見出し画像

まずは、許す。丸とハートをつける。

長年、草の活動をされ自然療法にも詳しいKさんとのカウンセリングから奇跡的に症状止まって6日目。
正直止まっている50%止めてる50%という感じ。
Kさんのおかげで楽さや軽さ、温かさが心の中にいてくれる時間も長くなったけど、そのKさんの存在が心の中になくなってしまうのが嫌で、吐いたらまた、そう在りたい自分ややりたいこと、行きたい所から離れてしまう気がして、常に考えに考えてる。
あいつが(欲求)がやってきそうになったら、うまく切り交わす方法を常に考えて実行している。
散歩とか、手作業とか、家事とか、お風呂とか、ヨガとか、音楽とか、食べるのが止まらなくなったらつかさずタバコを吸ってみる(良くないのはわかってる)とか・・・
過食欲求からうまく別のことへスライドさせること、、、それもできるだけ健康的な行動を、、、考えろ考えろ考えろ!動け動け動け!負けるな!って。良い状態をキープするのに、とても神経を使ってしまっていて、その有り様に疲れを感じてしまう矛盾さ。脳の芯まで疲れている愚かさ。
緩んでリラックスしている感んじや、宇宙と繋がっているようなクリアさや、健康な状態に体も心も慣れていないからか、そこに止まりたくて踏ん張りつつも正直もう負けそう!ってなる。食べ吐きしてずっと安住してしまっていた暗闇に、不幸に、要塞に落ちて一休みしたくなる。
(結局7日目にはまた、食べ吐きに戻ってしまって、それからは3日に1回とか欲求に勝てなくなってしまった。)

これが分裂した自己というやつだ。
これまで食べ吐きという荒手のセルフメディケーションや解離状態になってまで感じたくなかった、拒絶してきた私の中の私。

人間だから色々感情が湧いてしまうのは当たり前で、先月のクリニックの心理プログラムの中でもまずは分裂した自己をある程度受け入れ、それに振り回されないようになることを目標にどういう方法で自分を統合していくかのレクチャーがあった。

それは、Kさんのカウンセリングともリンクしていた内容だった。

・どんな感情を保てもいい。感情のジャッジをしないこと。そう感じている自分を丸ごと許すこと。
・拒絶してきた自分の中の部分を受け入れ、その部分を尊重して、耳を傾けること。
・分裂した自己の中でも危険な行為に関わっていない部分はどの部分なのか見ていくこと。

どちらも感情を書きだすことや、素の自分やバランスの取れた自分から、危ない自分を理解してメッセージを送るなどの方法。

・自分に手紙を書く
・嫌な感情を全部紙に書き出してハートマークでその文章を囲ってみる

などの方法が有効というのもどこか近しいところだった。

依存症回復施設に行ってもなお、症状が止まらなかった現実。
症状はすごい派手に出てくるからどうしても、そこを見てしまって翻弄されてしまうけど、見るのはそこじゃないとわかっていても、その分裂した自己を見つけて上手くあやすのが下手すぎる。
摂食障害は「自分と仲良くない病気」と昔何かの本で読んだけれども、本当にそう思う。わかっているのに、できない。なぜ!?って自分に怒る。落胆する。

カウンセリングのあと、食べ吐きしてしまった翌日の朝、落胆しながらいつもの木の陰に。見上げた先には、アイビーなのかなんなのかよくわからない蔓の葉っぱがみーんなハートの形をしていた。

そうなのだ…。きっとそうじゃなくて、
もう十分じゃない?いい加減にしてって思いながら欲求に抗えない、
欲求が強く入ると書くことなんて無理で、書いてもストップしてくれないこと、
誰に何をしてもらおうと、過食嘔吐へ走る自分をもうそのまま「丸」したり、ハートで囲ってあげることが初めの一歩なのかなと思わせられた。

過食嘔吐が悪いわけではない。自分はダメージ受けるけど犯罪じゃないから。主治医が最近私によく言ってくださるのが、「食べ吐きしてどこが悪いの?」という言葉。

捨てても捨てても、切っても切っても、剥がれない私の過食。
泣きながら、丸や♡つける。
そういう努力を私はしてこなかった。
いつも、減点方式で重箱の隅をつつくように自分のできなさや、ダメなところに鞭打って、やらなきゃ、こうじゃなきゃという努力を自分に課してきた。
やめるのは、まずそこじゃないかなって。

今、自分よりもっと辛い状況の人がいる。でも、私の辛さもここに確にある。まずは、わたしから。
丸やハートが広がるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?