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死にたいという言葉でしか生きたいことを表現できなかった

 「生きているのが辛い、死にたい」
そこへ結局着地してしまう。毎朝起きるたびに暴力的に始まってくる生きるという一日に途方にくれていた。今日もまた過食嘔吐するのか、吐くのが悶絶するほどしんどすぎて、吐けばまたその後の時間すら食い潰されてしまうというのに、自分で全くコントロールできないものを、自分の中に抱えていることが怖い。いつやってくるのかわからない病気の思考に脳を乗っ取られる感覚、その苦しさから逃れたいために私の中の摂食障害狂気のスイッチが入る、そしてその狂気を具現化する20年変わらない自分の有り様にうんざりする。誰かに助けを求めたくて、自分が何をしたいのか、するべきなのかがわからない。私だって輝きたい、生きる喜びを感じたい、熱心に仕事をしてきた過去の自分との比較、障害者という自分へのレッテルから離れられない怖さ、孤独感。誰かに何かしてあげようとか、春には胸いっぱいに感じていた家族に対する感謝の気持ちも薄れて、心の貧しさ、心の成長のなさを痛感する。何もできずに寝ていると、孤独の海に、一人浮かんでいる気がしてしまう。私を支えてくれる人はたくさんいるはずなのに。支援者へいつも発信しているはずなのに。依存症当事者の仲間や家族もいるはずなのに、もう誰に何を発したら良いかわからなくて、もうダメとしか思えない。社会死している自分。

ずいぶん長いこと摂食障害に苦しんできた。この病から抜け出すために、ありとあらゆることをやってきた。でも、どれもその一つの方針ややり方に強力な効果が出ず、無力感に打ちのめされたり、時には治療者やヒーラーとバトルし決別さざるを得ない状況に見舞われたり、誤診や治療法に手段と目的をすり替えてしまい、何をやっているのか、なぜここまで自分を追い込まなくてはならないのか、何故いつも操り人形になってしまうのか、自分は何者なのかわからず出口のない迷路に迷い込んでは結局、最後は症状を『使う』ことでしか常に何かに引き裂かれる自分を保持できなかった。胸に何本もの矢を突き刺したまま生きているような感覚が常に私にはあった。病気との戦いに疲れ果てて、今というこの瞬間も将来も悲観し、楽しいことや喜びすら感じなくていいからもう全て終わりにしたいという、その思考が頭から離れることはなかった。この戦いはeasyじゃない。理力、感性、精神力を総動員しなければならない。自分の脳と心に起こっていること、体や霊的なことまでに集中し、微かなその小さすぎる自分の声に耳を澄ませ、微かな音や感覚をつかみ、何層にも分かれてそれを行き来する本来の自己の回路を読み取り、言語化し、主治医や支援者に伝え一緒に考えてなくてはいけない。サポートを受けていても、確信的なことは私にしかわからない。経験したことのない、どこにも書かれていない、誰も知らないこと。どんな医師にも支援者にもわからないと思う。この微妙かつ微細な感じを誰かにわかって欲しいと言っても無理だ。私自身が、患者と観察者と治療者を兼ねなけえばならない。なんて厄介な病気なんだと思う。癌ならよかったと何度も思った。精神の病は、時に人災も含まれる。そのこととも戦わなくてはならない。20年の歳月を得て、初めて自分のことをよく理解してくれた医師に言われた「渡辺さんの場合は一つの魔法で全てが解決するわけではなく、いろんなことを掛け合わせていくタイプ」という一言への核心は、施設という強制収容所の経験を通してさらに強められた。正解はない。でも。他に選択肢がないのだからこの体が滅びるまで挑み続けるしかない。障害者ということが明らかになった自分のことが受け入れられず、わからないため、他人とどう接してて欲しいのかわからず、今まで関わってきた人との交流に躊躇し、煩わしさすら感じてしまう。でも、病気は20年私にあらゆる体験とセレンデシピィを与えてくれたのも事実。私の終わりは病気の終わり。一度摂食になったら死ぬまで摂食だ。この経験を生かしたい。ピュアな動機で。野心は邪魔。私のことを誰かにわかってもらいたいという自意識の過剰さも。
でも無駄死にするのは嫌だ。だからこうして書いているのだろうけど、せめて一人でもいいから誰かを救う経験がしたい。でもその方法や、誰に向けていいのかわからないところから進めない。それが悔しい。

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