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創作料理。初めてのナポリタン~音楽家、小説家になるために~

*材料(一人前)
 
・パスタ・・・・・一束
・ウインナー・・・四本
・タマネギ・・・・一個
・ピーマン・・・・一個
・オリーブオイル・適量
・バター・・・・・適量
・ケチャップ・・・適量
・粉チーズ・・・・適量
 
 
本日の夕飯は親がいなく、自分ひとりでなんとかするということになっていて、初めはラーメン屋に行こうかなと思っていたが、ナポリタンを作りたくなって作ることにした。いや、ナポリタンを食べたくてと言うより、この文章を書くきっかけが欲しくて作ったのかもしれない。
このナポリタンのどこが創作なのだと言われそうだが、それを述べるために作ったようなものだ。
これは創作である。
しかし、まったくゼロからの創作ではなくて、買い物に行く前にインターネットでレシピを参考にした。ナポリタンと言うと、具材はウインナーやピーマンを連想したがタマネギが重要であることもわかった。タマネギは家にあったので、スーパーマーケットへの買い物では冷蔵庫になかったピーマンと少し残量が心許なかったケチャップを買った。
さっそく家に帰ると作り始めた。
湯を沸かす。
タマネギの皮を剥き切る。
ピーマンも切る。
湯が沸いたのでパスタを茹でる。
ウインナーも切る。
熱したフライパンにオリーブオイルを引いてタマネギ、ピーマン、ウインナーを炒める。
さらにバターを適量投入する。
パスタが茹であがったらフライパンに移して、ケチャップを適当にかけてかき混ぜて、皿に盛って粉チーズをかけたら出来上がり。
結果として、今まで食べたことのない美味いナポリタンが出来上がった。私はナポリタンはおろか、ケチャップを使った料理は初めてだった。思っていたのはもっとしょっぱい物だったが、甘かった。タマネギが甘かったのかもしれない。
で、どこが創作かというと、上の材料の欄を見ていただければわかるが、ほとんど適量なのである。ケチャップ大さじ何杯とか言われても私にはわからない。塩が小さじ一杯でどのくらいしょっぱいのか私は知らない。だが、なんとなくこれだけかければこれだけしょっぱいだろうという勘はある。その勘を頼りに作るのが創作だと私は言いたい。
 
音楽に喩えれば、音楽を始めるに当たってまず何をするか。楽譜の読み方を勉強するか?そう考える人はたいがい最初で躓くと思う。私もそうだった。高校生の時にギターをやろうと思って、親が持っていた古いギターで練習しようとしたが、そのときどうしたか?たしか本屋で「ギター入門」みたいな本を買ってきて、基本的なコードを覚えようとしたのだ。私は楽譜など読めなく、ピアノなど楽器は知らない。やったことのある楽器と言えば、鍵盤ハーモニカとリコーダーくらいだ。コードとはいったいなんなのか?それを知らずにコードを覚えようとしていた。まったく楽しくなかった。
私の好きなビートルズのジョン・レノンとポール・マッカ-トニーは楽譜が読めなかったらしい。それなのに自分たちの音楽を信じていた。最近見た動画では、未だに、マッカートニー氏は楽譜が読めないらしい。それでもあの「ポール・マッカートニー」なのだ。
 
プラモデルに喩えてみる。
私は何年か前に初めて「ガンダム」のプラモデルを作った。箱を開けた瞬間、飛び込んできたのは、複雑なパーツの数々だ。
「わ、わからねえ」
私は作れる気がまったくしなかった。しかし、説明書通りに組み立てていくとそれはガンダムになった。しかし、そこにはなにも創作の喜びはなかった。言われた通りにやったらなぜかガンダムになった。
こういうことを料理でやっている人はいないだろうか?
なぜ、塩が小さじ二杯なのか?なぜ、醤油が大さじ一杯なのか?レシピを見て考えているだろうか。レシピ通りにやったらなぜかそれらしい物ができた、というのでは創作ではない。
つまり、レシピにある材料調味料を口の中で想像して、混ぜ合わせ、どんな味に仕上がるかを予想してからやらなければ料理の面白さはないだろう。
私は本日初めてナポリタンを作ったのだが、その前に見たレシピにはニンニクがどれだけとか、塩がどれだけとか、バターが何グラムとか書いてあったが、私が考えたのは、「へ~バターを使うのか。いや、トマトはなくて、ケチャップだけでいいだろ。ニンニクはなくていいや」などと考えて口の中で完成した味を想像する。想像できない物は作らない。以前、「納豆とバナナのカルボナーラ」を作ったときと同じ轍を踏まない。口の中で想像できる物だけを作るのだ。今回はバターとタマネギとピーマンとウインナーの香りと味の組み合わせは想像できたが、ケチャップは初めて使うので想像ができなかった。かなりしょっぱい物だろうと思い、パスタ全体が赤く染まる程度に抑えた。そこだけは想像できなかった。しかし、食べてみたら意外と甘かった。それが非常に美味だった。
 
最後に創作についてもう少し書いてみたい。
私は小説を書いていて、小説家を目指しているのだが、小説家を目指す人の中に、初めて小説を書くときに、「小説の書き方」などという本を参照していたら何も書けないと言っておきたい。まだ、デビューできていない私が言うのもおかしいが、私は小説家になりたい人を同志と思いたいが、「小説の書き方」などを読んで小説を書いている人を同志とは思いたくない。新人賞を取るために受験勉強みたいに小説に取り組んでいる人も嫌いだ。私はジョン・レノンやポール・マッカートニーを同志と思いたい。

ごちそうさま

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