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単独登山はやめろ?仕方ないだろ、友達がいないんだから。小説家を目指す私の人生

私は登山が趣味でいつもひとりで登山に行く。夏に百名山みたいなメジャーな山に登り、普段は近場の低山に登っている。雪山登山はできない。技術がないからだ。誰かに教わればいいと言われるかもしれないが、教えてくれる人が周りにはいない。そう言うと、サークルとかに入って、誰かに教わればいい、と言われるかもしれないが、私はサークルなどに入ってからの人間関係が怖くて入れない。私は精神を病んでいるからで、友達とワイワイ騒ぐとか、みんなで登山とか、そういうのはできない。私の普段の話し相手は、両親と、職場の同僚と、(その職場は介護の現場なので利用者の)お年寄りと、その程度しかいない。だから、必然的に私の登山は単独登山になる。だから、雪山はできず、夏山で現在テント泊に挑戦中だ。もちろん、登山の友達がいたらいいな、とは思うこともある。しかし、じゃあ、その友達と一緒に山に登ったとして何を喋るか?う~ん、わからない。私には当然のごとく彼女はいないが、登山の好きな彼女ができたとして、それは素晴らしいことだが、じゃあ、その彼女と何を話すか、と言うと、まったくわからないのである。私は小説を書いていて、小説家を目指しているのだが、登山よりもそちらが人生の軸であるため、登山仲間よりは、文学仲間とかができたほうが、話はできると思う。それでも怖さはあり、こうしてnoteに小説などの話題を書いて、誰かに読んでもらうというのが、現在の私の日常であり、リアルな文学仲間はいない。
そういえば、話は変わるようだが、私は幼い頃からアニメやマンガを見て育った少年で、それらの物語は、仲間と力を合わせて、悪い奴をやっつける話が多かった。そこではいかに友達が大事か、ということが強調されていたように思う。孤独を好むのは悪の帝王とかで、それは倒されるべき敵であった。あるいは孤独の帝王は主人公たちに倒されたとき、友達の大切さを知る、みたいな内容が多かった気がする。主人公は友達との友情を大事にして、けっして誰もひとりにしない、というのを旨にしていたことが多いと思う。私もそんな、友情を大切にする話が好きで、小学生の頃は友達を大切にしていた。しかし、中学生になると、みんな不良になっていくような気がして、厭世観が私の心を支配した。その頃から私はひとり、有名なマンガ家になってみんなを驚かせてやろうと思い、マンガ家を目指し始めた。手塚治虫やディズニーや宮崎駿を超えてやろうと思った。その夢はほとんど誰にも言わなかった。いや、夢というより野心なのだが、そんなものを持ち始めてから、私は友達が減った。元々は友達が多い少年で、黙っていても周りに友達が集まる子だったが、高校生の頃はもういつも教室の隅っこでひとりで本を読んでいるみたいになった。高校時代の友達は中学時代の友達の友達が友達となった。大学生になるともう周りに知り合いはいなかったので、本当にいつもひとりで行動する人間になった。それ以来、四十五歳の現在まで、ずーーーーーーっと、基本的にお一人様で行動している。夢は二十代でマンガ家から小説家に変わったが、私の人生は内面的な精神の遍歴であり、女性経験や、人間関係の遍歴ではない。小説家になったら、小説関係の人間関係ができるに違いないと夢見ているのだが、それも妄想に過ぎないように思われる。現在、お一人様が基本の人間が小説家になったら突然社交的になるはずがない。私はもう野心家の悪の帝王になってしまったのか?悪の帝王は美女の愛が欲しくて、力で従えようとするのだが、結局美女の愛を得ることはできず勇者に倒され、美女を奪われて死ぬ。私は倒されるべき人間になったのか?
私には小学生の頃が黄金時代で、あの頃の友達が、本当に永遠の友情で結ばれた友達だと思っている。いつも一緒だよ、そういう気持ちだった。
マンガやアニメでも「僕たちはいつも一緒だ」というメッセージが濃かった。「いつもひとりだ」というメッセージは皆無で、それを言うのは悪役だった。
しかし、本当に「いつもひとり」は悪いことなのだろうか?
たしかに、いつも誰ともコミュニケーションを取らないというのは社会で生きている以上難しいだろう。だから、上記の「いつも一緒だ」と「いつもひとりだ」というふたつの言葉のどちらが正しいと言うのではなく、このふたつの言葉の問題点は別にある気がする。私はその問題点は、このふたつの言葉に含まれた「いつも」という言葉だと思う。「いつもひとり」というのはよくないことはわかりやすい。しかし、「いつも一緒」ってのは正直ウザくないか?いつも親友あるいは彼女と一緒の生活。ご飯を食べるときも、寝るときも、仕事をするときも、お風呂に入るときも、トイレに行くときも、遊ぶときも、何をするときも一緒、これはウザい気がする。つまり、人間はひとりになることも必要だと思う。
登山の話に戻るが、私はあまり登山を誰かと大勢でワイワイやりながら登ることを求めていない。ひとりがいいと思っている。山頂に座ってボーッと他の山を見ているのが好きだ。山と対話する。雲と対話する。そんな時間が好きだ。
そういえば、大勢とワイワイやるのが好きと言う人ほど、登山が好きになる率は低いような気がするがどうだろう?そういう人は居酒屋で騒ぐのが好きで、登山すると言っても、やはり山小屋で仲間とビールを飲んだりするのが目的で山に登るタイプになるのだと思う。それが悪いというわけではないが、私はそういうのよりはひとりで景色を堪能したいタイプだ。
私は女性と付合ったことがなく、その分だけ人生経験が乏しいと思ってコンプレックスなのだが、去年、剣岳にひとりで登った頃から、複数の女性と付合ったことはあるが登山などしたことがないという人に対して、女性とつきあったことはないがひとりで剣岳に登ったことがあるというのは誇れることのような気がした。日本人で二人以上の女と寝たことがあるという男の数と、ひとりで剣岳に登ったことのある男の数では、剣岳に登った男の方が稀少だろうと思う。
複数の女性と付合うことを好ましくないとする傾向は、ひとりの相手と永遠の愛を誓い合ったと言う立場にはあると思う。特に少女マンガなどを読んでいると、たいてい王子様はひとりだ。哲学者のラッセルは、男は結婚前に二三人の女と付合ったほうがいいなどと言っているが、これはふたりの永遠の愛を信じる人には容認できない思想だろう。逆に複数の恋人と付合ったことがある人からすれば、そのようなふたりの永遠の愛というのは閉鎖的排他的な思想のように思えるだろう。しかし、両方の立場からも、独身というのは違和感があるのではないか?特に私は生来のエロい男である。小学生の頃は友達も多かったが、女の子のお尻なども多く触った。モテた方だと思う。もしその自分を大人になっても維持できたとしたら、恋人含む友達のグループで冬はスノーボードや夏はキャンプに行ったりするかもしれないが、ひとりで登山をする男にはならなかったろう。私はずーーーーーーっと女とセックスをしたいと思ってきた四十五歳の童貞であり、ただ、やれないでいるだけで、独身主義者とかではないのである。童貞のまま死にたくはない。それだけは変わらないと思う。しかし、去年登った剣岳に戻るが、そこに登った登山者は多くいるとはいえ、日本人全体から比べれば、少ないと思う。その優越感は童貞とは関係ないところにある。あのひとりで登りきった剣岳山頂で過ごした時間は私だけのものだった。あのとき母に写真付きのメールを送ったが、やはりあの感動を誰かに伝えたいという気持ちもあったろう。しかしながら、母は遠くにいてそこにはいなかった。私の他に数人いるだけだった。私はひとりだった。霧で景色は見えなかったものの、私は満足していた。疲れ切って下山の体力の回復を待ってじっと座っていた。パンを食べコーヒーを飲んだ。よく、山頂で飲むコーヒーは美味いとなんとも言えぬ歓びがあるかのように言う人がいるが、私はそれは誇張であると思う。いや、私が飲んだのは、その日の朝淹れたインスタントコーヒーである。美味いはずがない。しかし、そこでコーヒーを飲んだことはいつまでも記憶に残る。お一人様だから残る。誰かといけば必ずその景色にその人が残る。それはそれでいいのだが、ひとりの良さは、時間を自分の自由にできることだろうと思う。私は三十分以上、同じ石に背中を凭れて動かなかった。相方がいたら、迷惑だったかもしれない。私は私の体力の回復だけを考えれば良かった。そして、私は下山した。
ここで、私は誰かと一緒よりひとりのほうがいいと言っているのではない。
いや、登山はひとりが好きだと言っているだけで、忘年会はひとりがいい、と言うわけではない。ひとりがいいこともあり、ふたりがいいこともあり、大勢と共にあることもいい、と私は言っているのだ。
マンガやアニメあるいは小説などで、みんなでいる大切さを強調するあまり「ひとり」の価値を否定する傾向は問題があると思うのだ。
そういえば、私は友達が多かった小学生時代、ひとり遊びとして、ゴム人形で遊んでその物語に没頭するのが好きだったし、野球ボールとグローブを持って家の前の壁に向かってボールを投げて跳ね返ってきたのを捕る、その遊びにひとりで夢中になっていた。もちろん友達とも遊び回った。学校では女の子のお尻を触ったりと奔放なことをしていた。バランスが取れていた。
「ひとり」と「誰かと」のバランスが大事だと思う。どちらかを重視するあまり、どちらかを否定するのはまずいと思う。
そうは言っても私は現在、小説家を目指すお一人様人生に偏っていると思う。こうやって、記事の題名に「小説家を目指す私の人生」と強引につけたのは、小説に関心のある人と繋がりたいからだと思う。彼女いない歴四十五年の小説家志望のお一人様男だが、まだ、全然人生を諦めていない。諦めるわけがない。
さて、今年の夏はどの山に登ろうか?

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