長者ヶ岳登山。日本福祉大学について考える
今日は朝から晴れたので、静岡県民の私は富士山の外輪山のひとつ長者ヶ岳に登って来た。田貫湖畔にある山だ。
低山で登山道も簡単な山だった。
今朝、上に貼り付けた記事にコメントが寄せられ、日本福祉大学の精神保健福祉士受験資格通信課程で私と同じ辛い思いをした人がいることがわかった。詳細は上の記事を読んで欲しいが、かいつまんで言うと、日本福祉大学は、精神保健福祉士通信課程において、人数制限があるにも関わらず、入学試験を行わず、学生に入学金、授業料を払わせておきながら、入学後に教室の選抜試験をやり、九月にその結果を通知するのだ。私はその九月の通知で不合格が告げられた。そうなると、資格を取りたくて入学したのに、それ以上在学する理由はなくなり、自主退学した。バカにならない学費は戻ってこない。なぜ、入学試験で落としてくれなかったのか、そうすれば受験料を払うだけで済むのに、まるで詐欺だ。コメントを寄せた方も同じ思いだった。
そんなことを歩きながらずっと考えていた。
帰ったら、文部科学省に電話しようと思った。
歩きながらずっとその文言を考えていた。
そういうことに考えが集中するところが、この山の登山道の簡単さを物語っている。
私は余裕があるとものを考えながら登る。かなり深く考える。
今回は日本福祉大学についてのことだった。
山頂に着くと、私は昼食を摂った。
賞味期限の近い非常食のカロリーメイトを食べることが今回の目的でもあったため、湯を沸かし、フリーズドライのビリヤニができるのを待つ間に、一箱半食べた。ビリヤニの写真は撮らなかった。食べているときにそのことに気づいたが、もうどうでもいいと思った。
山頂から見える景色はこれだ。
富士山が見える場所は、その風景を見るとき必ず富士山がランドマークになる。外輪山ならば尚更だ。
私は先日、岐阜県の笠ヶ岳に登って来たが、そこではランドマークは槍ヶ岳だった。どこに行っても私は槍ヶ岳を探した。鏡平の鏡池では槍ヶ岳が映り込む景色が見所だった。
今日は山に登りながら、かなり俗なことを考えたが、そういう思考を捏ねるのも、登山の目的のように思う。
笠ヶ岳に行ったときも、笠新道を降りてくるときは、もうnoteに何を書くかしか考えていなかった。
今日の下山時は更に思考が回り、ずっと日本福祉大学のことを考えていた。
その途中一度私は足を滑らせて転倒してしまった。尻もちというか、両手を後ろについた。腕が痛かったが大事には至らなかった。しかし、もし手をついたところに尖った石などあったら、手首を骨折していたかもしれない。下山中にものを考えすぎるのも考えものだ。
結局、帰ってから、日本福祉大学のことを文部科学省に問い合わせようと思って調べていたら、ネットでお問い合わせを文章で書くところがあったので、文章を書いて送った。
上に貼り付けた記事は私の記事の中ではかなり読まれているほうで、他にこのような記事を私は書いていないから、それほどに同じ思いをした人が多いのだと思う。私は学費を返せとか争うのも面倒だから訴えたりしないが、泣き寝入りは良くない。
しかし、日本福祉大学のせいで、私は精神保健福祉士を諦めた。社会福祉士は持っているが、現在、活かされている資格は介護福祉士だけである。
他の記事にも書いてあるが、私は小説家になりたいのであって、福祉を第一に志しているわけではない。しかし、精神保健福祉士を取ろうとしていたときはそれなりに燃えていたのだ。その志を折ったのは日本福祉大学である。こうやって繰り返し実名を出して攻撃するとまるで恨んでいるように見えるかもしれないが、私はあの大学がよりよい大学になって欲しいだけである。あの大学の理不尽なシステムのために涙を飲む人がなくなって欲しいのである。
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