【即興短編小説】鬼現寺物語
秋の日が短くなる頃のとっぷりと暮れた時刻のことである。剣志郎、弥太郎、昇太郎の三人の中学生は、剣道の稽古から自宅に向かって歩いて帰る途中だった。
鬼現寺の前を通ると、寺の中から女性の悲鳴が聞こえた。
三人は何かと思い、寺の中へ入って行った。
すると本堂の入り口に女性が腰を抜かして倒れていて、その女性を鬼が襲おうとしていた。
「鬼?」
三人は度肝を抜かれた。
鬼は体長三メートルはありそうな巨体であり、赤い肌の色をしていて、筋骨隆々の裸姿であった。頭には角が二本あり、口には鋭い牙が二本あった。
女性は三人を見て言った。
「た、助けてください!」
鬼は三人を見た。
剣志郎は竹刀を持って構えた。
弥太郎は言う。
「剣志郎!おまえ、マジで竹刀で戦う気か?相手は鬼だぞ?」
「仕方ないだろう?俺たちは他に武器を持っていない」
すると鬼は外にいる三人を見て言った。
「がはは、私を殺すには首を斬り落とさねばならない。竹刀なんぞで首が斬れるものか」
鬼は女性を無視して、本堂から降りてきて、外にいる剣志郎たちに近づいて来た。
「おまえたちの血を吸ってやろう。私に血を吸われた者は鬼となり、また他の人間の血を吸う。そして、その吸われた者は鬼となる。鬼は夜しか行動できないが、多くの者の血を吸うことで世の中に鬼が増えていくのだ」
剣志郎は言う。
「おまえはすでに誰かの血を吸ったのか?」
「いいや、私はこの寺の住職だ」
「なに?」
「この寺に伝わる鬼の血を子供の頃に飲んだのだ。強くなりたくてな。その結果がこの歳になって鬼となることだったのだ。この寺に伝わる古文書によれば、鬼に血を吸われた者は鬼となり、鬼を殺すには首を斬り落とさねばならない」
剣志郎は言う。
「じゃあ、鬼でいてもいいから、誰の血も吸うなよ」
「それはできない。鬼は人の血を吸わなければ死んでしまう」
「その女性は奥さんか?」
「そうだ。この寺を管理するために妻は人間であって欲しいのだが、こうやって鬼となってみると、目の前の人間の血を吸いたくなるものらしい」
弥太郎も竹刀を持って剣志郎の横に立った。
「ははは、竹刀で鬼に勝てるわけがないだろう」
鬼は剣志郎と弥太郎に襲いかかって来た。このとき昇太郎の姿はどこかに消えていた。
鬼は強かった。ふたりは防戦一方だった。
弥太郎の竹刀が折れた。
そして、鬼は鋭い爪を立てて弥太郎を抱き上げ首に噛みついた。
「ぎゃああああ」
「弥太郎!」
剣志郎は叫んで、鬼を竹刀で打ったが、まるで効き目がなかった。
鬼は弥太郎を投げ捨てた。
「次は貴様だ」
鬼は剣志郎のほうに巨体を向けた。
剣志郎は竹刀では勝てないと知り、恐怖で震えていた。
その時だった。鬼の背後に先ほどから姿の見えなかった昇太郎が現れた。手には真剣を持っている。
剣志郎は思った。
「昇太郎。やる気か?」
剣志郎は鬼の気を自分に向けさせ、背後の昇太郎に気づかせないように努めた。
「なんだ?竹刀で私と戦うつもりか?もう観念しろ。おまえは鬼として生きていくのだ」
鬼はゆっくりと剣志郎に近づいてきている。
そのとき、背後から昇太郎が真剣で斬りかかった。まずは背中に一太刀浴びせた。
「ぐおっ」
鬼が振り向いた瞬間、昇太郎は鬼の首を斬り落とした。
鬼の首は地面に落ち、巨体は倒れた。
住職の妻が駆け寄った。
「あなたー!」
妻は鬼の首を抱えて泣いた。
「あなた」
巨体は砂のようになって消えていく。首も同様だった。
首は消える前に口を開いた。
「妻よ。ありがとう」
首は砂になって消えた。
妻は泣き叫んだ。
剣志郎は優しい言葉を掛けようとしたが、事態はそれどころではないと気づいた。
弥太郎が本堂の前で鬼に変身しているのだ。
「ぐああああああ」
体がムキムキと膨れ上がり服を破り裸体となった。肌の色は緑色になっていった。額には角が二本生えた。そして、口からは鋭い牙が生えた。
昇太郎は言った。
「弥太郎!大丈夫か?」
鬼になった弥太郎は言った。
「ああ、血が欲しい。人間の血が」
昇太郎は言う。
「弥太郎。おまえ、鬼になったのか?」
「見ればわかるだろう?ああ、血が欲しい」
弥太郎は寺を飛び出して、背後の山へ通じる階段を登っていった。
昇太郎は言う。
「まずい、山の向こうは蓮華寺池公園だ。夜でも人がいる」
剣志郎は言う。
「昇太郎。おまえ、この住職を殺したことをなんとも思わないのか?」
「仕方ないだろ。鬼なんだから」
「じゃあ、弥太郎の首も斬るのか?」
「剣志郎、おまえは鬼が増えてもいいのか?」
「鬼は人間の血を吸うが、殺しはしないようだぞ」
剣志郎がそう言うと、昇太郎は鋭い眼で睨んだ。
「おまえ、本気でそう言っているのか?鬼は人間に危害を加えることは確かだろう?鬼は鬼、人間じゃないんだ」
「じゃあ、おまえは弥太郎を斬るのか?」
「仕方ないだろう?斬るしかないだろう。今ならまだ間に合う。あいつが誰かの血を吸う前に斬らなければならない」
昇太郎は走って、蓮華寺池公園へ通じる階段を登っていった。
剣志郎も竹刀を握りしめて、追いかけようとした。
すると背後から呼び止める声がした。
「お待ちください」
それは住職の妻であった。
剣志郎は振り返った。女性は言う。
「あなたも真剣を持つべきです。いや、人を殺すことは良いことではありません。しかし、鬼ならば殺さねばならないかもしれません。鬼となった私の夫が死んだのは、世の中のためです。あなたはお友達を斬るという、本当に辛いことをしなければいけません。しかし、それはしなければならないことだと思います。先ほどあの子が夫を斬った剣はこの寺に伝わる宝剣です。この寺は大昔に弘法大師が、鬼を岩に閉じ込めたという言い伝えがあります。あの宝剣はそのとき弘法大師が使った剣です。しかし、その剣はなぜか二本伝わっています。こちらへ来てください」
剣志郎は女性について、本堂に上がった。その拝殿の裏に、剣が祀られてあった。二本の剣を置くところがあり、そのうち一本はなかった。無論、昇太郎が持って行ったからだ。剣志郎は女性からもう一本の剣を受け取り、決意した。
「俺は鬼を斬る。たとえ、それが親友だろうとも」
「さあ、お行きなさい。あなたが鬼の拡散するのを封じるのです。お友達を斬ることになると思いますが、そこは心を鬼にして・・・ああ、心を鬼、なんという言葉でしょう」
剣志郎は頷いて本堂から駆けだした。山を登る階段を登った。暗いはずが、どこかから光が当たっていた。月だろうか?と剣志郎は思った。
山の上には上水道のタンクがあった。そのタンクの横を通り右手に進むと「お姫平」というベンチのある場所に出る。そこで、鬼になった弥太郎と、宝剣を持った昇太郎が戦っていた。
弥太郎は言う。
「昇太郎。俺を殺すのか?」
「ああ、おまえはもう鬼になってしまった。殺すしかない」
「俺たちは親友じゃなかったのか?」
「親友だ。俺たちは、三人でひとりだ」
「でも、俺を殺すのか?」
「俺だって殺したくはない。でも、殺さないと・・・殺さないと、世の中はもっと酷いことになっちゃうだろう?」
昇太郎の眼から涙が溢れた。
その涙を見て、弥太郎は、昇太郎が剣志郎と同じ親友であると確信した。しかし、そう思う気持ちとは別の所で、その涙、人間から出る液体に、ゾワゾワッと来る欲望が蠢いた。
弥太郎は昇太郎の喉に噛みついた。昇太郎には感情が高ぶったために隙ができていたのだ。
剣志郎は叫んだ。
「やめろー!」
弥太郎は昇太郎から牙を抜いた。
弥太郎の前には剣志郎が立っていた。
「弥太郎。俺はおまえを殺さねばならない」
弥太郎は言う。
「親友なのにか?」
「親友でも鬼は鬼だ。おまえ、昇太郎も鬼にしたな?」
「血を飲みたかっただけだ」
「親友の血も吸うのか?」
「昇太郎ももうすぐ鬼になる。剣志郎、おまえも鬼になって三人で・・・」
「バカヤロウ!」
剣志郎は弥太郎に一太刀浴びせた。弥太郎は腕を斬られた。
「おのれ、剣志郎!」
弥太郎は剣志郎に襲いかかった。剣志郎は躊躇わず、弥太郎の胸を突いた。
「ぐおおおお」
弥太郎は言った。
「心臓を貫かれても鬼は死なない。首を斬られなければ・・・」
剣志郎は容赦なく弥太郎の首を斬り落とした。
弥太郎の首は地面を転がった。
「剣志郎・・・おまえに殺されるなんて、俺は、俺は・・・」
弥太郎は泣いていた。
剣志郎も泣いていた。
「弥太郎。おまえは幼馴染みだ。おまえと過ごした十四年、楽しかったよ」
弥太郎は何か言おうとしたが、砂になって消えてしまった。
剣志郎は昇太郎を見た。昇太郎は変身中であり、服が破れ裸体となった。肌の色は青で額には角が二本、牙が口から覗いた。
「剣志郎、俺も鬼になった。おまえは俺を斬るか?」
「斬らねばならない。親友でも」
「そうか、俺たちが殺し合うことになるなんて想像もしなかったよ。しかし、人を活かすと教わった剣で斬り合うなんてな」
昇太郎の右手には宝剣が握られてあった。
ふたりは剣を交えた。剣道では互角だったが、今、昇太郎は腕力の強い鬼である。お互い宝剣を使っているが、力で勝る昇太郎が有利だった。
斬り合いの末、昇太郎は剣を剣志郎の胸に刺した。いや、同時に剣志郎も昇太郎の胸に剣を刺していた。
剣志郎はニッと笑って言った。
「互角だ」
剣志郎は地に倒れた。
昇太郎は倒れなかった。
「すまん、剣志郎、俺は鬼だ。首を斬られないかぎり死なないらしい」
倒れた剣志郎は息も絶え絶えに言う。
「昇太郎、自殺しろ!」
「え?」
「世の中のためを考えるならば、それしかない。自殺しろ」
「嫌だ。俺は死にたくない」
「俺は死ぬ。弥太郎も死んだ。おまえも死ね。それしかない。鬼を蔓延らせることを未然に防ぐには」
「い、嫌だ・・・剣志郎。俺は死にたくない」
剣志郎は言う。
「俺は死ぬ。遺言だ。自殺しろ・・・」
剣志郎は息絶えた。
昇太郎は頭を抱えた。
「お、俺は、鬼になっちまった。親友を殺した」
昇太郎は月を見上げた。
「いや、自殺は絶対にしないぞ」
昇太郎は山を蓮華寺池公園側に下りた。
蓮華寺池公園は夜でも散歩者などがいる。池も周りを一周十五分ほど掛けて歩いて回ることができる。市民の憩いの場だ。
その公園に鬼が降りてきた。無論、昇太郎である。
昇太郎は奇妙なことに気づいた。
「人が誰もいない」
いつもならば、散歩者やデートをするカップルがいてもおかしくない時間だ。
突然、昇太郎は眩しさで目がくらんだ。
「撃て!」
銃声が辺りに響いた。昇太郎は全身に痛みを感じた。警察がライトで昇太郎を照らし、発砲したのだ。
昇太郎は死ななかった。
「俺は犯罪者か?たしかに、鬼になった住職を殺した。剣志郎も殺した。弥太郎も俺が殺したようなものだ。誰が悪いんだ?悪いのは鬼自体じゃないか?鬼が鬼であることが悪いんだ。人間じゃないことが。ちくしょう、俺はもう、鬼として生きるしかない。人間には戻れない。じゃあ、今、警察を皆殺しにしてもいいよな。俺は鬼だから」
昇太郎は大勢いる警察に向かって行った。
警察は発砲をやめなかった。昇太郎は全身に痛みを感じた。しかし、前進をやめなかった。
すると、何者かが昇太郎の背後から抱きつき、首を絞めた。
昇太郎は振りほどこうとしたが、その力は強力だった。
昇太郎はズルズルと引きずられていき、池の中へ引きずり込まれた。
昇太郎は息を止めた。背後の何者かは、池の底まで昇太郎を引っ張っていく。と思ったら、急に上昇した。池の水面に出た。そこは昼間の蓮華寺池公園だった。
昇太郎の背後から声がした。
「おい、おまえは今日からこの世界に住め」
背後を振り返ると、そこには紫の肌の鬼が泳いでいた。
「ここは鬼の世界だ」
「え?」
昇太郎は何が何だかわからなかった。
紫の鬼は言う。
「人間の世界の裏にある鬼の世界だ。ここではもう人間の血を吸わなければ生きていけないなんてことはない。人間と同じように暮らせる世界なんだ」
昇太郎は質問した。
「蓮華寺池の底にはこんな世界と繋がる穴があったのか?」
「いや、蓮華寺池だけじゃない。この世にある池というものは大概、別の世界に通じている。海だってそうさ。世界ってのはひとつだけじゃないのさ」
昇太郎は池の中を泳ぎ、陸に上がった。
そこには、自分の知っている蓮華寺池公園と同じように、散歩者、ランニングする者、子連れのお母さん、などなどがいた。しかし、全員、鬼の姿をしていた。
紫の鬼は言う。
「この世界は人間の代わりに鬼が住む世界だ」
昇太郎は言う。
「じゃあ、俺のお父さんお母さんも鬼の姿でいるのか?」
「いや、それは違う。この世界はあくまでおまえの住んでいた人間の世界とは別世界だ。おまえは新入りだ。まあ、孤児みたいなもんだ。住む所がないだろう?だから、俺の住む寺に来い」
「寺?」
「『鬼現寺』っていうんだ」
(了)
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