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八ヶ岳、赤岳から横岳、硫黄岳、そして、赤岳鉱泉へ

私は朝の早い時間、八ヶ岳の赤岳山頂にいた。
そこから硫黄岳に向かう予定で、まずは赤岳頂上山荘に向かい、これはすぐ眼と鼻の先だった。それでも、山頂からこの小屋は霧で見えなかったのである。
この小屋は無人だったこともあり通り過ぎた。
私は寒い風の吹く中、ジャージを羽織ったのみの服装で、鼻水を啜りながら歩いた。いや、歩いたという表現では易しすぎる。攀じ登った、あるいは、攀じ降りた、などと言ったほうがいいかもしれない。それは登山というより冒険だった。
ここで、アニメ『ドラゴンボール』の歌の歌詞を引用したい。
「不思議したくて、冒険したくて、誰も、みんなウズウズしてる。大人のフリして諦めちゃ、奇跡のナゾナゾ解けないよ。もっとワイルドにもっと逞しく生きてごらん」
私の小学六年生くらいから、ことあるごとに意識してきた歌の歌詞だ。私は小学生の頃毎日が冒険だった。学校の裏山を探検したり、冬なのに川の中に入ったり、そんな遊びをしていたが、小学六年生くらいになると、男の子はみんなサッカーばかりするようになった。ルールの中に囲い込まれた遊びに私は欲求不満だった。
しかし、その欲求不満もこうして登山をしていると解消できるのだ。これが冒険だ。本当の大冒険だ。もちろん登山にもルールやマナーはあるが、岩を登るのに細かいルールはない。とにかく自然の中にいるのは自由だ。
そんなふうに思っていると、足をずるっと滑らせてしまった。私は慌てて左手で岩を掴んだ。そのとき、ずるっと手の指の皮がめくれ出血してしまった。余計なことを考えたからだ。というか、この思考内容とこの怪我を結びつけたのはほぼフィクションで、この怪我をしたとき本当に『ドラゴンボール』の歌詞を思っていたかどうかわからない。ただ、登山に集中せず、雑念に浸っていたことは確かだ。『ドラゴンボール』の歌詞を思ったのは硫黄岳からの下山時だったかもしれない。


 
私はたった独りだった。
聞こえる音と言ったら、風の音、自分の足音、ザックの軋む音、熊除けの鈴の音、呼吸音、鼻を啜る音、それから鳥の声くらいなものだ。鳥の声はわずかに救いだった気がする。
寒くて鼻水が出るのはどういう原理か知らんが、とにかく風邪を引いただの、だから仕事を休みますなど、そんなことより、生きて帰ることだけを考えていた。
途中道を塞ぐ残雪があった。
軽アイゼンを着けるべきか?
しかし、寒くてわざわざ軽アイゼンを着けるために立ち止まりザックを開けるのは億劫だった。それに残雪はその五メートルほどしかないように思われた。下側には低木が茂っているので滑り落ちて死ぬこともなさそうだ。それに踏み跡もある、軽アイゼン無しでも行けそうだと判断した。
私はユーチューブで見た、雪上での歩き方を意識した。踵から降りてつま先で蹴るのではなく、雪に足の裏全面を同時に降ろす、それを心懸けたら滑ることなく降りることができた。私は振り返って、残雪はここだけかもしれないと思いカメラのシャッターを切った。


視界は時々晴れる。
青空が覗き太陽が出ることもある。
そんなことを意識していたとき、目の前の霧がスーッと流れ、建物が見えた。まるで『天空の城ラピュタ』みたいでかっこいいと思い、私は写真を撮った。


私はときどき立ち止まり、ザックを降ろして冷たい水を飲んだ。
横岳では、ザックからパンを取り出して食べた。ピーナッツバターの入ったパンで四個で一袋の奴だ。それと、コーヒーを飲んだ。相変わらずコーヒーは喉元を過ぎぬまに、温度を感じなくなってしまう。コーヒーで体を温めることはできない。


それより、歩くことで、体を温め、気持ちを引き締めることができた。
ところで、この八ヶ岳に登って思ったことだが、南アルプスや北アルプスに比べ、登山道が易しくない、ということだ。どういうことかというと、南アルプスや北アルプスは、登山道の所々に、道がわかるように必ず、ペンキで○や×の印が描かれているのだ。いや、これは私の甘えだ。本来、山には○印も×印も存在しない。ありのままの自然を愛するならば○印や×印はないほうがいいかもしれない。これも私の未熟さだと思った。
八ヶ岳には道を示す物として鎖が打ち込まれてあった。それとも道の両端を表わす緑色のロープだ。それがあるだけでも私には頼もしかった。
奥の院というところがあるはずだが、と思っていたが、スルーしてしまったようだ。私は「奥の院」という言葉に、「あんたの奥の院に興味があるね」などといやらしい男が旅館の仲居などに話しかける下品な言葉を思ってしまった。俺はバカか?と自分に言い聞かせた。もちろん、そのような下品なことを思うのは、道が緩やかなときである。
次第に道は緩やかになり、ついに硫黄岳山荘に着いた。そこで火を焚いていたので、その前のベンチに座って、残りのピーナッツバターのパンとコーヒーを飲んだ。この小屋ではトイレが使用できないと看板にあったが、私は出発前にトイレに行ったきり、これまで約五時間トイレに行っていないことに気づいた。しかもまだ尿意はなく、このままだと、テントを張ってある赤岳鉱泉まで持ちそうだとも思った。


硫黄岳山荘から硫黄岳はすぐだった。この山は赤岳に比べると、ほとんどピークという感じはなく、ただ、東側に空いた噴火口だけが硫黄岳の山であるとの由縁であると思われた。


私は硫黄岳から、赤岳鉱泉への道を歩いた。
途中、赤岳鉱泉で見かけた若者三人とすれ違い、風呂で一緒になった背中にタトゥーのある男ともすれ違った。私は彼らがちょっと羨ましかった。なぜなら、空が晴れてきたからである。彼らが赤岳に着く頃には天気が良くなっているかもしれない。しかし、私はもう下山する者であり、彼らは登る者である。そこに私はなんとなく優越感を覚えた。
樹林帯に入ると、風もなく、太陽の熱も感じ始めた。長い樹林帯だったが、次第に沢の音が聞こえてきて、ついには荷揚げのヘリコプターの音が聞こえてくると、「ああ、赤岳鉱泉だ」と私はホッとするのだった。

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