一方的で自分勝手なセックスが女性にとって気持ちいいだろうか?アンケート結果による、セックス中に演技をする女性の多さに彼らはびっくりするだろう。女体を使った自慰には、女性が気持ちよくなるという演出まで必要なのである。
ここまでお膳立てされながら、男性は全く気づかない。「俺のテクでイカせてやった」くらいに考える。
もう演技するのはやめよう。自分の意思、感覚、感情をもっと大事にしよう。
自分を大切にしてくれない男をバッサリ振ろう。あなたにそいつは勿体ない。あなたの人生にとって、そいつは枷でしかない。
とは言え、世の中は女性に恋愛至上主義を植え付けようとしてくる。男性に恋をしろ、結婚しろ、子どもを産み育てろ。この一連の流れは、小さい頃から様々な方法で脳に植え付けられている。このことに疑問を持たず、自然のこととして受け入れている女性が多数、結婚しない・子どもを持たない女性は奇異の目で見られる。
女性は俺をケアしてくれる、俺の子どもを産み育ててくれる、俺の親をケアしてくれる
そんな馬鹿げた理不尽な考えをさも当然のように持っている男性は少なくない。彼らもまた、そういった女性奴隷化思想に冒された悲しい生き物なのである。
女性が病気や怪我や妊娠出産で体が痛み傷ついても、「大袈裟だ」と取り合わない男性も少なくない。その割に、自分がちょっと風邪を引いたり熱を出すと、過大にケアを求めてくる。
そのこと自体はまあ辛いだろうからいいとしても、何故女性の辛さに対しては思いやれないのだろう?目に見えない病気はまだしも、明らかな重傷である出産にすら配慮ができないのは驚きを通り越して怒りを覚える。命懸けで出産した女性を労るどころか、「父親の産後うつ」「父親の赤ちゃん返り」とかいう謎のワードまで生み出される始末。
何故妊娠出産に関して1mmも体に負担がない男性が、重傷の配偶者を思いやれないのか。
これらも勿論全ての男性ではなく、だが極少数でもなく珍しくないという恐ろしさ。母親信仰が原因なのかもしれない。
女性は清らかで辛抱強く周りを優しくケアする聖母か、愚かに若さを消費し一時の快楽に興じる娼婦か、極論そのどちらかのイメージでしか捉えない男性もいそうだ。女性だけが楽しんでいる姿をどうしても許せない男、逆に男性だけが理解出来る(と彼らが思う)作品からの女性の排除は、女性が愚かで男性の崇高で骨太な作品は理解できない一方、女性しか理解できないものに対する反発の表れだろう。何とかして女性の楽しみを取り上げないと気が済まないのだ。女性専用スペースに対する異常なまでの悪意や疎外感、女性に対する怨念は私には理解出来ない。
彼らは何故、女性をここまで嫌悪しながら女性に関わるのをやめないのだろう。女性の尊厳を奪い、奴隷化し屈服させ、自分の欲求を満たす道具にしないと気が済まないのか。
性被害に声を上げた女性に対する否定・カウンター・誹謗中傷も酷いものだ。それを予防するための警戒に傷つき怒り、嫌がらせをする男まで現れる。更に言えばそれを笑いの種にするほどの認知の歪みも見受けられた。
女性は尊厳を取り戻さなければならない。「NO」を主張しよう。それが男性に伝わるためには、女性ばかり頑張っても逆効果なことも多いだろう。
そこでやはり、メディアから変えていくことは大事なことだ。女性の尊厳を踏み躙るメディアを批判し拒否し、そういったメイカーに対して不買運動をする。
私達には声がある。twitterも最近は充分な力となる。
私は言葉で抵抗する。もちろん無理に強要する気はないが、協力してくれる同志はとてもありがたい。
「女の尊厳」を取り戻そう。
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