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小説家になれるかどうかは志望者数では決まらない

私は小説家になりたいのであるが、それは難しいことだろうか?
ある人の記事に、「小説家になろう」の投稿者数は何十万人だとかいて、そのうちノベライズされるのは一握り、だから、いかに小説家になるのが難しいか、みたいなことが書かれてあった。
いや、これ、本当か?
数字で難しさが表現できるのだろうか?
例えば、野球の大谷翔平選手みたいになりたいと少年が思ったとして、その子にそうなることの難しさを数字を使って説明するだろうか?全国に野球少年が何百万人もいて、大谷選手みたいになれるのはほんの一握りだよ、諦めな。これは夢を諦めなさいという精神論の話じゃなくて、その子が大谷選手以上の才能に恵まれた子であっても、数字からの説明でその夢を叶えることが難しいと説くのだろうか、ということだ。
一握りになれるかどうかは、その数ではないのだ。才能と努力で一握りになれる人はなれるのだ。一握りになるというのは他者との競争じゃなく、自分をいかに高めるかだけにかかっている。他者が優れているかどうかは自分にはどうにもならない。大学受験とかも他者との競争じゃなくて、自分をいかに伸ばすかだけに受験生ができることは限られる。それなのに受験競争などという言葉で、受験生に圧力を加えるのはバカだ。あれは競争じゃない。陸上の短距離走も駆け引きがあるらしいが、あれは自分のレーンをいかに速く走るかだけであり、本来ライバルに勝つとか負けるとかの話ではない。サッカーとかテニスとか対決のスポーツならば明確に敵を倒すことを考えねばならないが、ゴルフなどはただ自分とコースとの戦いだ。他に優れた選手がいるかどうかは自分には関係ない。ベストを尽くせればいい。
小説も自分のベストを尽くせばいいだけで、賞レースに勝つか負けるかではない。ただ、良い作品は読まれ、価値のない作品は読まれない、ただそれだけのことだ。小説家になりたい人はたくさんいるから、なるのは難しい、というのはまったく見当が外れている。

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