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無知という強み

私は統合失調症からの心のリハビリについて記事を書いている。

この前、心のリハビリとして読書をすべきだと、偉そうに書いた。
その際、スピリチュアルや啓発本は嫌いだと、これまた偉そうに書いた。さらに偉そうに「良い本を読め」などと書いた。

私がどれだけ良い本を読んできたのか、私はなにをもってそう言えるのか。世界中の本を読んだわけではない。読んだ本などほんの一部だ。その外側に私の知らない広大な書物の宇宙が広がっている。

スピリチュアルなどを信じている人を下に見ていた。しかし、読書量など五十歩百歩ではないか。
たくさん読むことも大事だが、読むことで考え過ぎたりして行動できなくなることのほうが良くない。
ひとつの本を読み、それから得たものを生かし行動する。その行動力、それは無知ではあるが、獲得しやすいものだ。
「この本ではこう言ってるけど、あの本はどうだろう、いや、あっちは・・・」などと言っていてはいつまでも行動できない。何かを信じ行動する人が歴史を作って来た。

歴史などと大きなことを言わずとも、例えば、私の小学校高学年の頃の将来の夢は高校野球で甲子園に出ることだった。その後のことなど考えてもいなかった。「甲子園の土の上で死ねたら最高だろうな」とさえ思っていた。今から思えば無知な子供の夢に過ぎないが、その夢を信じる力は何ものにも替えがたい非常に強いエネルギーだ。死んでもいいと思える力、無知から出た力こそ、生きる上で大きな原動力となる。

今回は、心のリハビリとは関係ない話を書いたようだが、実はこの無知ゆえの力、強烈な信じるエネルギーこそ、統合失調症を患っている人が取り戻すべきものだと思う。

私は、何年か前にペットの犬が死んだとき、悲しみにより赤ちゃんみたいに号泣したい激しい感情が込み上げてきた。何十年ぶりかの感情だったので、「ああ、これこそ人間にとってもっとも大切で健康的な感情に違いない」と思った。統合失調症を患っていてすでにこの感情を持っている方は、かなり良くなっていると思う。この感情、エネルギーに読書量は関係ない。

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